最近になって「言葉の重要性」をより大きく感じるようになりました。

特に僕の場合はメンタルが強いわけでは無いので何か失敗を起こしてしまった場合に立ち直る言葉を自分自身にかけたりもします。

(ここでも意識的に「メンタルが弱い」とは書きません。)

意味はだいたい同じようでも、できるだけプラス思考になる言葉を使うようにしています。

逆にネガティブな言葉を普段から使っていると、それに引きずられるように思考もマイナスになり、仕事においてもミスを連発してしまい余計に「あぁ自分はダメだ」と追い込む事態にもなります。

「失敗しないように」ではなく、「成功させよう」

「自分は○○が苦手だ」ではなく「✖︎✖︎の方が得意かも」

「僕にはできない」ではなく、「自分にできることは何だろう」

ちょっと言葉の言い回しを変えるだけでも、プラスの印象を持てるようになります。

意識する方向を定める

人は行っちゃいけないと思う方向を見ると、体がそちらに行ってしまうといいます。自転車などを運転していて「あ、溝があるから避けよう」と思っているのに溝の方に寄っていってしまう。

乗り物を運転している時は「行きたい方向をしっかり見る」のが重要だと教えられました。行ってはいけない方向に気がついたら、そちらから目を背けて「行きたい方向だけ」をしっかり見る。

これは言葉でも一緒で、自分が目指すべき方向があるならそれと逆方向には意識を向けないほうがいい。

プレゼンを成功させたいけど、うまく説明できるか不安。不安なことは考えず、成功できるビジョンをしっかり焼き付ける。「プレゼン失敗したら嫌だなぁ」なんて言葉にせず、「絶対にプレゼンを成功させるぞ」と言葉にする。

行きたい方向をしっかり定めてこそ、気持ちも体もそっちの方向に向いていく。

言葉は誰かと話す時以外でも発しています。それは「心の中」で話している時。

今自分が使っている言葉は今まで生きてきた中でずっと使われてきた言葉です。マイナス思考の人は心の中でもマイナスな言葉を使っています。

「きっとダメだろう」と思うからダメになる。

結果、「ほら、やっぱりダメだった」になる。

まずは普段使う言葉から少しずつ変えていく。「きっとダメ」ではなく、「もしかしたらうまくいくかも」と言い換えてみる。最初は慣れないから違和感があるけど、意識して使っているうちに身についてくる。

能力の差で結果が決まるのではなく、普段使う言葉ですでに結果が決まっている。


インターネット上で自分の考えをストレートに表現をしている人を見かけると「すごい!よくこんなこと言えるなぁ」と感心する。

自分の考えを出すということはそれに対して批判を受ける可能性だってあるし、ちゃんとした批判だけでなくそれを元に炎上する可能性だって出てくる。

匿名じゃ意味がない。実名で発信し、自分をもっと出していきたい。

ネット上で匿名であれば誰しも「自分の考え」を書き出せるが、実名で言っている人はやっぱり覚悟があるしだからこその魅力を兼ね備えている。

逆に匿名で言いたい放題の人は「リアルでは誰からも相手されてないのかな?」なんて思ってしまう。匿名のインターネットの世界だけでギャーギャー言ってるんだな・・・と。

僕はブログを始めて3年ちょっとくらいになるけど、ブログ開始から半年くらいで実名に変えた。ブログを実名で書くことに有益性なんて無いと言う人もいたが、実名で書くからこそ信頼されるし、ブログ経由でお仕事を受ける機会もあったので無駄ではなかったと思っている。

最初はFacebookなどで実名登録をするのがすごく怖い感じもしたけれど、ブログを実名にしたのをキッカケにTwitterも実名にし、今こうやってMediumでも実名を出して書いている。

実名でやることでいい加減なことを言えなくなる。ちょっとふざけた冗談を言うにも、言っただけの覚悟を持つようになった。

匿名か実名か?リアルな世界かネットの世界か?

