Google神格化キット

Googleを神格化し、使用者に神の要素を与えるChrome拡張

1.はじめに

「Google神格化キット」は、Google[1]を既存の神に変わる存在とし、普段我々が日常的に行う。インターネット上の行為である「検索」を演出した作品である。

現在コミュニケーションや、商取引などあらゆる役割が集約されたインターネットは、社会に既存の施設やコミュニティなどのあらゆる要素を取り込み、我々の生活になくてはならないものとなっている。欲しい商品についての情報を検索し、購入までの行為を全てインターネット上でいつでもどこでも行える他、日本にいながらリアルタイムで海外情勢知ることができ、友人と情報共有が手軽にできる。今やインターネットは新たなライフラインとも言えるべき存在である。

インターネットに集約されたあらゆる要素の中には宗教も入っている。島田裕巳は『スマホが神になる』で、宗教要素の一因である「コミュニティ形成」や「救済」をインターネットが担いつつある現象について「神に代わりつつあるグーグル」という言葉で表現している[2]。SNSによってコミュニティは形成され、救済に必要な解決策は検索によって補われている。

最大の利用者数[3]を誇り、実態の無い新しい道具として我々の生活には欠かせない存在であるGoogleが神に代わりつつある所以の一つに「検索」が関わっている。「文献・カード・ファイル・データベースから調べて探しだすこと」であった「検索」は、従来の「図書館や資料館で調べる」という行為から「ビックデータから情報を取り出す行為」へと変化した。私はこれに加え、「救済のための祈り」の意味合いを持ちつつあると推測する。「これまで宗教が果たしてきた役割が別の手段で代替される時代となり、“宗教でないとできない”ものが消滅しつつある[4]」。だとすれば、インターネットは神の役割の一部を担う道具となっており、記号化されつつあった従来の神は、インターネットによって別のものへと変化していると考えられる。

この考察を探求し具体化するため、Googleを神として拡張するために、「記号的な神の要素を付与し、神格化させる機能」と「万能感や全能感の演出を行う機能」をChrome拡張で制作し、Google検索を新たなる神として見立てた。

2.作品制作動機

a. Google先生からGoogle神へ

Googleの検索アルゴリズムについてのネット記事が作品制作の発端となる。日経オンライン2014年の記事<グーグルは神なのか「忘れられる権利」判決で惑うグーグル>のタイトルが印象的だったのである。Googleが変更した検索アルゴリズムにより、とある日本企業のサイトが検索結果上位から外れてしまった出来事から、検索結果によって引き起こされた問題についての内容である。これはその記事の冒頭部分の引用である。

最近、ある日本企業はグーグルが変更した検索アルゴリズムでダメージを受けた。それまでは検索結果の上位に表示され、多くのユーザーが流入してくる窓口となっていたが、通達もなく変えられたアルゴリズムでその企業のページは検索結果の奥底に沈んだ。「社内のエンジニアですぐに対応できたため、被害はそこまで大きくはない」とその企業の担当者は胸をなで下ろす。だが、「刺激したくないので社名を出したくない」とグーグルというインターネット時代の神を前に恐れおののく。[5]

私が注目したのは「グーグルは神なのか」というタイトルや文章内にあるGoogleを神のようだと比喩する「インターネット時代の神」という表現である。

神という比喩表現は一般的なものである。ユーキャン新語・流行語大賞2016年間大賞[6]に「神ってる」が選出されたことが記憶に新しいように、「ものすごい」「素晴らしい」などの意味として神という存在は記号化され軽い意味で使われている。だが上記の記事での「神」は上記の意味で使用されておらず、神の要素の一つである脅威としての意味で表現されている。それはGoogleを擬人化した「Google先生」とは対象的であり、Googleを「人間が理解しがたい現象や、説明つかないもの」として取り扱っている。これらの記事や事柄より、神という表現の中には様々な意味が含まれており、言語で明確に説明できない事柄を説明するものとして「神」という言葉が使用されているように考えられた。

