バベルのタワーレコード



2008年10月15日発行 SITE ZERO「情報生態論──いきるためのメディア」寄稿

私はすっかり音楽が作れなくなってしまった。

のっけから私事で恐縮だが、どうやらスランプに落ち込んでしまったようだ。ミレニアムを前に遅まきながら音楽制作を開始し、2002年に最初のEPをリリースして以来、私は細々とではあるがコンスタントに音楽を発表してきた。それが2005年のリリースを最後にぱたりとつくれなくなってしまった。思いつく理由はいろいろある。仕事が忙しい/単純に歳を取った…。何が答えということはできないが、自分と音楽の関わり方がここ2、3年で大きく変化したのは確かである。

もちろん、音楽を聴かなくなったわけではない。今でも私のコンピュータのハードディスクには、一万曲以上のMP3ファイルがストックしてあるし、iPodとヘッドフォンは片時も手放すことがない。人生の中で、今ほど音楽に囲まれた生活を送っている時期はなかった。同じことは多くの読者にも当てはまるではないだろうか。「世界最大のジュークボックスが欲しければ、目をつぶってYouTubeを『聴く』とよい」というアドバイスもあるように、インターネット全体がユニバーサルなジュークボックス になりつつあることが、こうした傾向を加速させる。ワンクリックで自分の好きなありとあらゆる音楽が聞ける環境。かつての音楽ファンにとってはユートピアのような現実が実現した当初の反応は、ボルヘスの「バベルの図書館」の主人公の感じた「途方もない歓び」に近い。

しかし、同じように「途方もない希望の後に度の過ぎた落胆が訪れ」ることになる。人類の歴史が営々と築き上げてきた圧倒的な音楽の集積の中には、自分が聴きたかった、あるいは作りたかった音楽に近いものがどこかに眠っている。Google, iTunes Music Storeのようなデータベースと検索の仕組みは、そのどこかに存在するかもしれない楽曲へのアクセスの可能性を、不確実ながら現実のものとして提示してしまった。レコードやCDの棚が並んだ中空の回廊が無限に続くレコード屋を見渡すかのように、圧倒的な量の音楽へのアクセスが実現したとき、アーティストは時に無力感にさえ襲われる。現存するアーカイブに自分の創作を付け足すことにどんな意味があるのか。そもそも新しい音楽などありうるのか。巨大な創作物のアーカイブは、より新しいものを常に指向する制作者にとってはディストピアにもなりうる。

MP3にiPod, iTunesなどのテクノロジーが音楽とそのリスナーの関係を大きく変えたことは今更ここで書くまでもないことだろう。音楽が売れなくなることに対しては、レコード会社同様、私も私の音楽仲間も一様に心配している。同時に、パッケージとしての音楽が現状にそぐわないことが自明化するなかで、曲やアルバムといった単位に基づいた音楽のあり方の先行きに漠然とした不安、不透明感をも感じる。合法/非合法的を問わずMP3ファイルがネット上にあふれている現状を、私たちが生きる21世紀的「環境」として受け入れ、新しい環境に適応した音楽のかたちを考える時期に来ているのではないだろうか。

音楽の未来という遠大なテーマを、自分のスランプと結びつけることにかなり無理があるのは十分承知している。それでも私は、ひとまず曲を作ることをやめ、実際に新しい音楽の形を考えてみる、そしてそれを可能にするテクノロジー、あるいはシステムを構築することを自分に課すことにした。Logicのドングルを外しMPCを押し入れに片付けて、JavaとSQLを手に新しいWebサービスを作り始めた。

音楽へのフリーなアクセスが実現した現在の環境が、消費者がフリー=「無料」で音楽コンテンツを入手することを可能し、レコードの売り上げが世界的に減少したというのが、すでに繰り返し聞かされてきたレコード会社のシナリオである。ここでフリーを「自由」ととらえてみる。つまり、ネット上の膨大な音楽データを「自由」に扱うことができたら、何が可能になるのか。

このシンプルなアイデアのもとに筆者が制作し、ベータテストを始めようとしているWebサービスがある。このサイトは、ユーザがネットワーク上の楽曲データから、特定の部分を抜き出し再構築することで新しい音楽を作り出すことを可能にする。ユーザが抜き出す楽曲の一部というのは、一般に「ブレーク」と呼ばれる比較的音数の少ないドラムのリズムや間奏のアカペラ部分などになるだろう。 既存の楽曲の一部を繰り返し再生(ループ)し、そこに別の楽曲のループやボーカルをかぶせることで別の楽曲を作り出す制作手法は、マッシュアップ/Mashupと呼ばれる。

元になる音楽データとソフトウェアさえあれば、誰でも比較的簡単に新しい「作品」が作り出せる手軽さがうけて、マッシュアップはここ数年来ブームの様相を呈している。消費者と生産者の境界を曖昧にするプロシューマの台頭という意味でもすぐれて今日的な音楽ジャンルと言えるだろう。このマッシュアップの流行と音楽データがネット上にあふれている環境に適応する形で、音楽のファイルそのものではなく、楽曲の中に含まれるループやブレークの情報を共有することに思い当たった。本サービスを端的に言い表すとすれば、マッシュアップのためのSNSということになるだろうか。

