他人に勝てる状況があるにも関わらず、それを取りに行かずに、人に譲ることが出来る。これは、何を意味しているのか。
それは、自身への自信、信頼である。例えこの戦いに負けようとも、自分は愛されているし、素晴らしい。だから、勝ち負けは大した意味を持たない。この考え方が、根底にあるのだ。
そういう人は、自分で自分の好きな事を決めることが出来る。心屋でいう「自分軸」で生きているということだ。
反対に、勝ちに執着してしまうとはどういうことなのか。それは、勝ち負けという純粋な要素以外に、自分の価値を勝負に見出してしまっているということではないか。
勝負によって自分の価値を確かめたいのだ。これでは余裕もなくなってしまう。あなたの価値は勝ち負けなんかで推し量ることは出来ない。
僕がお話ししているのは、人間としての在り方の根本部分のことです。確かに勝つことも大事ですが、今勝つことに執着しすぎてしまっている人は、それを一旦、全て取り払うくらいのことをして、ちょうど良いのです。勝ち負けは自分自身の価値には、本当は結びついてないということを実感するために。
なので、勝ちを譲るという極端なことを書きました。誤解しないでください。mediumのユーザーとして多いであろう、社会人の癒しになればと思います。
僕は今大学三年生で、もうすぐ就活が始まります。僕の世代の人たちの中で、「他人軸」で生きている人はたくさんいます。私はその一人ではないと言い切れる自信はないかもしれません。別に「他人軸」で生きてもいいと思います。でも、しんどくないですか。
僕は土日に、何もすることがないときに、たまに鬱っぽくなることがあります。これは何もしないなんてだめだという、自責の気持ちが原因であると気が付きました。
何もすることがないなんて、素晴らしいことです。自分の好きなことができるのですから。でも他人の目を気にして、自分を責めてしまう。なんだか、やっていることが、とんちんかんですね。
僕とは違う場面で、自分自身を責めてしまう人もいます。本当はそんな必要はないのです。自分はすでに価値があります。少々の事には動揺せず、「自分軸」を持って、生きていきたいですね。
勝ちを譲って、笑顔で負けよう。