Hero MakersのHeroとは誰のことか?『未来の教室』採択時に書いた序文を公開してみる。
『未来の教室』日本の学校教育が世界的な先進性を手に入れるために見落としてはいけない重要な要素とは、教員という「人間たち」である。
教育改革は、世界的にホットな課題だ。
「私の国の教育は時代遅れだ。生徒がロボットのように聴いている中で、先生は前に立って言われた内容を右から左に流すだけ。学びの本質も何もあったものではない。親も学校も生徒も、本質を思考したり社会に何を貢献したりなど考えることなく、点数などの短絡的なゴールを目指して短い青春を費やす。そういう教育で生産された人材は、受け身で主体性というものがなく、この技術発展目まぐるしい社会で生き残れるのだろうか」
上記のような嘆きは、日本特有のものではない。
同じく点数主義の中国韓国だけのものでもない。アメリカを始めとするかなり多数の国の教育ステークホルダーの嘆きだ。
現代公教育の起源は、工業化社会の労働力育成ためにグローバルスタンダード化されたシステムである
2016年頃から日本中を席巻した教育ドキュメンタリー『Most Likely To Succeed』の冒頭でもさんざんやっていたが、近代型初等中等教育の学校(ざっくり小中高のこと)は、ようは世界基準なのだ。
グローバルスタンダードなのだ。
「同一学年同一教室」「教科学習と前に立つ先生」「丸暗記でしのげる統一試験で到達度評価」「学びの本質より、処理能力」「賢い一部の子より全体品質の保証」「学校組織が地域社会の要」
こういう仕組みは、ざっくりどの国もそうなのである。日本のそれの執行精度が高かったため、第二次工業革命(高度成長期のやつ)で大成功を収めたってだけだ。
その仕組みの老朽化や疲弊や、第四次産業革命についていけるのかよという懸念や、生産された人材の主体性積極性モチベーション問題なども、一国の問題ではとうにないのである。格差固定化も世界レベルの問題である。
なので、世界規模で改革が進んでいる。
「日本国内の国際派エリートが、『世界に取り残されないようにしよう』と少数で息巻いているいつものあれ」ではない。
だが、マクロレベルで本質的に問題が同じでも、国と地域によってちょっとずつツボが違う。教科学習の出来にも差はあるし(PISAなど参照)、どういう人間が教員になるのか、学校文化は柔軟かどうか、公教育と私学のバランス、エリートの定義、教育が中央集権的かローカル自決的か、などなど。
改革は恐ろしい。
明治初期、義務教育制度(グローバルスタンダードとしての近代型初等中等教育)を日本がローカライズしようとした際は、「学校一揆」が各地で頻発したらしい。
ちょっとずつの改善ならまだしも、そもそもの「学校制度の目的と本質」を問うような変化が求められたら、それくらいは起こる気がする。現にアメリカでは起こっている。
その中で、結局の所、日本の場合の改革可否を決める最重要要素は、
「現職の先生をどれくらい巻き込めるか」
だという結論に、2018年初頭くらいに私は達した。
日本からグローバルリーダーを輩出したいのなら、先生こそがグローバルリーダーに。
そう提案したら、経産省『未来の教室』実証事業に採択され、10月からHeroMakersを開講することが出来た。
これは、日本の教育界、人材育成界全体のマインドセットを変えるつもりで構想してきた。世界を見渡しても、「先生」に投資しない教育改革に未来はないことを受け止め、噛み締め、ここに至る。
未来の教室には未来の先生が必要なのだ。
日本からもっとグローバル人材を輩出したいのならば、先生こそがグローバルリーダーにまずならなければならない!
と各所で思い切り叫んでいたら、『未来の教室』事業に採択されたのが10月2日。
開始ワークショップは10月6、7、8の三連休、という過酷なスケジュールなのに告知期間ほぼ24時間で想定参加人数の20名が集まり、72時間後には想定の3倍である60名以上が集まってしまった。
しかも、プロジェクトのタイトルは、MARVELじゃあるまいに、「Hero Makers」。
一体これは何事だ。生まれつきの反逆者、白川寧々が学校の先生と絡んで関係者が無事で済むのか?しかもHeroって何?先生みんなが一部のスターカリスマ教師みたいになれってことなのか?