具体的な利用の流れは、ユーザが適当な音楽ファイルを検索するところから始まる。ある程度有名な曲であれば、見つかった楽曲/ファイルに対して、すでに他のユーザがループ情報をタグ付けしていることが考えられる。その場合は、タグ付けされたループを聴いて気に入ったものを選択すればよい。選択してシステムにロードされたループは、グラフィカルなオブジェクトとして画面上に表示される。こうしてロードされた複数の楽曲に由来する複数のループを、画面上で組み合わせてミックスしたり、ミックスの間に順序付けを与えることで楽曲のような時間の流れを規定することができる。ミックスの流れやミックスされる対象となるループを、確率的に変えるといったランダム性を持たせることもできる。一般的な音楽ソフトウェアで用いられている横軸のタイムライン表示を排し、ブロックの組み合わせて遊ぶようなインタフェースにしたのもそのためである。こうして作成したマッシュアップは、サイト上で公開することができ、他のユーザはメタマッシュアップ ー マッシュアップのマッシュアップを作って公開することも可能である。

一方、検索して見つけたファイルがタグ付けされていない場合は、ユーザ自身がループの位置を指定する必要がある。そこで、波形編集画面上でのループの設定を支援するために簡単な楽曲解析を実装した。技術的な詳細には触れないが、ポイントとなるのは、できるだけバラエティーに富んだループを、きれいにループさせて取り出すことにある。そこで、楽曲に含まれる音の周波数分布が極端に変化する部分を抜き出すことで曲の大まかな構造を推定し、同時にその繰り返し構造から曲のテンポを推定している。

こうしてユーザがマッシュアップやメタマッシュアップを作る行為は、写真を撮る行為になぞらえることができる。写真が対象のある側面を切り取って、別のコンテクストの上に落とし込む行為であるのと同様に、マッシュアップを既存の複数の楽曲のある側面を切り取って組み合わせたものととらえることができないだろうか。写真と一口にいったときに、不特定多数に鑑賞されることを前提とした写真とアマチュアのスナップ写真が存在するように、音楽も従来的な意味での音楽とスナップ写真的な音楽が共存することになる。つまり、マッシュアップを作るのが容易であればあるほど、従来の意味での音楽とは別の何かとして受け取られることになるはずだ。本システムが目指すのはそれを可能にするツールである。

ベータテストに向けて実装中(2007年12月現在)の本システムが稼働すると、音楽紹介/発見のためのシステムとして、アーティストと楽曲のロングテールの掘り起こしにつながることも期待できる。例えば、既知のマドンナの曲と全く知らなかったニュージーランドのダブバンドの曲のマッシュアップを聴いて、ウェリントンの音楽シーンに興味を持つようになるかもしれない。そのマッシュアップの二次的なマッシュアップを作るに至って、マドンナの曲に新たな側面を見いだすことになるかもしれない。そこでは、膨大な楽曲データの集積が担保する偶然性の妙が大きな役割を果たすはずである。こうしたセレンディピティが、従来はタワーレコードのようなレコード店のベテラン店員のおススメが果たしていた役割の一部を肩代わりすることになる。また、ユーザが遊びながらループのデータベースを集積的に築いていく過程は、AmazonのMechanical TurkやGoogle Image LabelerのようなHuman Computationの一種として考えることもできるだろう。曲を構成するパーツ、音のモジュールのデータベースが構築されることで、音が曲というしばりから解放され、別のコンテクストで別の音楽として生きる可能性を開く。

一方、ネガティブな見方として誰もが考えるのは、このシステムから「良い」音楽が生まれるのかという疑問である。私の答えとしては、名曲が生まれることはないだろうし、必ずしも名曲が生まれる必要はないということになる。上述の写真の例えを続けるとすれば、写真を撮る人全員が写真家のように写真を撮る必要がないのと同じである。より現実的な問題としては、著作権の三文字が浮上する。写真技術が誕生した際にも、被写体の権利が問題になったことがあったが、時代とともに法や常識が現実に即した形に落ち着いていった。同じように音楽がユビキタスになった現実に即した法体系が生まれるものと期待していると書くと楽観的にすぎるだろうか。

果たしてこのシステムが文頭に述べた私の不安に対する答えになるのか、わたしにはまだよくわかっていない。それでも、現在の環境に即した新しい音楽のあり方の可能性を提示していると信じたい。一つ、このシステムを通してはっきり見えてくるのは、マッシュアップされることを前提とした音楽である。永遠にベータ版な完成することのない曲。そこには、従来、曲という形でメディア上に定着させるために、切り捨てざるを得なかったバリエーション、ありえたかもしれない曲の形をも包含するものになるだろう。

少なくとも、自分の作った曲が圧倒的な音楽の集積の中に埋もれていくだけに任せるのではなく、未来のリスナーがそれらを再発見し別の曲とともに新たなコンテクストの上で楽しむ可能性は担保される。自分の作品が音楽文化のネットワークの中に織り込まれていく様を目の当たりにする、そんな粋な希望のおかげでわたしの創作欲も華やぐ… のかもしれない。