この考えに基づき、記事に登場したGoogleを神と例える表現を具現化することで、人間の能力を拡張するために生み出されたGoogleを神格化させる作品を制作すると新たな発見があるのではないかと考え、制作するに至った。

b.神とは

一神教と多神教について

そもそも神とはどういう存在であるのかを考えていきたい。神を辞書で調べてみると「人間を超えた存在で,人間に対し禍福や賞罰を与え,信仰・崇拝の対象となるもの[7]」とある。また、「キリスト教やイスラム教では宇宙・万物の創造主であり唯一にして絶対的存在[8]」と補足があるように、多神教と一神教とでは神の定義や神の存在意義が変化してくるので、それぞれの違いを紐解きつつ考察していく。今回の比較としては『教養としての宗教入門ー基礎から学べる信仰と文化』[9]に基づき、日本に代表される多神教とキリスト教に代表される一神教を比較対象とする。

まず、多神教について見ていく。多神教は太古の人類社会には一般的なものであり[10]、現在ではアジアで繁栄している傾向がある。様々な種類のある多神教には一貫して「あれこれの神を一種の現象と見て、その現象の背景に宇宙的な原理があると考えること[11]」が多く、どの多神教宗教にも宇宙で一番大切なものを求める伝統が息づいている。[12]また、神も人も動物も複雑な「生態系」を織りなしており、一つにまとめることなく、それぞれの世界が成り立っている[13]。

次に一神教について見ていく。一神教は「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の3つが当てはまる。旧大陸(コロンブスのアメリカ大陸到達以前にヨーロッパ人が知っていたアジア・ヨーロッパ・アフリカの3大陸)の西の方に誕生し、繁栄していった一神教[14]は「「神」の概念が非常に重要であり、その神が唯一神へと一元化されている[15]」とあることからあらゆる事象はその唯一の神によるものであるとされる。また、正義や公平性の神という発想は上記3つの宗教に共通する大事な要素である。[16]その例として、出エジプト記に登場する十戒や奴隷制度があげられる。その中では「社会のルールを人間ではなく、神が決める[17]」という要素が含まれている。このことからわかるように、大陸で発達した一神教の役割は、正義のもとに大勢の人を共通のルールで統治しやすくするために生まれた役割を担っていると考えられる。

一神教と多神教の比較として『教養としての宗教入門』では「一神教徒は「神(唯一神)とは何であろうか? 神の正義とは何であろうか? 人間にとって神の救いとは何であろうか?」と探求し続けるゲームを行なっている人々であり、多神教徒(特に仏教徒)は「悟りとは何か? それはどのようにしたら達成されるのか?自分の現在の境地はどの程度のものか?」と探求するゲーム」[18]であると述べられている。このことから、多神教は自己を律するためのものであり、一神教は社会を律するためのものであると考えられる。

神を具現化する儀式

次にどの宗教にも共通する要素である宗教儀礼についてみていく。神は共通概念でありながら、実体がない。そのためあらゆる宗教は、何かしらの要素を加えることで概念を具現化させている。その要素のうち、一般的なものは宗教儀礼・宗教様式である。身体性のある儀礼という動作を伴うことによって宗教が単なる観念や、観念だけのものではないことを表す[19]と共に、神を身体面で感じることによって具体化させているのである。 宗教行動の例として「セマーダンス」がある。イスラム神秘主義教団の1派、メヴラーナ教団の宗教行動であるこのダンスはひたすらくるくると旋回し続けることで、神との一体化を求める。旋回のスピードは早く、高速回転ののち、トランス状態になることで、自我以外の何かを感じとる。それがメヴラーナ教団では神という存在を感じる行動であり、教団の神を存在させている行動となるのである。[20] このように日常生活では行わない特別な行為を行うものもあるが、日本での神社の参拝など簡易的なものもあり、宗教観によって様々である。

儀式や様式は形の見えない神に対しての要素である。しかしGoogleには検索画面やデザインなど、実態を表す事柄が画面上に存在する。そのため今回はGoogleに付与させる神という可視化できない存在を表現するため儀式や様式を利用することにした。

3.作品制作過程

a.Google神の確立

i.「検索」を「祈り」へ

作品制作に対する定義や手法を固めるため、自分の想像する世界観を形にするところから始めていった。まず初期段階として、ゼミでGoogleを神格化する考えを発表していく中で、神への考え方や概念が日本寄りであることを改めて自覚し、そのことを踏まえてGoogleを神として存在させるとはどういうことか、宗教要素がインターネットの要素のどの部分に当てはまるのか。そしてそれらをどのような宗教様式にするのかを考えていった。