もちろん中には匿名のままでインターネット上の有名人になった人もいるし、匿名のままでも信頼を積み上げてきた人も存在する。

僕自身、「今からでも名前を変えて、別のキャラ(人格)としてブログとか書いていこうかな」なんて思うこともある。

実名を出してしまったから「変なこと言えないよなぁ。将来子供に検索されて自分が恥ずかしいこと書いてたら本人たちも嫌だよなぁ」とか思うことがある。

遠くの人になら自分のことをなんと思われても気にならないが、親族・家族・近い友人などに自分の本性をさらけ出すなんてなかなかできない。自分の書きたいことを書き、思ったことを素直に書いたら次に会った時に何と言われるか、どう思われるのか怖くなる。

軽蔑されるかもしれない、嫌われるかもしれない、関係性が壊れるかもしれない・・・そう思うと実名で好き勝手なことは書けないなと思ってしまう。

しかし誰しもあまり大きな声では言えないようなことを抱えているかもしれないし、とってもブラックな一面を持っているかもしれない。いや、もちろん持っているけど必死に隠しながら生活しているのではないか。

以前はリアルとネットは別世界だと言われてたけど、今はネット上であってもほぼリアルな世界だと僕は認識している。いる場所が違うだけであって、ネットの中もリアルな人間とのコミュニケーションであることは間違いない。

表現の仕方、それは結局「生き方」なのではないか

1、匿名で好き勝手発言していくのは自分の姿を隠しながら言いたいだけ言うだけの生き方。

2、実名出して誰にも害の無い発言だけするのも、名乗りながら八方美人でうまくやりすごく生き方。

3、実名で自分の思うがままに好き勝手発信するのは、自分自身の生き様を周りに見せつけ、どんな風に思われようとも「これが自分だ」と表現していく生き方。

そんな風に考えると、僕自身は「実名で自分の思うがままに好き勝手発言する生き方」を選びたいと思う。1も2も3も、どれが正解だというわけではないし、どれを選んだとしても自分で納得できればそれがその人の生き方であっていい。

ただ僕は3番の「どんな風に思われようとも『これが自分だ』と表現する生き方」ができたら最高にカッコイイと思えるし、そんな自分でありたい。周りがどんな風に見ていようとも自分が納得出来る生き方を選びたい。

僕は覚悟できるのか

「どんな風に思われてもいい」ということが覚悟するということ。

出来ることなら「悪く思わないでほしい」

あわよくば「良く思ってほしい」

でもこれは自分にはどうしようもないこと。ベストセラーになった「嫌われる勇気」でも書かれてたけど、それは僕の課題ではなく他人の課題。

他人がどう思うのかは自分にはどうすることもできない。

だから「良く思ってほしい」とか考えるだけ無駄。僕が何を言っても、何をやっても悪く思われる場合もあれば、僕がいくら悪いことをしたって良いと思われることがあるかもしれない。

そうなると結局は自分の好きなようにやるのが一番いいということになる。

だから僕は自分が思うことをそのまま発信し続けたら良いんだなと、ここまで書いて自分で納得した(笑)


Facebookなどで独身貴族な友人の投稿を見かけると、お金や時間を自由に使えていいな〜、羨ましいなぁ〜なんて思う。

僕も20代の頃は稼いだ分はすべて自分で自由に使えたし、欲しいものは躊躇せず買えた。遊びに行くにもフットワークも軽く、さて連休ならどこに行こう?あれをやるならコレ買っておこう!なんて自由気ままだった。

今は結婚して子供もいるので、それによってお金を自由に使えなくなったり行動に制限もかかる。ではそれが不幸かといえばそんなことは全然なくて、むしろ楽しみ方の方向性が変わってきたように思う。

友達とバイクに乗って遠くへツーリングに出かけるのもいいけど、子供を連れて近所の公園に行くの楽しい。

泊まりがけで友人とキャンプするのもいいけど、家族と一緒に日帰り旅行するのもいい。

家族ができることで自分一人とはまた違った楽しみがあるのだなと思った。

それと自分の親に対して親孝行をするのも、以前は何か物を買ってプレゼントするくらいだったけど、今は娘を連れて実家に遊びに行くだけで喜んでもらえる。

実家に行くとじーちゃんばーちゃんに娘の面倒を見てもらいっぱなしになっちゃうんだけど、父も母も孫と遊べるのはやっぱり嬉しいみたいだ。

そして娘に対するじーちゃんとばーちゃんの様子を見ていると、自分自身も娘と同じくらいの時、このように面倒を見てもらっていたんだと思うと嬉しくなる。自分の自我というか、自分が自分で行動していると認識したのは僕が3歳の頃なんだけど、3歳児から見た自分の親というのはちゃんと見れているようでも頭も幼いのでよくわかっていない。

