時間管理と人生の終わり

みやも
3 min readApr 9, 2018

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「私は時間の管理が大の苦手である!」ここに宣言する!!(笑)

時間管理と言ってもストップウォッチをもって、トラックを走るランナーのラップタイムを計測することではない(笑)何をいつまでに終わらせるか、作業がどれくらいの時間を取るかを考えて、それを考慮しながら計画を立てることが苦手なのである。

おそらく多くの人が私に賛同していただけるのではないだろうか。特に社会人(自分でお金を稼ぎ生計を立てる人)になると、自由に使える時間が本当に少ないことに驚く。だからこそ、自分のしたいことを実現したり、自分の在りたい姿になるには、時間を大切にして、計画を立てて実行することが必要である。(俗にいうPDCAサイクルでは、ここ加えて更にCHECKとACTIONが加わるが、ここではそれはひとまず置いておく。)

とまあ、世間のお偉いさんはそのように言うだろう。頭ではわからなくはない。だが、私はどうしても時間を管理することが苦手なのだ。もっと具体的に言えば、作業や練習にどれくらいの時間がかかるかを把握することが嫌なのだ。先日その理由と思われる私の考え方に気が付いた。おそらく、作業や勉強にかかる時間が分かると、一人の人間が持つ人生の時間を逆算すれば、自分の人生で成し遂げられることがおおよそ分かってしまい、自分の底が知れるようで非常に怖いのである。「お前の人生はこんなもんだ」、そう閻魔大王に言われているような気になってしまう。別に悪いことはしてないのに(笑)

確かにこれが現実的な考えなのだと言われればそれまでなのかもしれない。でもこの考え方にはとある前提となっている条件がある。それは「作業や練習の効率は今のままで生涯を通して変わらない」という前提である。実際はどうだろうか?本当に効率や生産性は人生を通して少しも変わることはないのだろうか。答えは言うまでもなく、NOである。例を出すまでもないが、例えば、私は大学入学までパソコンを触ったことがほとんどなかった。だが今では文字の入力もかなり素早くできるし、そしてこれからも文字入力のスピードは速くなってゆくに違いない。

だから、今作業や練習にどれくらいのどれくらいの時間がかかるかは、ただの「現状把握」にすぎず、人生の時間を逆算して自分の人生の底を見せられるといったことではない。そのはずなのにあたかも自分の限界はここだと言われているように感じてしまう癖がある。

もっと早くできないかな。もっと上手なやり方はないかな。そのように常に考え行動してさえすればOKなのである。もっと早くできないかなと考えるうえで、自分が作業に取り組めばどれくらいの時間がかかってしまうのかを記録や把握することは必要なのである。そうしないと自分の作業時間が早くなっているのか、遅くなっているのか分からないからね。

とまあ、自分の生産性の向上を図る限り、自分の人生の限界を知ることはないので、安心して自分の現状の力(どれくらい作業に時間がかかってしまうか)を確認できるようになったらいいな~という話でした(記事の作成時間もちゃんと記録するようにしないと・・・汗)

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