“ぼやけた世界”くらいがちょうどいい

今年に入ってから視力が低下したみたいで、度の合っていないコンタクトをしています。駅の案内も見えないし、前からくる人の顔もよく分かんない。

夏頃からさらにぼやけるようになってしまいました。度の合わないコンタクトをしていると視力がさらに低下するよ、と言われていたのですがなるほどその通りだと実感しているところです。

でもなんだか居心地がよいんです、ぼやけた世界って。

「いまは情報洪水の社会だ」てよく言われますが、公共の場所に行くと情報ばっか。看板や案内、ニュースなどなど、あまたの情報を浴びるのがしんどい。

いまはほとんどがぼやけて見えます。色や形は判別できる。

文字は見えないけど、読み取ろうとすることはしなくなった。

「赤と青が並んでいるってことはあっちにトイレあるな」「緑と青の看板ってことは、ファミマかな」「紫色の◯だから、あっちに半蔵門線か」「右から電車の音がするから、こっちに歩いていけば駅に辿りつける気がする」

余計な情報を受け取らずになんとなくで生きていけるほど世の中が整っていることにびっくり。そして視覚に頼りすぎてるのかも、と実感しました。色と形さえなんとなく把握できれば、だいたい大丈夫。あとは音とニオイも使える。

そう考えるととっても気楽になりました。もう目をしかめることもなくなった。「見えないからいいや」って、すごくいい思考。

メガネもコンタクトもせずに裸眼で街を歩く。音と匂いとぼやけた視界を頼りにふらふらと歩く。なんとなく、で目的地にむかう。それくらいがいいな。

情報が必要なときは自分から収集すればいいし、街なかにあるあまたの(無駄な)情報に自身から晒されることはない。

ぼやけた世界で生きたほうが生きやすい世の中なのかもしれない。視力は落ちちゃうけど。

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