でも今はそんな光景を客観的に見ることができる。ご飯を食べてる時にお茶碗が落ちないように気をつけてくれたり、転ばないように足元にあるものをどかしてくれたり、転びそうな時にすぐに抱きかかえてくれたり。

娘の世話をしてくれる両親の姿を見ながら、「僕が小さかった時もこんな風に面倒を見てくれてたのだな」と思うと涙が浮かぶ。

だから娘を授かったことで親の愛情を確認することができたし、家族ができたことで楽しみの価値観に変化を持てたことを考えると結婚してよかったなぁとつくづく思う。

たまに嫁ちゃんと意見のぶつかり合いでお互いに機嫌が悪くなることもあるんだけど、そういうのも含めて「夫婦」なんだよなぁと。

よく見ようと思えば良いものになるし、悪いものに見ようと思えば悪くなる。

でもね、結婚ていいもんだよって娘には伝えてあげたいね。


前に書いた記事で

良いことにしても悪いことにしても、相手の感情を揺さぶったことは事実。揺さぶりは運動、それはエネルギー。自分が発したものが誰かに受診されたことでエネルギーを生み出したことになる。

なんて自分で書いて、それがハイライトされてヒャッホーイ!なんて思ってた。

でもよく考えてみたら書かれた記事・文章・言葉自体は単なる文字でしかなく、それらを発信したからといってエネルギーを生み出すかといえばそうじゃないんじゃないかと思った。

もちろん発信したからこそ誰かの目にとまるのだろうけど、目にとまったからといってそれが正または負のエネルギーになるかどうかはそれを受け取った人次第なんだなと。

僕自身、いろんな人のSNSやブログなどを見ていて「面白いな!」と思ったり「なんだこれは!ひどいこと書いてやがる!」なんて思うこともあるけど、それらは文字という情報を自分というフィルターに通した時に出てきた感情。だから実際にはもっとたくさん読んでいても何も引っかからない場合もあれば、自分のところにすら届いていない情報もある。

つまりただ発信してるだけじゃ誰のところにも届かないじゃん!!って思ったわけ。運良く読んでもらえれば何かしら感想を抱いてくれるかもしれない。

だけど大抵は読まれることもなくネット上の彷徨うデータとなってしまうのかもしれない。特に書き始めたばかりのブログなんてそうなりやすい。それがまだアメーバブログとかはてなブログといったブログサービスを使っているなら読まれる可能性も高いけど、WordPressで始めた時なんて何にもない大海原に投げ出された感じで本当に寂しくなっちゃうよね。

でもそれらを見つけてもらうにはどうするかといえば、やっぱり書いて書いて書きまくって誰かに気がついてもらわないといけない。

そしてそれを読んでくれた人がエネルギーを生み出すように、文章の作り方を学んだり、言葉の使い方を増やしたり、思ったことを言葉に変換する術を身につけないといけない。

言葉がエネルギーになるのは、ただ書いていたらなるのではない。

読んでくれたからといって受け取ったとは限らない。

その文字が、その文章が、誰かに受け止められた時に初めてエネルギーになる。

でも結局のところ、そんな文章を書こうと思ったら数を重ねて自分を磨いていかないといけないのだから、結果としてはたくさん書いて発信していこうよ!ってことになるね。


今日はスマホから投稿してみるテスト。あれ?前にも一度やったかな?

