『アメリカの公教育の崩壊』プロパガンダから読む、日本の教育のチャンスについて一筆書いてみた

Ning Shirakawa (白川寧々)
11 min readJan 10, 2019

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『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』鈴木大裕氏の「日本の公教育の崩壊が大阪から始まる」に対する、公教育VS新自由主義まわりの議論について首を突っ込んでみた。

#HeroMakers などという、「既存のシステムにいる現場の先生をエンパワーして好きなことを好きにできるようにするアントレプレナーシッププログラムを政府資金でやっている」立場の私なので、「公教育と教員と平等」に対するスタンスは、ある程度お察しいただきたいのだが、くだんの大阪の公立や私立の先生ならびに関心が高い先生たちの注目も集めているこの話題なので、どうしても私から見たほうの世界を語らずには居られなくなった。

私のスタンスとしては、

1. 公教育は機会平等という意味でも、市民教育という意味でも、国力(から派生する個人の幸せや社会秩序)という意味でも、崩壊させるに任せるのは、イクナイ。あと、格差もイクナイ。2000年台中盤、「格差」や「下流社会」「勝ち組負け組」が面白半分に話題にされ、2010年中盤以降ようやく笑えなくなるくらい世間に認知されるようになったが、まだ一般認識で自己責任論が目立つ。

(これは、勝ち組志向のあるインターAND私立主義な人たちにも共有してほしい感覚です!「うちの子さえ生き残れれば」感覚は誰の幸せにもつながらないですよー)

2. 今回検討されている「学力テストの出来で教員のペイを上下させる」メリットペイ制度は、確かにアメリカではあんまりいい結果を生んでいないし、日本でも産まない可能性のほうが高いだろう。私も賛成だとは言わない。

3. 学力テストの点数がそのまま、今後の世界を生き抜く力に直結するかといったら、しないだろう。その能力指標は、めちゃくちゃ時代遅れである。

4. アメリカの教育改革の失敗(というか関係者暴走による迷走)は日本でも同じようなことが高確率で起こりうるので、警鐘を鳴らす必要は確かにある。

ここまでは、鈴木氏の主張に賛成。

けど、この論調に対して、アメリカと日本の教育や教育改革者(どっち側のも)に接してきた上に自分も21世紀型教育の改革者として、「反対というよりは斜め横から」言いたいことがいくつかある。

鈴木氏に、だけじゃない。

アメリカでもDiane Ravitch女史など、「市場型教育改革や国際エリート型改革主義へのアンチ論者」は多数いて、(考えてみたら、鈴木氏の主張は、その人達の話の丸コピ日本語訳だ)彼らのスタンスに対して、すごく言いたいことがある。

まったくMECE(ダブりなくもれなく)じゃないけど今からつらつら述べるね。

A. 全てを「新自由主義と大企業とエリートのせい」にすればいいと思っていない?「従来の教育の機能不全や不平等」など、もともとあった問題の責任と、問題の重要当事者として存在する公教育側の人間たちの責任を総棚上げしてない?

鈴木氏はまだそんなこと書いていないが、Diane派の教師TEDxトークの中には、

「僕は、16歳で九九も満足に言えない女の子のチューターをしています。

彼女のような子が、自分はだめな存在であると思ってしまうのは、全部ペーパーテスト重視の環境のせいです!」

なんてのもあった。

いや、16歳で九九が言えない子を作ったのは教師組合の管理下にあったパブリックスクールであり、貧困など多様な理由があるにしても、責任の一端は存在するよね?

発達障害その他で人口の数%がその学力状況だったとしても、アメリカの場合、明らかにその率を越えて%が高いので企業やエリートが「なんとか自分たちで変えようぜ」とTFAやチャータースクールを作ったことを全部さして「コイツラが全部悪い」と言っているのである。

責任転嫁もいいところである上に、「じゃあ、子どもたちが学ぶようになるにはこうすれば良い」が皆無である。

B. 日本の日教組、アメリカの教師組合など、かなり強い政治力を持つ団体のスポークスマンになりすぎじゃない?

(日本のやつは元気がないけどアメリカのはまだまだ強く、民主党の票田といわれている。このへんの論理は別文章でまた詳しく。)