現代のインターネットにおいて、日常的な行為であり我々の生活に密接する要素について考えた結果「検索」という行為にたどり着いた。デバイスが我々の日常に寄り添う形になるにつれ、インターネットは身近なものとして発展していった。それと共に検索するという行為は、手軽に情報を取り寄せられることから様々な人にとって習慣化している。私はこの「検索」という行為を、神や宗教での日常・習慣的なものであり、救いや答えを求める行為である「祈り」に当てはめ、「検索」を宗教儀式のように演出することによってgoogleを神格化をさせる方法を考えることを作品制作の出発点とした。

ii.映像作品の試作

検索を宗教儀式化する考えを客観的に捉えるために、現時点での形にできる自分のアイデアを整理していった。まず空想の宗教に実体感を持たせるにはどのような物が必要かを考えた末、存在を表現するものが必要であると思い至った。

作品を制作するにあたり、自分に所縁のある宗教について考えた。日本美術史の講義にて仏画や宗教画を学んだ他、学芸員課程で博物館資料について学んだ経験から、宗教を表現するには芸術作品の要素が必要であると考えた。また、自分に身近な宗教体験を考えた結果、神社やお寺での参拝作法が思い浮かび、これらを制作に繋げるため「検索を祈りとするgoogle神への宗教行動を作品とする案」と「検索を祈りとするgoogle神の宗教美術を考える案」を考え、実験的に映像作品を制作した。

映像作品は、インターネットを神と崇めている世界で行われた設定でのニュース番組の一部分を試作した。地域の催し物を紹介するコーナーのパロディとして、インターネット神のヴィジュアルの変遷に追った展覧会を紹介する内容のものとなっている。試作であるため、撮影場所は学内8号館2階廊下にて、私物のノートパソコンと友人のノートパソコンを2台借り、机に展示物のように陳列して撮影した。またリアリティを出すため、友人に来館者のように展示物であるパソコンを見てもらうカットと、短いインタビュー映像を加えた。

映像作品を制作したことで作品をどのような媒体で制作するかを考える以前に、作品で取り扱うインターネットの要素と、神や宗教的な要素の範囲を決める必要性が見えてきた。また、作品に実体感を出すために新たに必要となりそうな概念や考えるべき項目が発見できた。映像作品の試作から得たことは神への自分なりの考えを明確にすることと、作品内で取り扱う神への定義づけである。一言に神といっても、先に比較したように一神教と多神教によって異なり、宗教ごとに細分化していくと神や宗教の役割は大幅に変化してくる。そのため、この作品での神の定義を決定づけることで制作の方向性を固め、自分なりの世界観をより強固なものにしようと考えた。

iii.Googleを神格化する

google神を明確に定義づけするため、インターネット要素のどの部分を神とするかを考えた。まず1つ目は、検索アルゴリズムを神とする案である。制作動機となった記事内容からの着想であり、情報優先度を左右する検索アルゴリズムは神の采配を感じさせるものがあるからだ。2つ目は集合知としての神である。情報の海であるビックデータを神と見立て、検索という祈りの行動をきっかけに、お告げのごとく情報を引き出すことができるシステムは作品にできるのではと考えた。3つ目はGoogleやYahoo!などの検索ページを宗教に見立てた神である。既存の宗教は超次元的なものであり信仰すべき対象という共通的な概念を神とし、それぞれの宗教世界観を作り上げ崇めている。これにインターネットの要素を当てはめ、共通概念の神をコンピュータネットワークであるインターネットに定めた。そして日常に身近なインターネット要素である検索ページを宗教儀式の場と見立て、それぞれの特徴を神への解釈として宗教観に設定し、作品とする案である。

インターネットを神とする案をこれら3つに絞り、それぞれにふさわしい制作物は何かを探した結果、Googleが提供するChromeの拡張機能の存在を知った。

iv.Chrome拡張

Chrome[21]とはGoogleが提供するウェブブラウザである。様々な特徴があるが、注目すべき特徴的な機能は拡張機能である。ユーザーは自分に必要な拡張機能を自由に追加することで、カスタマイズし利便性や性能を高めることができる。拡張機能はChromeウェブストアにてインストールすることができ、企業提供のものから個人開発のものまで様々な種類がウェブストアで配信されている。また、拡張機能はウェブストアからインストールする以外にも自作することができ、ソースコードがGoogleから提供されている他、多くのサイトで解説やコードが記載されており、環境があれば誰でも作ることができるものである。[22]