スマホのデータ通信量が残りわずかなのでテザリングしてパソコンで書くのではなくスマホ単体で書いてます。パソコンだとついネット閲覧してデータ使い過ぎちゃうのよね。

さて、最近はブログとともにこのMediumもやっているので書くペースが以前にも増してきました。基本的にブログは毎日更新、Mediumもできるだけ毎日書きたいと思ってます。

ブログが行動の記録ならMediumは内面(思考)の記録。一応そんな感じで使い分けているつもりです。

書くことが趣味であれば、毎日続けていくのもチャレンジみたいなものです。今まではブログだけ更新していればよかったのですが、Mediumも始めたことで「書く」という行為がほぼ2倍になりました。

ブログネタなどのストックはあるので写真などを貼りながら言葉を並べて更新することはできます。しかし内面の部分となると「思うこと、考えること」が重要になってきます。

考えていることは頭の中では「分かっている気」になっていますが、いざ文字としてアウトプットしてみると考えがまとまっていなかったりします。

これらの考え方を学ぶのが読書であると思いますが、最近は全く本を読めていません。

読みたい本は身近にたくさんあるのに、家のことを終わらせ、娘を寝させて、ブログ書いてMedium書いてるうちに深夜です。

ずぅーっと、積ん読状態のまま数ヶ月です。それなのでここ最近のインプット方はオーディオブックが大半を占めるようになりました。

主に出勤の行き帰り。自動車で1時間ほど運転をするので、音楽やラジオを聞く代わりに本の朗読を聞いています。

音声なので運転に支障をきたさないし、むしろながら聞きであってもすぅ〜っと頭の中に入ってきます。

欠点と言えば気に入った箇所に線を引いたりできないことくらい。後でメモしようと思ってもどこのフレーズだったのかわかりにくいです。

もっと家でも本を読みたい、もっとたくさんのオーディオブックも聞きたい。でも空き時間にはポケモンGOもやりたい。

あ、これが読書できない原因でもあるのかな。

書くためにインプットしていかないと、僕の頭の中はスッカスカになってしまいそうです。


僕はメインであるはてなブログを自分のブランディングのため(という位置付け)に毎日更新しているけど、Mediumは思ったことをグダグダと垂れ流したい場所として書きたいときに書く場として使っている。

セルフブランディングといえばかっこいいけど、実際に自分のブログでそんなかっこいいもんがあるかといえば正直無い。ただ好きな事、好きなものについて自分の言葉で書き連ねている。だから本当はここに書くような事もブログ一本に何でも書けばいいと思ってる。

それでもMediumであえて書くのは、ここに書きたいと思わせる雰囲気があるからだと思う。

僕にとってブログやMediumはノートのような存在

ノートと言ってもnoteじゃないよ。

僕のブログは雑記ブログであり雑記帳。ノートで言えば自由帳のような感じ。メーカーで言えばコクヨ・・・そう、コクヨのキャンパスノートのような感じ。

何でも自由に書ける使い勝手の良さ。自由すぎるゆえに雑多になってスタイルを確立しにくい。

Mediumは何かというとMOLESKINEのノートのようなシンプルかつオシャレな存在。ちょっと高級なノートで使うのをためらうけど、そこに文字を書くだけで一つのスタイルが完成するような雰囲気。

ブログには何かしらネタを探して無理にでも1日1記事投稿している。これは趣味でもあるけど、筋トレのようなものかもしれない。文章を書くための筋力トレーニング。

ブロガーによっては毎日更新でなくていいから「質の高い物を書きなさい」とか、「質より1記事あたりの量が重要!」とか、「質より量より更新頻度が大切!」など様々なことが言われている。

どれが正解というわけではなく、自分にあった書き方・スタイルでいいのではないかと思う。僕は第一に更新頻度。とりあえず毎日更新していくことをポイントにしている。

Mediumにはブログ以外のことを書きたいと思わせる雰囲気がある

Mediumは僕にとってのちょっと特別なオシャレなノート。

ブログにはやったこと、思ったこと、面白かったこと、辛かったこと、それこそなんでもよくて「自分に関わること」をとりあえずネット上に書く場所という存在。

それと同じこと書いてたらMediumの存在の意味がなくなってしまうので、ここには「思考」に絞って書いていこうと決めている。

「思考」については毎日何かしら思っているし考えているからネタなんて尽きることはないのだろうけど、思ったことをちゃんと「言葉」としてアウトプットするって簡単なようでちょっと難しい。(ちょっとだけね)

だからバババーっと書ける場合もあれば言いたいことがまとまらず1行すら書けない場合もある。書けない時は書かない。それはブログではできないことなので、「書けなくてもいい場所」と許せる、それが僕にとってのMediumでもある。

