コンプレックスと啓蒙

あえて何かを言い出す時、それはその人のコンプレックスだったりする。

「私って人見知りなんですよ」

コミュニケーション能力高そうだね、とでも聞かれたらこの回答もアリだが、自分から言い出すというのは、セルフハンディキャップの要素もあるだろう。

さらに、この言葉に内包されているのは「私からは積極的に行かないので、あなたがコミュニケーションを取るよう努力してください、どうぞ」ということでもある。

ただ、この自身の責任を放棄する行為を断罪するのもまた酷である。
この発言は当人の強いコンプレックスから発されたものである可能性が高いからだ。

私はこのようにコミュニケーションを委譲されたら、相手が人見知りでない事を証明するように、たくさん喋らせる。

「なんか初めて会ったって感じがしません」

とでも言わせたらこちらの勝利だ。
相手の発言の矛盾をポジティブに作り出してしまうのだから。

こうした経験(初対面でも話せた)は一つの成功体験として、その人の挑戦心を奮い立たせる。
新しい人と臆面なく話をしてみようとするかもしれない。
カウンセラーはそれが仕事の一部でもある。

一方で、聞き上手ではない人を断罪し始める可能性もある。
自分を解放する行為が他者によって行われる事を当然と思ってしまえば、他者の力不足を指摘すれば良い。
しかし、そこに自身の変化は無い。

ここで、自身のコンプレックスを正しく見つめ、こねくり回し、時には舐めたり、放ってみたり醤油を垂らしてみたりすることで一つの真理に辿り着く。

そこから、やっと生きた言葉として人に何かを伝えられるようになる。

コンプレックスの道中で啓発するような言葉を他人にかけるのは、自身に対してのメッセージや反動形成でもある。

その時期を抜け出せば、人に与えられる側になる。

私も人見知りだった。
様々な角度から自分の人見知りを形成する要素と向き合い、今では人見知りクラッシャーとして活動している(していない)

例えば「君、人見知りでしょ?」と尋ねる人は、コンプレックスの道中かもしれない。
そして、今の私のように「人見知りを直す方法は…」と、聞かれてもいないのに語り出す人は、ビジネスでないとすればコンプレックスの真っ只中にいる人だろう。

何らかの真理を手に入れたいのであれば、多くを語らない安定した人からうまく引き出してみよう。
その人はコンプレックスの無い、もしくは乗り越えた世界で生きている人なのでより多くの学びがあるだろう。
コンプレックスを正しく扱った人は、誰かに何かを伝えられるようになれるのだ。

自分から会話の流れに無い何かを語り始める人には気を付けよう。
そして、自分から何かを語らない人にも逆に気を付けよう。もしかしたら、その心の中に宝物が埋まっているかもしれないから。

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