私はChromeの「自分で拡張機能が制作できる要素」に注目した。Google神を形成するための宗教的要素を作品とするにあたり、神を具現化する要因である宗教儀礼と宗教様式をインターネット的な物に変換して考えていく作業を、作品内での神への定義づけと同時進行で進めていった。その中で、全く新しい物にするよりも我々が日常的にインターネットにふれる機会の中から考えることで、初めて作品を体験する人への導入が円滑であり、架空のものでありながら真実味や具体性を持たせることができると考えるようになった。そしてChrome拡張は、既存のChromeに機能を追加することで仕様変更が可能となるため、普段Chromeを立ち上げ、検索をするまでの行為をそのまま祈りに変換することが可能であると考えた。このことから作品内の神への定義づけを3案目の「GoogleやYahoo!などの検索ページを宗教に見立てた神」とした。そして、インターネットに触れる普遍的な行為や要素からGoogleを神格化させる役割をChrome拡張で表現し、それを制作物として作品制作を進めることとなった。

b.Chrome拡張での作品制作

i.Chrome拡張で表現するもの

インターネットに触れる普遍的な行為や要素をChrome拡張に取り入れるにあたり、どういた感覚が、宗教芸術要素と儀式的要素に結びつくのかを考察した。その結果いくつかの要素を3つに分割し神を感じさせる演出要素として設定した。

一つ目は視覚要素である。宗教には美術や装飾など、視覚的に表現する要素がある。それは視覚的に神や宗教を説明、表現することによって権力や力、そのものがいかに凄いかを端的に多くの人に理解させることができるためである。

二つ目は聴覚要素である。存在しないものを体感させるには、身体的な要素が不可欠であり、視覚以外にも聴覚要素が必要だからである。また、神に関連する音楽や宗教にも用途や意味合いはそれぞれ違っているが、必ず音楽という要素がある。

三つ目は自己帰属感である。拡張機能を追加したChromeは主にパソコンでの操作となるので、マウスカーソル操作とタイピング以外に身体的要素は含まれず、上記2要素のみでは印象として受動的なものになりやすい。したがって体験に没入するには視覚・聴覚以外に能動的な要素も必要であり、自らの使用感を理解できる要素が一つでもあるだけで、印象が劇的に変化しうると考えられる。

ここで自己帰属感について説明する。自己帰属感とは画面上に現れる使用者の動作の結果にタイムラグがなく、意のままに操ることが可能となることで、現実世界と画面の向こう側の世界との境界がなくなり、その結果として画面の映像が身体の一部のように感じられる感覚である。

c.試作

最初に行う試作は自分なりの課題として、上記3つの要素が実際に形としてどのようなものとなるのか、拡張機能を形にすることでGoogleを神であると演出するには具体的にどのような効果が必要であるのかをそれぞれ考えるため物として制作した。

i.試作1

まず試作1について説明していく。試作1では、視覚要素を背景画像、聴覚要素を音声、自己帰属感要素と視覚要素をマウスストーカーに置き換え、それぞれプログラムを組み、自分の考えるものをあてはめていった。マウスストーカーとはウェブページ内でカーソルを動かすと、その動きに反応し、カーソルに付属する要素のことを刺す。マウスストーカーの実装によってカーソルを装飾することができ、WEBサイトを使用する際の演出の一部として効果を成す。

試作1実装の検索画面

背景画像では検索窓の存在感をこれまで以上に出すために同心円状に色彩が変化しているJPEG画像を制作し、背景にあてはめた。音声ではgoogleでの検索とページ内更新時にサウンドが鳴るシステムをプログラムで組み、ニコニ・コモンズ[23]で配布されている音資料のうち存在感のある音と感じられた「アニメ ジョジョの奇妙な冒険 ディオの登場シーン」[24]を選び、当てはめた。カーソルストーカーでは、没入感のあるカーソルに宗教美術に共通する後光・金色要素を施したものを制作した。