正直なところブログとMediumの使い分けがしっかりできるのか不安であるし、将来的にはどちらか一方に統合されゆく可能性だってある。ただブログと違った雰囲気を楽しめるのも良いところだし、自分のブログに課している毎日更新という縛られた課題も大変だと思いつつこなしている自分に酔えて心地が良い。

こうやって書いていると、結局どちらも手に入れたいからこそ手を出してみたんだなって気がつくこともあるよね。


最近はブログと共にこのMediumでも思うこと感じることを書いているので、逆にEvernoteに書くことが少なくなってきてしまいました。

僕はEvernoteにライフログとして食べ物や買ったもの、ブログネタ、思ったこと感じたことなど日記のような感じで書いています。Evernoteの良いところはそれらを何でも受け入れてくれる容量の大きさと、それらを検索できるシステムがしっかりしているところだと思います。

そもそもブログやMediumなどのサービスとEvernoteでは質そのものが違います。使われる用途が全く違いますよね。

でも僕の場合、ブログやMediumなどのように発信するツールも、Evernoteのように記録するツールも「考えや行動、記録をストックする場」として使っています。もっとざっくりと言えば自分が生きた証をの残すために使っています。

僕が日々考えたり行動したことで出来上がったものはブログを通じて発信していく。頭の中に浮かんでいるはっきりしない言葉を、「書く」ことでより理解するためにMediumで書く。起きた時間、行った場所、食べたもの、買ったもの、使ったお金など生活の全てを記録するEvernote。

これらすべてに共通するのは、自分を通してアウトプットされたものだということ。これらすべてが僕の生きた証で、ライフログだということ。僕が見て気になったものは写真に残し、それらも全部クラウドに保存するライフログ。

本来こういうものは自分だけで記録し続ければいいのかもしれない。だけど自分が面白いと思うものや誰かの役に立つかもしれないというものは自分だけに留めておくのではなく共有できたほうが嬉しい。

たとえそれが自分でも「何の役にも立たない」と思っていたとしても、それらを受信した人が「役に立った」と思えれば人に貢献したことになる。

だからブログやMediumやnoteやSNSで発信している人は、どんどん発信し続けたらいいと思う。更新をやめない。ひたすら書く。

それを読んで役に立った!面白かった!つまらない!不快だ!くだらない!と何を言われても発信し続ける。良い方向に行こうが、悪方向に行こうがそれは自分にはどうすることもできない。全ては受け手次第。

だけど良いことにしても悪いことにしても、相手の感情を揺さぶったことは事実。揺さぶりは運動、それはエネルギー。自分が発したものが誰かに受診されたことでエネルギーを生み出したことになる。それってすごいことだよね。

「面白い!」「役に立った!」と思った人は同じように行動に移すかもしれない。

「つまらない!」「不快だ!」と思った人は「自分ならこうする」という新たな行動のエネルギーを生み出す。

だから毒にも薬にもならないようなものなんてない。

毒をやっつける薬だって毒に対する毒であるし、薬だって大量に取り込めば毒にだってなりうる。

僕は一体・・・何を言っているんだろう(笑)

とりあえず発信する内容がどうであれ、発信し続けることがエネルギーを生み出すことに繋がるんじゃないかって思うのです。


今日も朝から移動の時はほぼ「ポケモンGO」を起動しながら出歩いてました。楽しいよね、「pokemonGO」

(今日の夕飯に唐揚げ出たのでポッポと撮ってみたよ。悲しげ・・・。)

近所でも「あ、この人もやってるな!」と気づく場合があるし、ポケモンジムのある場所では人が集まっているの(自分もだけど)を見かけるとこのアプリの人気が半端ないってことがよくわかりますね。

人気があるからこそそれを嫌う人もいるわけで、それはそれで仕方ないかなと思います。僕だってそういうものってあるもんね。

だけど声高にそれを非難しちゃうとさ、自分がいざそれを「やりたい」と思った時にやりにくくなるよね?やりにくいっていうか、できなくなるよね?

