私がビリギャル並みに偏差値を伸ばせた理由

nnkpi
6 min readFeb 20, 2016

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ビリギャルってやつが流行ってましたね。

ビリギャルさんは1年で偏差値40上げて慶応大学に入ったそうですが、私も同じくらい上げて早稲田大学に入りました。ギャルでは全くなかったけど。

ビリギャルさんがなぜ偏差値40upを達成できたのかは知りませんが、私のケースを以下に記します。

①受験勉強開始前の状態

高校3年夏、部活を引退。その前に学校で受けていた模試。偏差値38を叩き出す。

3者面談にて「できれば国立に」という母に向かって担任がばっさり「娘さんの学力では国立どころかそもそも大学に行けません」

同級生に、自分より低い奴がいると安心させる材料役を買って出ていた。

②その背景

一応高校は県内の進学校と言われていた公立高校。ギリギリで滑り込み校内順位は298/307スタート。

2年時点で当然のように大学受験準備が始まるが、私はなんで大学に行かねばならないのかが一人腹落ちせず勉強をほったらかす。みんな塾に通っているけど、塾もやたら高いと聞く。部活も忙しく、気付いたら3年の夏になっていた。

大学に行きたいと思えない。大学に行くと可能性が広がるなんて言葉もちっとも刺さらない。過保護で厳しいお小遣い制だった当時は「はやく就職してお金稼ぎたい」「自由になりたい」とばかり思っていた。

③転機は母の言葉

そこからなぜ大学を目指す方向に転換するか。ひとつは、周りの声にならないマウンティングに疲れ果てていたこと。

心配するふりして私の状況が変わらず悪いことを確かめて、安堵する周囲の人たち。馬鹿にするのも大概にしとけよ?今考えると被害妄想でしかないけど、劣等感をくすぐられる。負けず嫌い精神に火がついた。

それからいよいよ追い込まれたこともある。受験まで半年ほど。浪人も当たり前の雰囲気の中、父が静かにこう言った。

「今頑張ってるなら、いつまででも挑戦しろと言ってやる。でも今頑張ってないのに、浪人したって変わらないよ」

ここで頑張らないとチャンスはもう回ってこない。言い切った父の表情から感じ取った。

最後にトリガーになったのは母の言葉。

3者者面談で困った娘なんです…。という母。「浪人を前提に計画を立てましょう」「今から塾に通わせましょう」と担任。どうせ落ちこぼれだよと斜に構えていると、突然母が表情を変えて噛み付いた。

お言葉ですが。うちの娘は、やればできるんで。

普段絶対に褒めたりしない母の言葉。

この言葉を嘘にしてしまったら、私は一生私を許せない。絶対に受かる。これは自分の人生かけた約束だ。

こうして「大学に行きたいから」ではなく、意地で受験を始めた。

④大学の選び方

負けず嫌い精神で決めていたのは頑張るということだけ。まずはゴール設定から始めた。

大学は、国立は苦手な数学が必須なため除外。私学のTOP早稲田・慶応に絞る。その中から高校の校風に似ていた早稲田を選択。

期限はもちろん高校在学中。最初に買った参考書は赤本「早稲田大学商学部」。

⑤合格までの道のり

私が早稲田に行くと言い出したときの両親の反応は「早稲田アカデミーのこと?」。しばらく本気で信じてもらえなかった。

塾は行かないと選択。今から行っても全範囲網羅されないだろうし、自分のペースで勉強できない。高い。移動時間ももったいない。理由はいくらでもあったけど、最終の決め手は

塾に今から通ったら、受からなかった理由を塾のせいにしてしまう。

自分の逃げ道を封じる。逃げ出したくなる自分を机の前に戻す作業は、なかなか大変なものだった。

その決定の後は、今考えると割とロジカルにプロセスを設計した。

1.KPI設定

早稲田の倍率は10倍前後。ということは模試で上位1割に入れば良い。本番までに受ける模試を決定し、各時点での目標順位を設定した。

2.注力ポイントの洗い出し

当時は模試では下位1割に入っていた。上位1割に入るための点数とギャップのある科目と範囲をピックアップした。

3.ひたすらやる

使う参考書は高校で買ったものに絞り、ひたすらぐるぐるやった。答える。間違った履歴を残す。間違ったところだけやる。をひたす。

国語は得意だったので暗記部分だけをぐるぐる回る。英語は長文が弱点だったのでひたすら好きな小説を英語で読む。世界史は全部苦手だったのでぜんぶぐるぐる回る。

ピークは1日14時間。赤本はtotal50回以上解いた。

本試験は早稲田しか受けなかった。だって早稲田に行くんだもの。頼むから受けてくれと言われてセンター利用入試だけ他校を受けることにしたが、このころには相当強気な自分が出来上がっていた。

⑥結果

センターの得点率は92%。センター利用入試にて明治大学に合格。

そして念願の早稲田大学は、教育学部と社会科学部に補欠合格。執念で滑り込んだが、第一志望の商学部は不合格。高校の卒業式の日、初めて人前で泣いた。

ちなみに補欠合格は、例年繰り上げ合格は出ていなかった。あの年は補欠合格発表日3日前に震災が発生。私はその人たちの気持ちを背負って繰り上がったのではと思っている。

頑張れたのは、自分で決めたから

結局何がよかったのだろう。

自頭?それは両親に感謝するしかない。勉強法?でもそれはプロの塾のほうがよかっただろう。プロセス設計?確かにそれはある。ゴールから逆算し、定期的にモニタリング。教えてくれた父に感謝するしかない。

でも一番は、自分で決めたからだと思う。

周りが受けるからなんとなくではなく、自分が受けたいから受けるのだ。

どんなにしんどくても、でも自分で決めたことだと思うと頑張れた。

塾に行ってない不安にかられても、でも自分で決めたことだと思うと、結果出せばいいだけだと思い直せた。

全てはそれが、成功の決め手だったと思う。

中学の時の恩師の言葉。「頑張るのも才能ですよ」。私はそんなことはないと思う。頑張れないのはその人が悪いんじゃなくて、何か絶対理由がある。

頑張らなきゃ、では最後踏ん張れない。でも、ゴールを達成したいと心から思うなら、自然と頑張れるんだ人間は。

私はこの経験から、そんなことを思ってます。

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nnkpi

新卒2年目@まだここにない出会いの会社/ロマンを実現するためのソロバン習得中