試作1を実装した検索結果画面

試作1を制作したことで次への課題が見えてきた。背景画像ではプログラムコードの関係から画像のサイズや絵柄によって画像のつなぎ目が見えてしまうデザイン面での問題が現れたため、ページのスクロールによって生まれる画像の継ぎ目を無くすことを目標とした。音声では、選んだ音が検索中何度も同じ音声が流れることによって、不快に感じる課題が見えてきた。重厚で音階が下がるものほど頻繁に聞くと不快に感じ、軽快で短く、音程が上がるものほど頻繁に聞いていて気にならないということが見えてきた。マウスストーカーではより自己帰属感を出すために様々なバリエーションのマウスストーカーを制作する課題が見えてきた。また、デザインの統一や作品の幅を広げるため、視覚要素や自己帰属感の要素をカーソルストーカー以外にも含ませる方向に起動修正した。

ii.試作2

新たな課題が生まれたことで試作2を制作した。試作2では試作1で見えてきた課題のうち、視覚要素である背景画像とマウスストーカーをそれぞれブラッシュアップさせたものを目指した。またこの試作では視点を変え、googleを神にするのではなく操作者が神のような万能感や全能感を感じることで、使用者自身が神になる、あるいは神であると錯覚をするというアプローチで制作した。この考えの背景には、近年のインターネットが生活に溶け込み日常化している環境が関係する。パソコンが家庭に普及し、技術発展によりデバイスが多様化したことでインターネットは様々役割を担うようになり、あらゆることがインターネットでできるようになろうとしている。これらの現象は使用者に少なからずの万能感や全能感を与えているのではないかと考え、Google使用者を神のように錯覚させるための拡張要素として捉え、それを演出する機能を考えるという方向性で試作を行った。

試作2を実装した検索画面
試作2を実装した検索結果画面

まず、背景画像では全面をマウスカーソルとしたものを制作した。これは自己帰属感を利用し、自分のマウスカーソルのみ動くという錯覚から万能感を感じることで神に繋がるのではという観点から制作した。そして実際のカーソルに遅れて、装飾されたカーソルが付随することで操る操作から全能感を引き出した。

マウスストーカーでは自己帰属感を強めるため、マウスカーソルの存在感を消し、自分の手や道具で操作している感覚を強めるマウスストーカーを制作した。手ではカーソルの先を指差す形と、普段タブレットなどの画面を触る手の形を制作した。道具ではマジックハンド懐中電灯など、手で持ったり手の代わりとなる道具の他、メタ的な要素としてカーソルにマウスがついてくるものを試作した。

手のマウスストーカー1
手のマウスストーカー2
懐中電灯のマウスストーカー
カーソルにマウスがついたマウスストーカー

試作2をゼミで発表し試用した際に周囲からの評価が高く、Google神を考える新たなアプローチとして面白みを感じたため作品に取り入れることとなった。しかしこれまでの考えと方向性が異なるため、改めてGoogleをどのような神として存在させるかを再考した。

iii.試作から見えたもの

再考するにあたり興味深い記事を発見した。2017年3月1日、NEWSポストセブンにて《「無宗教者激増現象「グーグルは神の最大の敵」「頼るはスマホ」》[4]という記事が掲載された。記事では宗教や、宗教に救いを求める人の数が激減し、無神論者が増加している内容から始まる。宗教入信者の現象は新宗教に関わらず、既存の宗教にも見られる現象である。入信者減少の一途を辿る原因の一つとして注目されているのは、インターネットの発達と一般化によるものだという。人間関係のネットワークとしてコミュニティ形成の役割や、答えを探し救いを求める人たちは、インターネットを活用し、誰とでもいつでも繋がれ、情報を検索することによって答えを自らの手で見つけ出している。この傾向は日本だけでなく全世界的なものであり、アメリカの研究機関は無宗教者とネット利用者の増加に相関関係があるとし、「グーグルは神の最大の敵」「神殺しの犯人」と言われている。

この記事を発見した際、既存の神はインターネットによってこれまでの役割を奪われいる他に、インターネットが使用者を神のように拡張しているという二面性があるように考えられた。よって、これらを形にするため、作品としてこれまで制作の軸であった「検索=祈り」を考えの中心から外し、既存の宗教を参考に制作した試作1と合わせ、「記号的な神の要素を付与することでGoogleを神格化する機能」のものと、試作2より生まれたものを発展させ「Googleが使用者を神と感じさせる機能」をそれぞれGoogleを神格化する物として制作し、2つを1つの作品とした。以下はそれぞれについての説明である。