みたいな疑問や懸念も、まあ少数だが寄せられたし、このプロジェクトはかなり目立つので、ここでちゃんと思いを言語化しておこう。
上にも書いたが、「工業社会型近代型学校教育改革」は、世界的な現象であり、日本だけの問題ではない。
私個人も、個別具体的な学校文化の運営やら英語教育やらブラック校則やら、地方「進学校」の国公立大学至上主義やら、細かいことで日本の学校システムに言いたいことはたくさんある。
だが、私は、「海外のそれより日本の教育が遅れているからそのギャップを正さねばならぬ」みたいな認識で日本の教育改革をしたいわけではない。断じてない。
そんなせこい話じゃないからだ。
百数十年くらい前から各国が積極的に取り入れた、
教室x机x先生x一斉授業x教科学習xテスト→均一な人材
の「近代グローバルスタンダード」を模索的に変え、格差と分断と紛争に彩られた「どんな人材が生き残れるのか誰も断言できない」不透明な未来に対応し、協力して地球レベルの問題を解決するような力を持つ次世代を育成する教育「軍拡」レースは、確かに世界的に始まっている。
日本は日本なりの答えを用意しなければならない段階に来ていて、そこに幸運にも私は関わることが出来た、くらいの認識である。
麹町中学校校長の工藤先生は、この流れを、「本質に還るチャンス」と表現した。
「革新」ではなく、「回帰」なのだ。いわゆる21世紀型教育すべて、アントレ教育もSTEMもリベラルアーツもIBも、全部本質的に「古い」教育なのである。
近代型の学校が世界的に普及するまで、「変化に対応したり、本質をちゃんと考えさせる教育だけが教育」であり、それはほぼ、エリート教育とイコールしていた。
どんな時代であれ、国や地方や組織を動かす立場であるエリートは、教養や不測の事態に対応する力や新しいものを作るアントレプレナーシップや問題解決能力が必要だったし、彼らを育てるための教育はコストが高かったので普及は難しかった。普及が必要との認識も特になかった。
「教育を受けた少数の人間が様々な事態に直面してもなおリーダーとしてちゃんと機能すること」をゴールとする教育だったので、「先生」のハードルは高く、カスタマイズのコストも高かった。客観的評価指標はほぼ存在せず、システム化もされていないので、効率はもちろん良くない。
育成が面倒な「幅広く知識と教養を持ち、いろんな事態に対応できる人」と低コストで育成できて「専門性が高く確実に必要な仕事を担える人」を比べるなら、過去100年は後者を量産したほうが合理的だった。どれだけ後者を効率よく量産できるかで国力が決まる現実があったからである。
けれど、「専門性の価値」と「確実に必要な仕事」に「?」が付けられる事態に、今はなってしまった。
平時モードならば、「本質に還ろう」と口にするだけで「中二病」の誹りを免れないものだが、今はいわゆる「乱世モード」だ。従前のやり方が通用しない実感はありつつ、誰も答えは何かわからないので、それまでは実用的だった「建前と本音」などをかなぐり捨て、本質に還って模索するしかない。春秋戦国も三国志時代も、本質を問うのが流行ったように。
Ed Techの隆盛も、今度の未来の教室のビジョンも、昨今の技術革新も、元来高価かつ一部の人間のものでしかなかった本質的な教育を、今の学校のインフラを使って「みんなのもの」にした上で、国民全部に乱世対応能力を付けさせよう、可能なら学校の意義を根源から問い直そう、というものだと理解している。
その前提を踏まえた上で言うが、日本の次世代が生きねばならない環境は、なかなか厳しい。
資本格差・文化格差は固定されていく中、前の世代とは違う「新しい価値を生み出す力」を社会で発揮しないと前の世代と同じレベルの生活をすることすら危ういだろう。
現代にヒーローというものがいるなら、困難な中、自ら生まれ持った環境や配られたカードの制限を超越し、新しく価値を生み出し自分と他者にポジティブに貢献できる人間のこと、つまり「自らや他人の運命を変えられる人間」のことだと、とあるジャーナリストが表現した。(英語圏でヒーローとは、ちなみに、ジェンダーニュートラルである)。
いま、世界的に先進国・新興国の別なくAIにより「全員の未来」が不透明になる中、学校教育は均一な安定志向のワーカーではなく、大規模小規模にかかわらず、ヒーローを生み出す必要が出てきてしまった。
未来の先生とは、ヒーローを創る人、なのである。
そして、現在教職にある人というのは、少なくとも一人の生徒にとっては、「ヒーロー」なのだ。
マントをひらひらさせて空を飛んでみんなに注目されるばかりがヒーローではない。縁の下の力持ちタイプか、カリスマ教育者かは、本人のキャラ次第だ。
だけど、この重要な改革の節目には、社会的にも、今後の「先生像」が、「サラリーマン公務員」「保守的で社会を知らない」「ブラック労働犠牲者」「事なかれ主義」であっていいはずはない。
地域や家庭にどんな文化格差があろうと、先生は、全ての日本の子供が確実に定期的に接する高等教育を受けた「ロールモデル」であり、今後の世代の運命を変える「ヒーロー」なのだから。
だからこそ、私の持ちうる限り最強のリソースと精力をつぎ込み、彼らを通して私なりの方法で、この国に限らず次世代の運命を変えたい。
その第一歩が、日本でスタートする、Hero Makersなのである。
と、私は2018年10月に宣言した。それからHeroMakersはどうなったか、という文書をここにこれから挙げていく。