例えば「ナンパは嫌いだ。女性に声かけるのではなくかけられる男にならない軟派な野郎はクズ同然だ!」なんて思っている人がいたとします。しかも自分一人で思っているならともかく、周りに言いふらし「そうだそうだ!」という意見に囲まれているような人

(厳密に言えばそんな男も「硬派」ではないかもしれませんがそういう設定で話を進めます。)

そんな彼が、自分が追い求めるような女性にばったりと出会ってしまった。見た目も性格も何もかもが自分好みの女性。しかも自分が興味ある話題について話している。これは声をかけるチャンスかもしれない。

でも自分の周りの人たちには「女性に自分から声をかけるナンパ野郎はクズだ」なんて宣言しちゃってるからためらう。自分一人だけそこにいるならいいけど、こんな時に限って仲間もゾロゾロついてきてる。

仲間に対する自分の言動が足かせになって、自分が本当にやりたいと思うことができなくなる。それでもまだ「あ、この前言ってた話だけど。あれ嘘!ナンパもいいよね!」なんて言えればいいけど、みんながみんな「ナンパの否定者(同じ考えの持ち主)」が集まっている中でそんな言動ってできない。

結果的に自分の望むものを手に入れるチャンスすら失う。

だから否定的な意見を声高に叫んで仲間と「そうだ!そうだ!」なんてやらないで、こっそり「あんなの何がいいのかね?」と思うだけにしたほうがいい。

そしたらもし「あー、この前まで否定的な意見だったけど・・・興味湧いてきちゃったな」というときに行動に移せる。ちょっとアプリダウンロードしてみようかなって思えるよね。

僕はポケモンGOをやってみてこれは面白いから一緒にやる仲間を見つけたいと思う。興味あるならやってみて、興味ないならやらなくていいと思う。

ただゲームを楽しんでいる人に向かって否定的な言葉を浴びせ、自分と同じように興味がない人と一緒になって攻撃してるのは気持ちよくない。ただ世間に対して不満を吐き散らしたいだけの人間なんだろうなとは思う。

まぁそれだけか。

とりあえずそんな気持ち置いといてさ、一緒にアプリ起動して街中歩こうぜ。投げるのは批判的な言葉じゃなくて、モンスターボールにしとこうぜ。

ほら、ポケモンGETだぜ!


今日から配信された「pokemon GO」ですが、僕も早速ダウンロードして始めちゃいました。

ゲームボーイソフトのポケモン赤・緑が発売されたのは僕が中学生の頃です。当時はまだゲームボーイだったのでカラーでもなく、通信対戦にはゲームボーイどうしをケーブルをつないでやってましたね。

今の子供達からしたらびっくりするほどのクオリティの低さ・・・かもしれません。

当時なんて150時間以上プレイしてたのでずっと「自転車に乗っている時の音楽」が耳から離れませんでした。

「あ、ゲームボーイの電源切り忘れてる。」と鞄からゲームを取り出すと電源は切れている。そう、これは幻聴です。それほどまでにずっと遊んでいました。

それから長い月日が経ち、まさか自分の眼の前にポケモンが現れる日が来るとは思いもしませんでした。

現実世界とポケモンの世界がつながったようでミョーにウキウキしてしまいました。

本題

そんなpokemon GOですが、アメリカで爆発的な人気になったことで様々なトラブルも発生しているようですね。ポケモンゲットのために私有地に入ってきてしまったり、歩きスマホによる危険性など。

僕はこれをやり始めるまで知らなかったのですが、てっきりゲームの世界を歩き回る設定かと思ったら、実世界(実際の地図上)を歩き回ってポケモンを集めるんですね。

だから公園とか神社といった場所が「ポケストップ」と呼ばれる重要スポットになっていて、アイテムなどをそこでもらえます。

実際の場所とポケモンというゲームの世界が一緒になって、スマホがあるからこそ生まれてきたゲームなんだなと納得できます。

アメリカで爆発的な人気になったアプリですから、これに関するニュースも何度か目にしてました。実際にフェイスブックやブログなどでも「pokemon GO」に関することを書かれている人が多数いますね。僕もですけど。