「学校に企業の論理が入るのはよくないよね」「勝ち組負け組はよくないよね」「格差はよくないよね」「教員の身分が危うくなるのよくないよね」「テクノロジーによって教員が誰でも出来る仕事になるのはよくないよね」と、「上や斜め上の政府・企業からの改革圧力」に対して不安や不満が溜まっていた教員集団に向けてテーラーメイドされたような「価値観的」プロパガンダが目立ち、本質的に最も大事であるはずの「子供たちに対してどうすればいいか」の議論が超少ない。

それは、教師組合の組織的目的(個々の教員の思惑などではなく)は「教師の福祉や権利の全体向上」であり、「教育の質を上げること」ではないからである。何なら、「子どもたち」が主語の目的は一つもない。

民主主義のシステム上、「良い教員」も「悪い教員」も平等に一票の権利があり、経済力も職能的影響力も限定的な教員が政治的な力を勝ち取るためには、「優秀かそうでないか関係なく一人も見捨てず団結することで民主党にとって見逃せない票田になること一択」戦略しか存在し得ないのが現実である。

日本の組合はもはやそのような力も存在感もないが、本件の背景にはそういう政治的背景があるということを知らずしてこの日米比較議論に参画することは結構危険だ。

C. 批判しまくっている市場経済システムに対する理解が足りないからだと思うけど、「じゃあ教育をどう改革したら、教員たちが毎日向き合っている子供たちが将来、生産性の高い市民(And納税者)になれるのか」みたいなことを論じる視点がない。

むしろ言動の端々に、「生産性を上げる=悪」みたいな価値観が浸透しているのだが、日本の労働生産性がめちゃめちゃ低い現状、まじでそれ…え?という。

公教育のミッションは市民教育なのはもちろんだが、現状公教育のシステムは工業化社会の労働者生産に最適化されている。『Most Likely to Succeed』の冒頭でも説明されていたからかなりの意識高い教員は知っていると思うが、日本の普通教育が普通選挙より何十年も早く制定されたことも鑑みると、公教育のミッションは国民ひとりひとりの生産力向上であり国力増強である。昔の生産力向上ミッションが今の脱工業化社会にふさわしい人材を輩出しておらず、ゆえに改善が必要と世界で叫ばれている。

今の教育改革のキモはそこの節目で教員がどう活躍できるかであり、アンチ資本主義に走る節目ではない。

そもそも、「新自由主義(アンチ資本主義の文脈で使われる事が多い)」「勝ち組負け組(格差が冗談ではなくなった現在、日本でさえ政治的に正しく使うのは無理)」という扇情的かつワーディングがよほどアップデート出来ていない教員にしか響かない内容であることから、どうしても衆愚的プロパガンダの匂いを感じてしまう。

E. そもそもプロパガンダとしての効果もいまいちだ。「ペーパーテストで測る学力感はお粗末であり、そんなのは本物の知性ではない」という議論はアメリカではみんなが「うんうん」言うところだ。アメリカでは大学入試におけるペーパーテストの必要度が低く、高校も特別な地区を除いては義務教育なので全員が居住学区の高校に入学資格が付与されるから、そもそもペーパーテストは「本当の学びではない」とよく悪者にされる。

しかし、大学入試も高校入試もほぼペーパーテストで「しか」判断されず、なんなら世の中全てがペーパーテストの結果である「偏差値」で評価されて当たり前だと 教 師 も大多数受け入れてしまっている日本の教育現場でそれをいきなり持ち出されても違和感しかない。

え、そのロジックで過去150年やってきたんですけど?っていう。教師も生徒も保護者も偏差値で評価されるのが当たり前で、なんなら中学校の進路指導や高校の進路指導はその偏差値で教え子のことを差別的に評価することも、かなり多くの地域で罪悪感なくやられていることだし、むしろそれが「平等」だと考えられていた。

偏差値に変わる学力感は、これから頑張って定義していくところで、むしろ文科省主導の「主体的なんちゃら」に「そんなこと言ったって、生徒を大学に入れるのが我々の仕事だ」と批判的な教員が多い。

そんな環境で、ペーパーテスト批判をしてもプロパガンダ効果は…うーん。けど、「試験成績だけが大事じゃないよね」と、生活態度など管理しやすさを確保しようと色々棚上げする文化も学校にはあるのでやはり危険。

