新しい家族のカタチ

もえの
4 min readNov 19, 2016

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「来週から誰のために晩御飯つくればいいの?」

上京3日前のことである。

私の家は5人家族だ。

姉2人と父母で構成されている。

私は3姉妹の末っ子で生まれた時から高校卒業までずっと沖縄で育ってきた。

私が中学生になった頃に長女も次女も県外と海外に行き社会人になり、あまり家には帰ってこれなくなった。

父も仕事の関係で月に2.3回しか沖縄には戻ってこず、ずっと海外にいる。

そんな中で母と私は毎日ほとんど2人で生活をしていた。仲がいい親子と周りからはよく言われる。

毎日家に帰って、今日あったことの話をしながら母親と晩御飯をつくる。お互いのリラックスできる時間だ。

いつものように母の料理を手伝っている時だった。

母は笑いながらいつもの調子で

「来週から萌乃がいないことが考えられないなー。本当はすごく寂しいの。もう30年も子育てして来て、子供がいない家が考えられない。来週から誰のために晩御飯つくればいいの?」といった。

母の顔を見ると涙を浮かべていた。

「ごめんね。すぐ戻ってくるから。大丈夫だよ。」

と答えた。

母はポロポロと涙をこぼし出した。

私は「ごめんね。」ということしかできなかった。

母が今まで私の前で泣くことは一度もなかった。

きっと母の中で様々な葛藤があったのだと思う。

今までずっと言わずにいたのだろう。

母の涙を見た私はひどく落ち込んだ。

自分の大切な人が自分のことで辛い思いをして葛藤しているということが苦しかった。

ご飯を食べおわりすぐに姉に連絡をした。

泣いてしまう私に姉は「萌乃辛かったね。ごめんね。私が上京するときはまだ萌乃が家にいるからって甘えてた。」といった。

そんな姉の言葉を聞いて「私、やっぱり県内の大学にすればよかったのかな。」とつぶやいた。

すると姉は、

「自分の人生なんだから自分で決めなさい。でもお母さんはきっと大丈夫だよ。これから、時間がかかるかもしれないけど新しい家族のかたちをまた皆で作っていこう。」といった。

新しい家族のかたち。できるのだろうか。そもそも新しい家族のかたちってなんなのだろうか。

そんなものつくれるのか。私には自信がなかった。

上京前日になった。

父親が帰ってきた。そこで母親が最近から精神安定剤を飲みだしたことを聞かされた。そういえば、夜中廊下で足音が聞こえると思っていたが、眠れない母が薬を取りに行く足音だったのかもしれない。

苦しかった。

こんなにも母にきつい思いをさせてまで私は上京する必要があるのだろうか。ここでやめてしまって、沖縄に残って生活しよう。そう考えることもあったが、それでも大学に行って自分のやりたいことをしたいという気持ちがあり、せめぎ合っていた。

それでも自分の答えはでていた。

ここに今、留まることは自分のプラスにもならないし、何の解決にもならない。本当は分かっている。

上京当日。

午前中の便だった。母は空港まで私を送ってくれた。

搭乗口に着くと「じゃあね。頑張るのよ。」と母がいった。

さらりと別れた。泣きもせず。後腐れもなく。

いつもの学校にいくような感じだった。

こっちに来てからはそんなに連絡はとらなくなった。一番の理由は連絡する用がないから。それと、私も母親もマメに連絡を取り合うことが苦手だからかもしれない。

そんなある日家に帰ると母親から仕送りが届いていた。たくさんのお菓子と食料の中に小さな紙がはいっていた。

「萌乃にたくさんの素敵な出会いがありますように。」

と一文だけ書かれてあった。

それから三ヶ月に一度母からは仕送りが届くようになった。

大きな段ボールが届くと、私はすぐに母に連絡をする。

用がないと連絡できない私をきっと母はわかっている。

母親から送られてくる仕送りの中身

先月送られてきたダンボールの中に串カツソース味の駄菓子が入っていた。あまり母の好まないようなお菓子で、気になったので電話をすると、「お父さんが横から入れてきたの。あんまり食べ過ぎないでよー。太るわよ。」といった。なんだか母らしくて笑った。

上京前に姉が私にいった新しい家族のカタチ。

少しわかった気がした。

一人一人の人生と共に家族という集合体はカタチを変える。

家族のカタチは常に変化をし続け、答えはないのかもしれない。

だからこそ、これからは変化するということを受け入れ、カタチを支える立場になれたらな。と思う。

今の居心地の良さが、また新たな家族のステップと共に変化をし、カタチを変える。

なんだか少し寂しい気もするが、今はとても楽しみでもあるのだ。

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