中国に来てはじめての国慶節。中国国内はどこに行っても混むと聞いて、日本からは来たばかりだし、と思い切ってニューヨーク行きの切符を取った。初のアメリカ大陸!

ところが休みの直前に、中国での仕事の内容が大幅に変わることが決まった。プレッシャーがものすごく、リュックを背負って空港に向かう地下鉄に乗っているときも乗り継ぎの広州空港でCAさんと走っているときも飛行機の中でも、変な動悸が収まらない。

飛行機の中で、日本からの出張者にお願いして買ってきてもらった『地球の歩き方 ニューヨーク』を熟読してみたが、美術館や博物館以外で行きたいところは特に見つからなかった。スポーツやミュージカルが好きであればきっとぜんぜん話は違ってくるのだろうが……、しかし美術館と博物館だけで5日間の滞在予定が埋められるのがすごいぜニューヨーク、とも思った。

9日間もある国慶節の休みを上海で過ごしていたら、きっともっと精神的に追い込まれていただろう。時差の向こうへ逃げるのだ、と念じながら機内でパイレーツ・オブ・カリビアンを見ようとして、何度も寝落ちし、仕事の夢でうなされた。

朝6時のジョン・F・ケネディ空港からタクシーに乗ると風がものすごく冷たくて、Googleマップでルートを確認しながら、高くついてもホテルを取ればよかったかなと思った。ニューヨークのホテルは尋常なく高いので、これもはじめてのAirB&Bを使ってみることにしたのだが、こんな精神状態で人の家に泊まるというのは選択ミスではなかっただろうか。

万が一にも危険な目に遭わないよう、泊まった人たちの絶賛レビューが数十件ついているAirB&Bを選んだ。夫婦で運営しているところだし、部屋の写真もおしゃれだし、地下鉄の駅も近い。それでも、つたない英語でコミュニケーションしながら人の家に間借りするのは気が重いなあ、と感じていた。

早朝に着くことは伝えてあって、家主は起きて待ってくれているらしい。まさに映画に出てきそうなブルックリンのかわいいアパートに入っていってドアを叩くと、部屋の中からぬっと大柄の黒人男性が出てきた。AirB&Bのサイトに載っていた写真よりもいかつく見えたのと、部屋の照明がほとんど落としてあったのでわたしは内心たじろいだが、彼はとても紳士的で、子供部屋らしきドアを指さし「10歳の息子が寝ているから、暗いままで失礼するよ」的なことをささやいた。的な、というのは、わたしの英語力が残念だからである。

3LDKのリビングの窓からは夜が明けはじめたブルックリンの街並みが見えて、その向こうに見える高いビルがエンパイア・ステート・ビルだよ、とひそひそ声で教えてもらった。なるほど、あれがかの有名なエンパイア・ステート・ビル。でも、そもそも、エンパイア・ステート・ビルって何だっけ。ぼんやりしているわたしを見て、家主は「ゆっくりお休みなさい」的なことを言って自分の寝室に戻っていった。

リュックから最低限の荷物を広げ、わたしは与えられた部屋のベッドに潜りこむ前に顔だけでも洗おうとバスルームに入った。きれいに拭き上げられた洗面台の横にトイレがあり、タンクの上には恐竜のフィギュアがいくつも載っていた。恐竜が好きな子供が、わたしの隣の部屋で眠っているのだろう。それを見てようやく、わたしも少しだけ、仕事のことを忘れて眠れそうな気がした。


上海日記170902

7月末に正式に上海に赴任してからひと月が過ぎた。わりと無我夢中で過ごしている。

仕事は順調に忙しくなってきている、というか海外駐在までして忙しくなかったらやばい境遇なので、緊張感をもって取り組んでおります。とにかく、現地の社員たちに信用されないと話がはじまらない。いろいろ首を突っこんではできることがないか探している状態。幸い、首を突っこみがいのある沼があちこちに存在している……。

日本では同じ部署で長年過ごしてきたので何をしても新鮮だし、仕事の体感速度も5倍くらいなので、目が回るがうまくいったときは爽快感がある。一方で、前にやっていた仕事が役に立っているのも実感できていて幸運だと思う。振られた仕事について、社内で詳しい人をいちいち探してまわるのもRPG感があって面白い。

現地社員とは日本語または英語でやりとりするのだが、特に近年採用されている人たちは日本語が話せる率が高い。お昼休みに会社の女子たちが日・英・中のちゃんぽんで冗談を言って笑いあっているのを見ると、その有能さに震撼する。中国語しゃべれないとか言ってる場合じゃないので、がんばる所存……。

