山あり谷あり

Nobuhiro Morita
Nov 7 · 8 min read

この1〜2年でちらほらと講演依頼やピッチコンテンストの招待などのお話をもらうことが増えてきています。

そのような素晴らしい機会をいただけていることに感謝しています。

そして、そういった会場でこのようなことをよく言われます。

「順風満帆ですね!」「絶好調ですね!」などの言葉です。

確かに、今は調子が良いように見えるかもしれませんが、皆さんも多分自分の人生を振り返ったら、めちゃくちゃしんどかった時期とかがあったように、僕自身もタイトル通りの山あり谷ありです。

どんな感じだったかを年代で描いてみると、こんな感じです。

中学時代までは親の素晴らしい教育のお陰で、苦労するようなことはありませんでした。

1995年〜1998年(15〜18歳)

しかし、僕が15歳の時に兄、そして、翌年の16歳の時には父も病気で他界して、五人家族で男家庭だった生活が、母、姉、僕という生活にいきなり変わりました。

この家族のことがあったからではないですが、僕は高校に行かなかったので仕事をしてお金を稼ぐことで金銭面的な部分はなんとかなりましたが、いわゆる「普通」の家族生活を送ったという記憶はない。そんな10代でした。
※湿っぽい話をしたいのではないので、テンション下げないでくださいw

1999年〜2005年(19〜25歳)

高校に入学せず3年間は現場作業員をしていましたが、19歳で中学時代からの友人たちと起業をし僕はNO2の立場でした。

ここは非常に驚かれるのですが、元々はトップの立場をやるというよりは、縁の下の力持ち的な支える方が性に合っていたんです。

5年間ほどは調子よく売上を伸ばしていましたが、結局代表であった友人との方向性の違いや金銭面的な問題などもあり、友人関係も崩れ解散。ここが25歳。

この時は、めちゃくちゃ色々ありました。

携帯電話業界の一番のバブル期でしたので、ライバル企業との戦いや、その際に起きる衝突やトラブルなど。

業界のルールなどがまだしっかりと出来上がっていなかったというのもありましたが、この時期はめちゃくちゃ色々ありましたw

僕らも競合他社も若かったからというのもありますが、今では非常に良い思い出ですw

この時期については、いつかどこかで公表したいなと思います。
かなり面白いはずなのでw

ちなみに21歳の時に、右目の病気になり右目のピントを合わせる部品である、水晶体を取り除く手術を行なっており、21歳から右目はあんまり見えていないという案外体の弱い一面も持っている森田ですw

でも精神面が元気なのでオールOKかと!!

2005年〜2006年(25〜26歳)

そして25歳で再起業をして2年間の目標を掲げ、新メンバーで望んだ会社 に衝撃が走ります、

1年6ヶ月後経ったある日全スタッフからの

「退社宣告」。

僕はこの日を忘れることはないでしょう。

全て僕が悪いと心から反省しています。

目標に対して突っ走りすぎて、目の前のことや周りのことに関心が持てなかったダサい経営者だったのだから仕方ありません。

しかし、ここは全スタッフと改めて向き合い真剣に話をしたことにより、なんとか、みんな残ってくれることになりました。

ここから経営者として少しずつ変わり始めた時期であったと思います。

2007年〜2010年(27〜30歳)

27歳で目標であった念願のドコモショップの運営をするも、初めてのショップ運営に四苦八苦し、1年後には、明日の給料日の資金が無いという資金ショートの日を迎えました。

この時は、お世話になっている社長さんに給料日前日にお願いをして、即日入金していただいた結果、最悪のケースを脱すことができました。

本当に感謝しかありません。

2011年〜2014年(31〜34歳)

それから数年が経ち、携帯電話の事業も成長期から成熟期に変わり今後の企業の成長を考えた結果、一つの事業だけではなく多角化を目指し、ホールディングス化を構想します。

多角化に向けたビジネスモデル、そして何よりも人材が集まり始め、ホールディングス化に向け、企業数も関連会社を含めると6社まで増えた時期です。

2015年〜2017年9月(35〜36歳)

35歳の時に、構想5年でIRGホールディングス株式会社を設立。
この数年は非常に良い流れが来ていました。

そして、ここで落ち着くのではなく、2011年から始まった第4次産業革命の波にのまれるのではなく、その流れに乗り世界を変えるような企業へと成長するために、グローバルなビジネスを立ち上げるということでITもわからない状況であったのにも関わらず、とりあえずシリコンバレーへ行きました。

ここからトライアンドエラーの無限ループに入ります。

ここからがめちゃくちゃしんどかった。

シリコンバレーに行き、色々な気づきやヒントを得たけれども、そう簡単にすぐにはうまく行きません。

文字通り、トライしてエラーして、トライしてエラーしてということなので、ここはずっと投資をしている時期でした。

資金的な部分もありましたが一番は、考えていたアイデアのビジネスモデルがうまく回らない、形にならないということに対して、メンタルがかなりやられていました。

その中でも2017年の1月〜9月までは、本当に毎日が苦痛でした。

何をやってもうまく行かない。このままでは、投資資金も底をつく。
なんとかならないのかと。

周りからは、

「いろんなことに手を出しすぎて、結局、失敗するんじゃない??」

と思われていたと思います。

でも、仲間たちだけは信じてついて来てくれました。

そして僕はそんな中、2017年9月の中頃に6ヶ月間東京のプログラミングスクール、G’s ACADEMY TOKYOに通うことを急遽決断します。

この決断が今に繋がっていると言っても過言ではない。

このまま今までの状況と同じ6ヶ月を過ごすのか、更に変化と成長を求めた6ヶ月を過ごすのか。

同じ6ヶ月後だけど、この結果は絶対に違うはずだと自分を信じ、一歩踏み出すことに決めました。

2017年10月〜(37歳〜現在)

2017年10月に、今後の未来を変えるためにとりあえず藁をもすがる思いで、プログラミングを覚えようとしました。

ここで頭の中にあったビジネスモデルが、今のマイルシェアのビジネスモデルでした。

ここでも周りからは、

「経営者が今からプログラミング学んでどうする?」
「経営者なんだから、そこはエンジニアを雇えばいい」

などの声がありました。

でもそこは自分を信じ、絶対に自分自身に必要な経験なんだと言い聞かせ、なんとかこのビジネスモデルを立ち上げるんだと、これが立ち上がらなかったら、もう終わりなんだという思いの中必死に学びました。

そうした結果、マイルシェアのサービスはスタートし、プログミラングスクールも無事卒業ができ、そこから今の状態へと成長することができています。

と言ったように、ザッと思いつくだけのことを描いて見ましたが、ご覧のようにめちゃくちゃしんどい時は今までに何度もありました。

全然、順風満帆では無いのです。

そして、今も世の中に前例のないマイルシェアというサービスを立ち上げ、世界一を目指して日々邁進しています。

しかし、初めての自社サービス構築、初めてのスタートアップの立ち上げ、サービスにおける幾度も訪れる高い壁があり、現在も順風満帆ではありません。

この日本では、前例のないサービスはなかなか受け入れられないということと、札幌という地方都市では相手にされないのかと思うくらい、地方都市ならではのハンディもあります。

毎日が挑戦です。

今はまだまだ世の中に浸透しづらく、理解もされづらいサービスかもしれませんが、僕らは間違いなく見えています。

将来世界一のサービスになるマイルシェアの姿を。

この札幌、北海道、日本から世界一になります。

まだ小粒の吹けば飛ぶような企業ではありますが、応援してください!

必ずおもろい結果をみなさんにお届けいたしますので!!

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