音楽がトレンドから解放された日

OGAWA Miki
5 min readJul 2, 2015

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お祝いだ。なんのお祝いか?って。もちろんApple Musicリリースのことである。

中学3年のころだった。突然、ヒットチャートに興味がなくなった。
中1・中2の頃は、毎週カウントダウンTVを見ていたのに。

ある頃から、どうもノレなくなってしまったのだ。カウントダウンTVより、ランク王国が楽しみな自分がいた(セクシーなアイドルだけが理由ではない)。

そんな気分も、今ならひとことで言える。純粋に「知らない音楽をもっと聞きたいのに、新しいヒットソングには、良い音楽がなかった」のである。

偶然ヒットチャートにハマる

生まれて初めて音楽にはまったのは、オフコースとQUEENと第九だったと思う。親が聞いていたからだ。

そんな僕がヒットチャートを毎日追いかけるようになったのには、きっかけがある。小田和正が「クリスマスの約束」でMr.Childrenの「HERO」という曲をカバーしていたのが、とても良かった。そこからミスチルにハマったのが始まりだ。

僕の世代がMD最終ジェネレーションだと思うが、TSUTAYAで新作扱いだった「シフクノオト」だか「sign」だかを、MDに慌ててぶちこんだことを覚えている。オフコース少年も、とうとう21世紀に追いついて、クラスの話についていけるようになった。

ちなみに、MDは数枚だけ作って終わってしまった。なぜか? iPodが我が家にやってきたのである。これが、マジな新世紀の到来だった。

時系列じゃない音楽体験

自慢じゃないが、ぼくは編集者のくせに、非常に大雑把な人間である。あまり書くと仕事がこなくなりそうで怖いのだが、たとえば、可愛い女の子と食事しているときでさえ、いくら気をつけても食卓のおしぼりはいつもぐちゃっとしている。

そんなぼくが、らしくないと自分でも思うのは、iTunesのレート分けだ。新しい曲をインポートすると、必ず1回聞いてレート分けをする。好きじゃないものはレートをつけない。ちょっと気になるものは☆4つ。ビビッときたものは、☆5だ。そして☆の数ごとのプレイリストをつくっている。

いつからこんな習慣がついたのか覚えていない。でも初めて買って、高校への通学中に愛用していた第2世代iPod nano 4GBには、すでにそのプレイリストがあった。聞くときは必ずシャッフル、それがミソだ。そのために☆をつけていた。

家にあった親のCDをiTunesにいれていったので、自分がヒットチャートを追いかけてた頃に好きになったMr.Children、ポルノグラフィティ、などと一緒に、The Beatlesやマイケルといった王道どころ。Bill EvansやYMOといったジャンルを象徴する古典。それにアニソンやらメタルやらが、シャッフルされて流れてくる。

するとヒットチャートなんて意識する間もない。ジャンルですらあまり気にしない。そこにあるのは単純に☆の数だけ。つまり自分にとって「良い」か「悪い」か。これが、時系列じゃない音楽への向き合い方だ。iPodを持ち歩くようになって、完全に音楽体験は変わったのである。

新しさは指針だった

ヒットチャートを追いかけることには、ひとつ利点があった。それは、知らない音楽を知るための指針、きっかけになっていたことだ。

実際、時系列じゃない音楽の聞き方を手に入れた僕は、急速に「まだ知らない音楽」への貪欲さをなくしていった。古今東西の名曲を数千曲ほどポケットの中に持ち運べば、半永久的にシャッフルし続けられる気がしたこともあった。

でもシャッフルし続けても、刺激的な曲が何日もまったく出てこないときがそのうちやってきた。いや、正確には「どの曲も刺激をなくしてしまった」。あんなにエキサイティングだったスリラーも、シャッフルの繰り返しでリピートするうちに、古びたドア音が冗長でしかない。

時系列から解放されても、新しさへの欲求は失われなかった。しかしその「新しさ」は、「自分が未だ知らない刺激」という意味に変わっていた。

一生良い音楽を見つけ続ける

だから、友達がおすすめする曲をYouTubeで聞いたりした。でもその場限りの刺激で、ハマったりはしない。ストリーミングには限界があって、所有していないから利便性も低いし執着もない。

そこでやっとApple Musicの登場である。

僕が今まで親から受け継いだり、気の合う友人から教えてもらった音楽がiTunesのライブラリにはつまっている。Apple Musicはそれらを基盤に、最新の音楽事情なんかお構いなしで、古今東西の音楽を聞かせてくれる。他にもソーシャル連動やキュレーション機能など、ヒットチャートだけを頼りに音楽を探していた時代があったことが夢だと思えるくらい、音楽との出会い方が増えた。

ストリーミング・サービスだけれど、ローカルにも落とせる。もちろんそれもライブラリに入る。プレイリストにまざる。一緒にシャッフルされる。

これは、人生で自由に音楽を聞ける時間を考えたら、無限の音楽を手に入れたことと同義かもしれない。自分の良い・悪いという価値観だけを頼りに、音楽の海を探索しつづける。時には時系列を気にしてもいい。ジャンルでもいい。親が好きでレコード盤で聞いていた音楽でもいい。全部がまざる。

様々な切り口で、良い音楽を見つけ続ける。するとずっと聞いてきた曲も、不思議とかがやきを失わない。やっぱりスリラーは最高なのだ。

音楽の良し悪しを判断するのは自分だけだ。そこにトレンドはない。急いでMDに入れて、大切に並べなくてもいい。なにも知らない子供の頃は、オフコースもQUEENも第九も良い音楽で、そこに区別はなかった。そんな自由さが、とても尊いものだと思う。

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