休みの日には豫園(イーユェン)や万商花鳥虫魚市場といった観光地にも行ってみたりしたのだが、それをお昼ごはんのときに話したら「ひとりで観光してるなんてかわいそう……」という流れでドライブに連れていってもらえることになった。女ひとりで出向しているので、何かと気を遣ってもらえている。

「古鎮(中国の古い街並みが残っている場所)に興味がある」と図々しくリクエストし、朱家角(ジウジァジャオ)という上海から西に1時間ほどの古鎮に連れていってもらった。細く枝分かれした運河にかかる小さなアーチ橋、狭い石畳の道に立ち並ぶ明・清時代の建物にわたしは大興奮したが、連れて行ってくれた中国人女子は「ここはみやげ物屋ばかりで、実際に人が住んでいる街という感じが少ないので百点満点でいうと六点くらいの古鎮ですね」と暴言を吐いた。人々の生活がそのまま残されている古鎮では、宿泊して朝晩に静かな街を散策するのがめっちゃ最高なのだそうだ。はやく中国のいろんな場所に旅行してみたいなあ。

今暮らしている部屋は、日本人家族ばかりが暮らす複数のタワーマンションコミュニティの一室だ。フロントにいるスタッフも完全に日本語が通じるし、生活面のサポートは超充実している。共有部分を日本語で行き交う家族たちを見ていると、異国の中にある小さな日本っぷりに、ラーメンどんぶりのれんげの中に作った小さなラーメンを連想する。

完全に日本人向けのマンションということで、大浴場まである。慣れない仕事でとっちらかった頭を整理するため、大浴場の中の小さなサウナに入るようになった……というか、サウナを開拓せざるを得ないくらい湯船のお湯がぬるいことがしばしばある。やはり、基本は湯船につかる習慣がない国だ。サウナと水風呂を三往復くらいして、時計がない水風呂ではひたすら数を数える。中国語の練習のため、あえて中国語で数を数えることにした。イーバイサンシースー、イーバイサンシーウー。

こちらに来たばかりのころは、夜は近所の川からカエルの鳴き声が響きわたっていた。その後、セミの大合唱を経て今は植え込みから虫の声が聞こえてくる。夜がずいぶん涼しくなってきても、川では毎朝おっさんが数人泳いでいる。めちゃくちゃ街中の茶色い川なのに、ガッツがある。聞くところによれば、つかまえたスッポンを川沿いに並ぶカフェの横で売るおっさんもいるという。どこもかしこも都市化された上海の街ではなかなか生きものに会えなくて、個人的にはさびしい。それでも、ぜんぜん気配を感じられないわけではない。虫もカエルもおっさんもわたしも、この街でたくましく生きていきたいものである。


最近「持て余しているな」と思うことが多い。

どこかずれたり掛けちがった愛情表現をしている人などを見るごとに「持て余しているな…」と心の中でつぶやいている。たとえば、野良猫に餌をやるおばさん。自分の知っていることの全てを、こちらが全て知らない前提でfacebookのコメント欄で教えようと試みるおじさん。電車で隣りあわせた人に自分語りするのをやめられないおばあさん。

以前はそういう人を見るたび「寂しいのだな」と思っていたが、今受けるイメージはもっと外向きだ。持て余したエネルギーが、なりふり構わず外に向かっているのを感じる。言うなれば「体じゅうから愛がこぼれていた~」(華原朋美『I’m proud』)という状態だ。寂しいは寂しいに違いないのだろうが、きっと「寂しさ」というのは内向きの感情ではなく、誤ってくっつけてしまって一気に臨界したプルトニウムの球体から放たれる中性子線のようなもので、周囲は青い光と熱波といろんな迷惑に包まれる。

わたしもめちゃくちゃ持て余している。この前ツイッターで「いきなり筋トレやそば打ちやマラソンにはまり出す中年のことをミドルエイジ・クライシスという」という投稿を見たが、「俺のことかよ」としか思えない。本を書いたりイベントをしたり、ジムに通ってみたり思い出したように仕事をがんばってみたりマンションを買ったり中国に行ったりするのも、要するに暇で仕方ないからだ。異常に飽きっぽくて実力もないのにいろいろなことに手を出すだから、「毎日が夏休み(最後の日)」になるわけだが、それはもうしょうがない。

そもそも、クライシスしていない中年などいるのだろうか。仕事とか子育てとか趣味とか恋愛とか宗教とか表現活動にでも頭をつっこんで脳みそをふやかしていないと、人生はあまりにも長く耐えがたい。ゴジラみたいに、持て余した熱波であたり一面を焦土にしてみたい。そう思いながら、毎日まじめに働いたり酒を飲んだりしているのだ。