4.作品説明

a.記号的な神の要素を付与することでGoogleを神格化する機能

ファイル名「kami_mouse」

検索画面のページ

このChrome拡張は主にマウスストーカー、背景画像、音声を使用し、宗教芸術をChrome拡張に取り入れることで、記号的な部分から神を演出したものである。

一言に神と言っても意味としては無数の存在・役割をもち、信者それぞれのバックグラウンドや環境、宗教観によって様々な役割を成す。また、記号的な意味合いを使用するには共通認識のものが必要であるためここでの神は特定する必要があり、今回は既存の宗教芸術をの中でも世界で一番信者が多く存在するキリスト教の物を参考とした。

マウスストーカーにはシスティーナ礼拝堂天井画に位置するミケランジェロ作『アダムの創造』[25]から抜粋している。神がアダムに生命を吹き込む場面から神を切り取り、カーソルのを指差す。

背景画像はステンドグラスを参考に、Googleのロゴとマークでデザインしたものを使用した。ステンドグラスはキリスト教を代表する宗教美術の要素の一つであり、教えや聖書の物語を伝える役割をもつ。作品ではGoogleがどういうものかを図式化した絵をIllustratorで作成し、ステンドグラス調に加工したものを使用した。

音声では教会の鐘の音を使用し、ページが変わるごとに音がなる設定とした。

検索結果のページ

b.Googleが使用者を神と感じさせる機能

ファイル名「bannou_zennou」

検索画面のページ

大量のマウスカーソルが配置された画像を背景画像にできるChrome拡張でぬある。自分のカーソルのみ動かせる環境を擬似的に生み出すことで全能感を生み出す。試作で生じた課題を解決するために、スクロールの際に生じる画像の境目をなくすことを可能とした。また効果として自己帰属感が得られるものを目指した。

検索結果のページ

i.カーソルと「道具」

人が道具を使うときを考える。例えば野菜を一定の形に加工したいとき、手だけでは不可能だが、包丁という道具を使うことでそれが可能となる。このように道具は、手の補助であったり、脚の代わりとなるなど、身体の拡張的役割を果たしている。

道具が手足の代わりになるには、使用者が道具の特徴を感覚的に捉えるからであり、これまでその感覚は触覚が主な器官であった。しかし、今回の作品でも使用するパソコンは、キーボードやマウス操作が主な道具に対する扱い方であり、パソコン上で行う作業内容は違えど、行動は統一されている。道具に必要である身体的な体験や要素が、操作内容に関わらず同じであるため、道具であるパソコンに対する使用感・没入感が必要となってくる。そのためには触覚以外の感覚である視覚と聴覚による効果が必要となる。この作品では視覚による効果に注目し、画面上の複数のカーソルからマウスやトラックパッドを自ら動かすことによって自分のカーソルを見つけ、使用感を実感する仕組みとなっている。

ii.道具と使用者

身体が拡張されることによって使用者のアイデアや思いが発展され、道具の使い方に種類が生まれる。先ほどの包丁の例で言うと、「ぶつ切り」のみだったものから「いちょう切り」や「小口切り」など、料理や食材によって使用方法は変化していく。この変化は道具を使う対象物の変化も含まれるが、それ以上に使用者の道具への成熟度が成すものだと考える。使用することで道具の形状や癖を理解し、使用者が合わせていくことで、道具と使用者のとの間には壁はなくなり、手足となる。それらを意のままに動かすことで使用者の能力を大幅に増幅させ、新たな表現や行動を生み出すのである。

使用者自身は徐々に意のままとなる道具の扱いに一体感を感じ、それらが万能感や全能感を生むと考えられる。この作品の場合では、画面上は見慣れない風景が広がっているが、カーソルを動かしていくことによって画面上のカーソルと手の境界は徐々になくなり、自分が神のように意のままに操作しているという感覚が感じられる。カーソルを意のままに動かせることによって万能感や全能感が獲得されることによって、自分が神であるような錯覚に陥らせることがねらいである。

5.制作後記

制作した感想としては、Googleを尊ぶ存在にまで昇華できたかに関しては個人の使用感によって変化してくると感じた。しかしGoogleを使用する際の実感として、既存の宗教にまつわる宗教美術がGoogleを神として存在させる手助けをしているように感じられ、演出面では成功しているように伺えた。

