家事育児とチームプレイ

Nakano Kyohei

最近は家事や育児に参加する男性が増えてきていて、それ自体はとてもいいことなんだけど、なかなかそれを手放しでは喜べない、何かこうモヤモヤする、という話も主にオンライン方面から聞く事が多くなりました。

例えば「イクメン(夫)ばっかり褒められてズルい問題」。パパはちょっと育児をしただけ、少し家事を手伝っただけで「偉いね」「立派だね」と褒められる(身の回りの人からも、社会からも)。今までずっと家事育児を誰にも褒められずに頑張ってきたママからすると、やってもらって助かる気持ちはあるけど、しっくりこない。私かやるのは「当たり前」で、パパが「手伝う」と褒められる。不公平じゃない?

例えば「夫の家事クオリティがイマイチ問題」。手伝ってもらえるのは嬉しいけど、料理を作って後片付けしないとか、サランラップが切れたのに替えてないとか、そのお皿が収納されるべき棚はそこじゃ無いとか、色々とやり方が雑だったりする。妻からすると、今まで自分はもっと丁寧にやってきたし、そのことを軽視せず、理解して気を配って欲しい。

わかる。実際に力が足りない事も多いはず。
(僕だけがダメな夫の可能性も、大いにありそうだけど。)

その上で感じるのは、これは家事育児が “ソロプレイ” から “チームプレイ” へ「質的な」変化を遂げているんじゃないかということです。

今まで一人でやってきたことを複数人で分け合う体制に(社会全体としても)移行しているので、チームプレイ特有の難しさに直面しているんじゃないかと感じたんです。例えば先ほどのような問題であれば、

  • タスクの把握(家の中にどれだけやらないと行けない事があって、誰がどれだけやっているのか)
  • 各人のタスク分担、クオリティラインの確認
  • 暗黙知/決定事項の共有(この洗濯物はネットに入れる。消耗品の替えはここに置いておく、とか)

みたいなことが少なくとも必要なのかもしれません。

家庭内での事に置き換えると大げさすぎて冗談みたいですが、複雑な課題をを複数人で分担するにはこういった事が必要で、管理やコミュニケーションのコストがあるから、労働力としては 1 + 1 が 1.6 くらいにしかならないという認識を共有すべきなんじゃないかなあと。

ホワイトボードに付箋を貼って家庭のタスクを管理しよう!ということではもちろんなくて、二人で家事育児をするというのは、辛抱強く話し合い確認を繰り返して、初めて機能する難易度の高い協力プレイなんだという認識が必要なんじゃないかと思ったんです。そもそも難しい事に挑戦してるんだから最初はかみ合わなくても当たり前だよねと。

お互いに粘り強く対話出来るかどうかで、前時代的な対立構造に戻ってしまうのか、自律的な強いチームになれるのかが分かれる、今の時代はその正念場なのかもしれません。

少なくとも、「これは複数人で何かをする事の難しさなんだ」という視点があると、「自分 vs相手」の構図から「わたし達 vs 問題」の構図に持っていけるので、とても良い気がします。

まあでも人間には感情があるから、なかなか思い通りに出来ないものですけどね。

Nakano Kyohei

Written by

Atmoph co-founder, Software Engineer, Trail hiker.

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