的外れなセッション

頼まれて、クライアントの心因性の問題を解決するセッションをしたりすることがあります。募集はしていません。

セッションをするときに気をつけていることがあります。それは目の前の人の話を聞くことです。何を馬鹿なことを言っているんだ? そう思う人もいるかも知れない。でも、セッションの時に、人間関係に問題があれば幼少期の家庭環境を疑うなんて言う方程式めいたものを持ち出すセラピストがいます。人には数パターンがあるという言い方をする人もいます。でも、それは誰のパターンだろう?

もちろん、たくさんやっていくと同じようなケースをよく見かけます。細部まで見ていくとそこには違いがあります。方程式やパターンはそのセラピストの思い込みであって、最初に持ち出すものではありません。話を聞いた後に、そこにつなげてもいいけれど、きちんと押さえるべきところを押さえれば、つなげなくても大丈夫です。

きちんとクライアントと向き合ったセッションならば、うまく行きます。エモーションフリーでもユニバーサルフレーズを求められることがありますが、実は反対。そんなものに頼って効率を求めるなんて未熟です。

定義しなくても、ただ横に座って話を聞いたり、相手を見ているだけで相手は確実に良くなります。もう、絶対!って感じで。時間は掛かるときもあるし、本人が気がつかないくらい刹那の時間で終わることもあります。

セラピストって、相手からのメールが来たり、相手の声を聞いたり、相手を見ただけで気づきます。そして、自然と意識、無意識、身体を総動員して対応します。そういう職業病を持っています。自分からは言わないけれど、本人が望んでセッションを希望し申し込んでくるときだけセッションをします。

繰り返すけど、募集はしていません。

その観点から、自分のちょっとした自尊心や欺瞞のためにやるセッション、クライアントをよく観ないで理屈で行うセッションなんて的外れです。

セッションは道具で決まるものでもありません。強力なツールを求めすぎる人、たくさんのツールを求めすぎる人も反省が必要です。

セッションなんて、自己の存在をぶつけるだけですから、難しく考えなくていいです。自分の赤ちゃんの顔を見て覚悟を決める人、自分を変えようと思う人、結構います。何もなくても存在で人は変わります。

セッションの次に必要なのは、コーチングです!