Googleを神にまつわる要素で拡張することをテーマに制作を始めたこの作品は「既存の神にまつわる要素で検索を演出し神格化させるもの」と「使用者に万能感や全能感を与えることを目的としたもの」それぞれ2種類のChrome拡張を1つとする作品として完成した。Googleは「Google神格化キット」を実装することによって神の性質をもつ道具となり、尊ぶべき存在へと変化した。そして神格化されたGoogleを使用することで、使用者は万能感や全能感を味わうことによって自分が神になったかのような感覚となるのである。

神格化された道具を使用するという形式に類似したものがある。それは四国八十八ケ所巡礼で使用される「同行二人」という言葉である。この言葉は、お遍路が弘法大師と二人ずれという意味であり、遍路では一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされている。遍路で使われる杖には弘法大師が宿ると言われる。[26] この場合では神が道具に宿っている訳ではないが、神格化された存在が道具に存在し、使用者の拡張要素とされシステムは、今回の作品と類似している。しかし道具の役割の面での違いがある。「同行二人」と書かれた杖は、杖の役割でしかなく、弘法大師は巡礼者を守る存在であり、心の支えでしかない。しかしGoogle神格化キットは、役割の中に万能感や全能感を演出する要素があり、それは神の要素に由来するという点である。

万能感や全能感による「神を道具として使う」という要素は考え方によっては弊害が生まれる可能性がある。万能感、全能感を得たことによる慢心である。慢心から優越感を感じることによって、他者に対して害を与える可能性が生じる。これを防ぐためには神への敬意が必要である。既存の神である多神教と一神教の考え方に基づき、正義のために自分を律するという考え方が重要であると考える。

6.参考文献

  1. Google (最終アクセス:2017/12/15)
    https://www.google.co.jp/
  2. 島田裕巳『スマホが神になるー宗教を圧倒する「情報革命」の力』(角川新書) 2016.
  3. 世界40カ国、主要検索エンジンシェア(PC、モバイル)【2017年4月】(最終アクセス:2017/12/10)
    https://www.auncon.co.jp/corporate/2017/0420.htm無宗教者激増現象「グーグルは神の最大の敵」「頼るはスマホ」(最終アクセス:2017/12/15)
    https://www.news-postseven.com/archives/20170301_493278.html?PAGE=2
  4. グーグルは神なのかー日経ビジネスオンライン (最終アクセス:2017/12/15)
    http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140612/266771/?ST=smart
  5. ユーキャン新語・流行語対象 第33回 2016年 受賞語(最終アクセス:2017/12/15)
    http://singo.jiyu.co.jp/award/award2016.html
  6. 三省堂 大辞林 「神」(最終アクセス:2017/12/15)
    https://www.weblio.jp/content/神
  7. 同上
  8. 中村圭志『教養としての宗教入門ー基礎から学べる信仰と文化』(中公新書)2014.
  9. 同上 ,37.
  10. 同上 ,41.
  11. 同上 ,42.
  12. 同上 ,37.
  13. 同上 ,41.
  14. 同上,42.
  15. 同上 ,30.
  16. 同上 ,31.
  17. 同上 ,47.
  18. 同上 ,116.
  19. メヴラーナとセマーについて(最終アクセス:2017/12/15)
    http://www.geocities.jp/sora_arimasu/tk05sd.htm
  20. Chrome(最終アクセス:2017/12/15)
    https://www.google.co.jp/chrome/browser/desktop/index.html
  21. サルでもわかる!Chrome拡張と拡張機能の使い方(最終アクセス:2017/12/15)
    https://allabout.co.jp/gm/gc/434085/
  22. ニコニ・コモンズ(最終アクセス:2017/12/15)
    http://commons.nicovideo.jp/
  23. ニコニ・コモンズ「バーン」(最終アクセス:2017/12/15)
    http://commons.nicovideo.jp/material/nc87906
  24. MUSEY 『アダムの創造』 作品紹介(最終アクセス:2017/12/15)
    https://www.musey.net/1602
  25. お遍路のススメ/お遍路さんの基礎知識(最終アクセス:2017/12/15)
    http://www.maenaem.com/henro/bas.htm
  26. 渡邊恵太『融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論』 (ビー・エヌ・エヌ新社)2015.