わたしがわたしになるまで

「おまえは自分のことしか考えてないからな~」
電話越し。ふいに父に明るく言われる。
アハハと乾いた返事をする。「しょうがない」と思う。

いつもマイペース。友達が遊びに来る時間になっても、準備もできてない。出かけるギリギリになって「トイレ」と言い出す。何も考えずに起こした言動が人に迷惑をかけ、人を傷つける。それを知って傷つく。

もっとうまくやれなかったのか?

当時は今以上に学習能力もなく、間が悪く、非効率的で計画性もなく、よく失敗をし、みじめな思いをしていた。かといって、(きっと家族からすれば)問題をなんとかしようという根性ややる気もなかったと思う。

いつもどこか満たされない気持ち。犬のサンポで高台にいくと見えるコンビナートと新幹線の線路。その先に見える夕暮れが切ない。何をどうしたいかもわからず、要領も得ず、うまく会話もできず、いつも自分にフタをしようとするが、気が付くとあふれ出て、汚れた床を拭いている。

そもそも、私は言葉がうまく使えなかった。

私が中学生。姉は大学生。6つ離れた姉とは会話が成立しなかった。姉が実家を離れたことで、幼き日からの冷戦が解けつつあった時期、私と姉との会話はいつも落としどころがなかった。私はどう会話すればいいか分からなかった。いや、何を会話したいのかも分からなかった。姉との年の差による、ということだけではなかったのではないか。

私は言葉をつかえなかったのだ。言葉を言葉としてつかえなかった。
(今、こうやって文章を書いていることは奇跡だと思う。)

高校卒業後実家出て、一年間姉と共同生活。失われた言葉と理解を取り戻す訓練。私の私として認識するための貴重な時間だった。分かりやすい予備校の授業で、私は言葉を覚え、それを認識し、理解を育て「わたしもちゃんと理解できる」と泣いた。

子供のころは孤独だった。両親も、真面目で勤勉で、鉛筆一本からたたき上げで自営業を築いた人たち。怠惰で学習能力の無い私の言動に、親は失望し、軽蔑されていると思っていた。誰も自分の存在を認めてないと勝手に思っていたのだ。自分で自分の価値を認めることもできず、何をどうしたいかも分からない。自分が一番、自分に対して冷たかった。

今は私には「言葉」と「理解」と、長野県という自分らしく過ごせた場所があるので、自分を慰めたり、認めたりすることもできるようになった。誰かに認めてほしい気持ちはもちろん今もあるけど、誰かが認めてくれなくても、まあいいや。と思えること(時々)できる。

もとが、マイペースなら、開き直ってもっと楽しくマイペースを貫けないものか?

それまでには、もうすこし自分の認識を磨く必要がありそう。

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