ビジネスパーソンとデザインパーソンが分かりあうために必要な全然スマートじゃないけど大切なたった3つのこと
※本コラムはUX TOKYOの例年イベント、UX TOKYO Advent Calendarへの寄稿用として、自身の思考の整理のためにまとめた私感かつ思索途上の記録ですので、稚拙な考察・提言は何卒寛大に看過ください。色々ご意見頂けると嬉しいです。
ビジネスのひとと、デザインのひと、は仲が悪いの?
企業内において重要な顧客理解や最適なUXの共有には、とかく関係者間で穏やかではない空気がつきまとう。
より正確に言うと、関係者がそれぞれ”自分にとって重要な顧客”をてんでバラバラに見ている、という状態があちこちで起こっているということだ。
その中でも、主に事業の側面から自社のビジネスや顧客を見ている「ビジネス側のひと」と、デザインやユーザー体験、ブランドという観点から自社の製品・サービスや顧客を見ている「デザイン側のひと」との間の仲が格段によろしくない、といえるのではないだろうか。
なぜこういったことが起こるのか?
”そして、どのようにすればビジネスパーソンとデザインパーソンは分かりあえるのか?
既存事業におけるUX探索の壁
市場において成熟度が増してくる既存事業においては、製品やサービスの価値を維持・拡大するためにデザインチームやリサーチチームが新たな機能価値・サービス価値を見出すためのユーザーリサーチやアイデア開発を事業部門から依頼されることも少なく無いだろう。
このような、すでに製品やサービスが存在しているいわゆる既存事業において、前述の「ビジネスとデザインの分かりあえなさ」は頻繁に起こっているように感じる。
この問題の原因として、下記の3つを挙げたい。
1.先入観
2.自己否定への恐怖
3.言語と文化の違い
1. 先入観
事業部門は少なくとも社内の(場合によっては社外も含め)もっとも長い期間、自社の製品やサービスのことを見ているひとたちであるといえよう。
より深い専門知識や市場における”常識”にだれよりも精通している立場だからこそ、見えなくなるものがあるのではないだろうか?
下記の図は、あるテーマに関する習熟性と能力に関する相関性の模式図である。
物事に慣れてくればくるほど細部を見る能力、つまり「理解するちから」は増してくるが、一方で全体的に起きていることが俯瞰的に見えたり、ちょっとした違和感に「気づく能力」は減少してくる。
例えば言うなら、小さな子どもが新しいおもちゃや風景を初めて見た時に感じる「なんで?」「どうして?」という素朴な視点を、経験と理解というフィルタが曇らせてしまうのである。
長く自社の(立場で)製品やサービスを見過ぎたビジネスサイドのひとにとって、デザインサイドのひとが洞察して持ってくる本当の顧客の声や行動は、自分たちの常識の外にあることが少なくない。
これを解消するためには、ユーザーを知る、再理解するプロセスにビジネスのひとも巻き込むことが必要である。『ユーザーを理解することが重要』とはよく言われるが、実はさらに重要なのは、『どのようにユーザーを理解するかというコンテクスト』の方である。
理屈より共感を。データは重要であるが、それを超える感情移入を分かち合うことをより重要に扱うべきである。
これまで「自社の事業の視点」でユーザーや市場を見がちであった彼ら・彼女らと、「顧客の視点で起きているできごと」を一緒に見る機会をつくろう。
自分たちには思いもよらなかった体験を顧客はすくなからずしていることの可能性に目を凝らし、耳を傾けるという企みを、ビジネスとデザインの双方のひとが共有しよう。
2.自己否定への恐怖
前述のように「顧客の視点で起きているできごと」を起点に製品やサービスを考えていこうとする時、一部の企業では不都合なことが起きる。
それは、これまでの製品・サービス開発のプロセスが「ユーザー起点のプロセス」でなく「自社のビジネスにとって都合がよいプロセス」で行われてきた企業に顕著である。
こういった企業の多くはもちろん悪意があって「作り手都合」であったわけではない。
モノがすくなく作れば売れる時代が長かった日本において、「お客様を大切にする」ということと、「お客様を中心に製品やサービスを考える」ということは、残念ながら分断されて扱われきた歴史がながいことによる弊害だと言える。
このような「作り手都合」で製品やサービスを考えてきた企業の、特にビジネスサイドのひとたちにとっては、「ユーザー中心の発想」はこれまでの自分たちがやってきたことを全面否定することであるかのように感じられ、強い拒否感と恐怖心を与える。
これはもっともなことで、人間には自我を維持するために自己否定を排除する性質が生来備わっているからだ。
実に仕方がない。
このようなコンフリクトを解消するために必要なことはただひとつ。
ユーザー視点の代弁者となって社内の関係者と協業する媒介になるべくデザインパーソンは、決してビジネスパーソンを「間違ったひと」にしてはいけない、ということである。
特定の「ひと」が間違いを犯したのではなく、これまで正しいと思い込んでいた「プロセス」が間違っていただけであり、「適切なプロセス」をこれから使うことによって間違いは正される、ということを組織に啓蒙・浸透させる橋渡し役になることである。
3.言語と文化の違い
ビジネスパーソンにとって最大の誤解は、デザインが色や形などの意匠に関する価値しか持っていない、という表層的な理解に留まっていることが大きい。
デザインパーソンが使う「デザイン」という言葉には、より広い価値創造の領域を扱うもの、という意味が込められている。
ただ、双方にとってこれらは同じ単語でも、違う意味をもった「言語」として捉えられていることが大きな問題であるといえよう。
この点については、双方の理解と歩み寄りが欠かせないことは言うまでもないことだが、特にデザインパーソンからビジネスパーソンに対する”ユーザー中心の製品・サービス発想や、デザイン思考による創造的発想がビジネスにどのような価値をもたらすか?”という提案をよりゴールオリエンテッドなものや、具体的な数値を伴ったものにする努力と工夫が求められる。
言うなれば、ビジネスをとりまく様々な関係因子や環境の中でエコシステムとして成立しうるシステム思考に基づいたデザインであることが重要であるといえる。
ジョン・マエダ氏が2014年のサウス・バイ・サウスウエストで行った講演「Design to De$ign」の中でも語られているように、デザインはコストのかかるもの、から、コストをかける価値のあるもの(Design is moving from “costly” to “worth the cost”)になっていかないとならない。
モノが単体で成立できた時代は過ぎ去り、製品やサービスが複雑化する現代においては、サービスブループリントのフロントエンド(顧客との接点)の最適化だけでなく、バックエンド(自社内のオペレーションや関連する仕組み、リソースの稼働)の最適化までをも視野に入れたデザインが欠かせなくなってきている。
これからのデザインパーソンは、ビジネスにおける問題解決についてもビジネスパーソンと同等の立場で模索し合える素養と経験がコンピテンシーとして期待されるだろう。
勝手なまとめ(問題と解決方法)
1.先入観
→コンテクストを分かち合う。理屈より共感を。そして、データを超えた感情移入を。
2.自己否定への恐怖
→相手を「間違ったひと」にしない。デザインパーソンは「間違ったプロセス」を適正化する橋渡し役になるべし。
3.言語と文化の違い
→ユーザーを中心においた「共通言語」を分かち合い、システム思考でビジネスとデザインを考える。
みなさん、よいクリスマス、そして新年を。
ごきげんよう
23.Dec.2015 Yuichi Inobori