仕事で上海に行くことになった。最初は4月末にも赴任するという話だったが、中国のビザ制度が改正により厳しくなり、けっこう時間がかかるらしい。実際には5月末くらいになるかもしれない。任期は特に決まっていないが、会社の出向の事例を見るとだいたい3年から5年は行っているので、それくらいが目安ということになる。

1月の末に社内での募集があり、金曜の夕方にメールを見た。2時間後くらいに応募のボタンを押し、その後面接などがあった。2月の下旬くらいに「まあそうは言ってもどうせ受からんやろう」という気分になり、お昼休みにゴールデンウィークの沖縄行きの飛行機などを検索しているところを呼び出されて「よろしくお願いします」的なお達しがあった。その日の夜は、布団の中でぶるぶると震えた。

社内で出向内示が出てオープンになったのが3月はじめだったが、ネットで書くまではさらに時間を置いた。なんでかというと、中国での就労ビザ取得にはHIV・梅毒・肝炎などの検査結果が必要であり、健康診断で採血されているときに「もしこれで何かの病気が陽性だったらどうしよう…」と思いはじめ、せめて検査結果が出るまで黙っておこうと思ったのだった。陽性だったら即入国拒否というわけではなく、おそらく治療のあらましなどをまとめて提出したりすることになるのだろうが、自分で応募したとはいえ赴任することにめちゃくちゃ動揺している今、さらに人生を揺るがす事態が到来したら受け止めきれない。

結果的には身体面での心配はなかったわけだが、心理的にはいまだに不安と期待をトレイルランニングしている。

ここ3年ほどやっている仕事で、すでに中国の拠点と関わりがあり、出張にも3回くらい行っている。1年前に行ったとき、拠点で働いている中国人の女の子が夕ごはんに誘ってくれた。金曜の夕方、仕事を終えて駅まで行き、地下鉄に乗った。それまでは会社の車やタクシーで移動していたので、わたしは地下鉄に乗るのははじめてだった。わたしと上司がキョロキョロしている横で、女子ふたりは中国版の食べログみたいなアプリを覗いて盛んに打ち合わせをしていた。

連れていってもらったお店は静安寺(ジンアンスー)というエリアにあるしゃぶしゃぶ屋さんだった。南青山みたいな雰囲気の通りに、ガラス張りのおしゃれな店が並んでいる。お店に入った瞬間スパイスのいいにおいがして、30種類くらいある薬味やオイルを自分でブレンドしたソースに、湯がいた牛肉を絡めて食べる。

「めちゃくちゃおいしいです!!」と叫ぶと、彼女たちは「よかった~」と脱力した。はじめて行く店で、わたしと上司が着いてくることになったので、ハズレの店だったらどうしようと心配していたらしい(ちなみに、彼女たちは日本語が超堪能である)。

そのとき、自然に「あ、住んでみたいな」と思ったのだった。街がおしゃれだとか、ごはんがおいしいとか、それも大事だけどそれが決め手というわけではない。働いている女の子たちが金曜の夜、ネットで探した評判のお店にはしゃぎながら出かけていく。おいしいものを食べて息抜きをする。ホテルや車の窓から眺めるばかりだった上海の冗談みたいな夜景に、そういう身近でほっとするものが含まれていると、やっと実感できたのだった。


春から生活が大きく変わるので、日記らしい日記を書いてみることにした。元のはてなブログは、ずっと更新していない。たまに外で文章を書かせてもらうときは肩書きを適当に「ブロガー・エッセイスト」にすることが多いが、そろそろブロガーを名乗るとブログの神様にバチを当てられる頃だと思う。

月曜日は春分の日だったが、10名ほどで神奈川の城ヶ島というところにビーチコーミングに行った。うみねこ博物堂という謎の店を運営しているO夫妻が誘ってくれたのだ。ビーチコーミングというのは、海辺に流れ着いた骨とか貝とかガラスとか種とかを漁り、めいめいグッときた好きな漂着物を拾って家に持ち帰り、しばらくして冷静な目で見るとその戦利品の大半はゴミであることに気づくことも多いのだが、それはそれとして宝物にするという、非常にロマンにあふれた高尚な遊びだ。

三崎口の駅にはわたしが勝手に「寂しい大人たちの会」と呼んでいるいつものメンバー(生きものや自然の中での遊びが好きな人たち)が集まっていたが、初めて会う人がひとりいた。うみねこ店長がつい最近知り合ったという、化石好きの青年だ。

メレ子

生きものと旅行が好きな勤労女性。エッセイなどを書きます。近書『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)以前のブログ:「メレンゲが腐るほど恋したい」http://mereco.hatenadiary.com/

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