ゲームを行う上で実際の街中を歩きまわるのだからそれに伴う危険性もわかります。それらを非難するのも・・・まぁわからなくはないです。

でもね、興味あるならとりあえずやってみたらいいんじゃないかなって思います。

「私はポケモンは嫌いなんでやりません。今回のアプリなんか・・・」とことさら危険性をアピールしたり、それをやる人はバカだの何だの書いている人も見かけます。

いや、嫌いなのわかったし、嫌ならやらなきゃいいだけじゃん。

てね。

何でそれ以上に攻撃するのかが、いまいちよくわかりません。

そもそも全く興味ないなら「やりません」アピールする必要もないと思うしね。何をそんなに否定してまで「やらないこと」をアピールするのだろうと考えてしまいます。

やってみたいと思ったけど出遅れちゃってやらないとか、興味はあるけど遊ぶかどうかわからないからアプリ入れないとか、こんなに非難されるならやらないほうがいい?とか。

興味あるならやってみたらいいと思いますけどね。面白いし。

つまらなかったら消しちゃえばいい。

何もやらずに批判だけしたい人は、とりあえず批判するためにどんなものかやってみたらいいと思うよ。

それなのに何もやらずに経験せずに非難しているのも変な話だよね。経験したことがない人がいくら批判的なことを言っても相手には伝わらないよね。

「え?でもあなたは・・・未経験なんでしょ?」

これで終了です。

だから興味なくてやりたいとも何とも思わない人は話題にすらせずに好きなことをやっているのがいい。だけどほんのちょっとでも興味持ったならとりあえず無料なんだしやってみたらいい。それでつまらないとかここが良くない!っていう部分があれば発信してみたらいい。

だけど未経験のまま、やったこともないことに対してあれこれ言うのは・・・恥ずかしい。


最近というか、前に講師をやってた時も「これは天職だ!最高に楽しい!」なんて毎日思って過ごしていましたが、今の工場勤務も「いやー・・・楽しいなぁ」なんてふと思ってしまうくらい仕事が楽しくなってきました。

でもなんか「仕事が楽しい」っていうと「社畜だ!」「そんなの思い込みだ!」と思う人もいるかもしれませんが、1日のうち全部が全部楽しいわけではないし、つまらない退屈な仕事だってもちろんあります。

僕の場合、「仕事が楽しいかどうか」を見分ける基準として日曜の夜に「明日は月曜か、仕事嫌だなぁ」と思うかどうかが挙げられます。いわゆるサザエさん症候群ってやつですね。

サザエさん症候群(サザエさんしょうこうぐん)とは、日曜日の夕方から深夜、「翌日からまた通学・仕事をしなければならない」という現実に直面して憂鬱になり、体調不良や倦怠感を訴える症状の俗称である。

ウィキペディアより引用

新卒で入社した会社の時はもう、ものすごい鬱になりました。(気持ちだけね)

でも今はそんなこと全くない!ちょっとは「明日から仕事か・・」なんて思うけどさ、嫌すぎて鬱になることなんてない。

でも仕事が好きじゃないまでも、「嫌ではない」状態になるのはすごく幸せなことだと思う。だってお金を稼ぐために仕事に費やす時間ってそれなりに長いわけだけれども、その時間を「好きなこと」として過ごせば苦痛なんて無いし「辛いこと」だと思えば地獄のような時間にだってなりうる。

仕事を大好きにならずとも、「嫌では無い」くらいに思えるだけで心の疲労度はかなり軽減されるものだと思う。

もちろん給料が高ければ嬉しいし、福利厚生がしっかりしていれば安心感もある。もちろんそれらは重要な部分ではあるけど、その仕事自体が好きなものかどうかっていうのは早めに見極めておいたほうがいい。

給料高くたって苦痛を強いられるのは僕には耐え難い。かといって大好きな仕事だけど全くお金にならないのも仕事として続けるかどうかは悩む。

独身か家族がいるかで仕事を選ぶ基準も変わってくるだろうけど、ある程度時間を費やすことだからこそ、「好きなもの」を仕事としてやっていくほうが精神的にも安定して生活していけるのかもしれない。

山中 督 Tadashi Yamanaka

http://8079tdc.hatenablog.com/ 最近の趣味はライフログとブログ。手帳やノートなどのアナログも好き。ロシア車UAZに乗りながら「キャンプしたいなー」と思いを馳せつつ基本はインドアでMac触ってるのが好き。

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