その思考停止と建前主義は、実は心ある先生の足かせになっている現実があるので#HeroMakersのみなさんが積極的に殻を破ろうとしているのを応援している。

F. 「教員の身分保障」が「教員というだけで一生安泰前提のアメリカのテニュアのようなもの」なら、断固やめたほうが良い。

教員の専門性が下がり、誰でも出来る仕事になるという点は、現状維持しか考えていない教員には悪いニュースかもしれないが、世界全体で見たら良いニュースである。

世界的には、「いい先生」は常に足りていないし、AI教師ひとつでミドルクラス納税者を創れるなら、人類の未来は明るい。

それに、未来の教室の論調では「オーソドックスな学力はAIにまかせて、本当に必要な力の方は生きた教員がやりましょう。むしろ専門性は従来以上に必要になるよ」ってことです。

AIが教えられること=学力、ではなく「主体的なんちゃら」がこれからのトレンドなので日本の場合それは大丈夫なんだし。

むしろ、そのポイントを既存の先生と争わなきゃいけない我々はどうしたら良いんだ。

G. 日本の教育が真似してはいけないのは、この政治的にねじれた構造と「何でも大企業と政府の癒着のせいにして自分たちの責任を棚上げする態度と陰謀論召喚のクセ」だ。

実は、#HeroMakers を提案したとき、私の頭にはこのアメリカで繰り広げられた「エリートAnd大企業AND国VS既存教員と既存の教育システム」という迷走し続けている抗争があった。

日本でこういう「誰にも悪気はないのに陰謀論のぶつけ合いで収拾つかずに子供たちだけが犠牲になる」不毛なことを展開せずに、今の先生が楽しく働けるように動き、子供たちがこれからの社会で活躍できるスキルを手に入れられる教育改革にしようぜと思ったのだ。

そのためには、誰でもなく現役教員がとっとと「子どもたちの未来」を主語に世界とリアルタイムで向き合って、私や政府や企業が思いつかないような教育ソリューションを実験し実践し提案すること以外ない。

それが出来るチャネルを創るために、#HeroMakersを提案したのだ。

ここだけの話。

H. 以上のように、アメリカの教育改革の局部的迷走はたしかに日本社会のこれからの改革への警鐘なんだけど、その経緯は述べられている以上に複雑。

アメリカの教育を苦しめている本当の理由は格差(日本のなんか真っ青の格差)であり、また教育に人材が集まらないことであり、加速するミドルクラスの崩壊であるのだが、教育者は本当は、「教え子の未来に責任を持つ者」としてそこに目を向ける必要がある。

けれど、この手の議論はプロパガンダと陰謀論の応酬になっていて、肝心の格差問題や学力観のアップデートや先生のエンパワリングではなく、「イマの先生たちは何も悪くないから今までどおりでいいよ。改革者は全員金儲けしたいだけのワルモノだよ」みたいなことを言ってただでさえ不満が溜まっていた先生たちの折れかけた心につけ込む煽り方は関心しない。

I. 日本の教育の良さは「アメリカに比べたら格差が激しくなく、上位層も下位層も同じ教材使って同じ試験を受ける」こと。

改善すべき点は「その『中身』が硬直的で未来どころか今の社会に必要な競争力のある人材の育成にも微妙に寄与していないこと」。あるべきエリート教育の欠落がそれだ。それは今のシステムにニューエリート教育をうまく流し込めば、全世界で起こりかけている分断と認知の格差を是正するのぞみがあるってことである。

警鐘は「このまんまじゃ勝ち組、移住組、インター組やグローバル教育ができる名門校組と、そうじゃないところで格差広がるぞ」「あと、プロパガンダに流されると本質を見失って怖いぞ」

大チャンスは「今の素敵な平等インフラにアップデートした『中身』を流し込めば、北欧的に『格差が少ないのに全体的にニューエリート』になれる可能性が高い」

だから、こんなとこで時間を浪費していないで、「子どもたちの未来」を主語としたこれからの教育を学び、思考し、実践しようよ。政治がわからないなら、経済がわからないなら、学んで強くなろうよ。

「一生学び続ける人生」って、たぶんそういうことだよ。

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Ning Shirakawa (白川寧々)

『英語ネイティブ脳みそのつくりかた』著者。Founder/US CEO of Taktopia & Co教育起業家。華僑。経産省未来の教室事業 Hero Makers創設者。グローバル教育革命家。教育乱世。フェリス女学院中高/Duke University/MIT (MBA)