エゴと"らしさ"と、それからてちと

乃木坂NBA
Jul 26, 2017 · 9 min read

こんにちは、MVで乃木坂のロゴが出てきてくるくるするシーンが大好きな乃木坂NBAです。エキセントリックが頭から離れない。あの曲を聴きながら夜道を歩くと、向かうところ敵なし、といった感覚を味わえるので、是非。

この記事を書こうとすると、先日お会いしたコロ助さんの顔が思い浮かんで、こんな文章を書いている自分がなんだか気恥ずかしくなってしまう。しかし人間の記憶とは実に都合よく作られているもので、二日も経つとコロ助さんの顔だけが-他のことはあらかた覚えているにも関わらず-僕の記憶から抜け落ちてしまっていた。よって僕はこの文章を心置きなく書くことができる。

僕が「エゴイスト」という言葉を初めて知ったのは、井上雄彦の漫画「リアル」での登場人物、ナガノミツルのセリフだったように思う。その当時は意味がよく分かっていなかったのだが、今なら分かる。

Wikipediaによると、エゴイスト、とは「利己主義者」のことを言うらしい。自分の利益だけを追及する人、のことだ。なんだかこれをバスケットボールに当てはめるのは少々大袈裟な気がしないでもないが、こちらの場合、そう否定的なニュアンスで使われている、というわけでもない。

「エゴイスト」と聞いて、僕が真っ先に名前が思い浮かぶのが、コービー・ブライアントだ。シャックとの確執、トレード要求、そしてFG失投数歴代最多、という事実が彼のエゴイストさを推し量るいい指標になるのではないかと思う。確かにコービーは決して効率の良いスコアラー、というわけではなかった。だがその自己主張の強さ、自己顕示欲の強さが彼を紛れもないレジェンドにまで成長させたことは明らかだし、事実コービーはシャックの退団後、二度の優勝を果たしている。断っておくけれど、僕は誰がGOATだとかいう議論をここでするつもりはない。

コービーのみならず、プロスポーツ界で生き残っていくにはエゴを持っていることが絶対条件だ。それが時に自らの身を滅ぼす結果になるとしても。そうすると、自己主張の弱い選手、言い方を変えるなら’Glue Guy’-その名の通り、糊のようにチームのケミストリーやゲームの流れを「つなぐ」、スタッツに残らない部分でチームに貢献できる選手のことだ-の存在はどういうことになるのか、という疑問が浮かんでくる。ニック・コリソンは?シェーン・バティエーは?イグダラやドレイモンド、ダンカンだってそうだろう。

少しだけ僕の主観が入ってしまうことをお許しいただきたいのだが、彼らには「エゴ」がないわけではないと思う。GSWの二選手の強気な発言やバティエーのダーティーと呼ばれることも厭わないほどのハードなディフェンス、ましてやダンカンは入団から長年にわたってチームの絶対的なエースであった。しかし彼らは決してボールを執拗に要求することはしない。-オレはオレのやれることをやるだけ- そんな声が彼らの背中を見ていると聞こえてくるような気がする。

僕は考える。というか誰でも思いつきそうなことではあるのだが、エゴを抑えることが、彼らなりの「生き残り方」だったのだろう、と。自己主張の強い選手たちばかりを集めてチームを作れば、それはどれだけのスーパースターだったとしても、きっとリングを手にすることはできないはずだ。

PG:アイバーソン SG:コービー SF:T-MAC PF:ジャバー C:シャック

(若干ポジションのずれはあるが)魅力的なチームだ。しかし、これでは間違いなく「スター・ウォーズ」が起こってしまうだろう。

そんなことが起こらないために必要なのが、というか、リングのための絶対条件とも言っていいのが、ブルーカラーのような、言わば「いぶし銀」の選手たちだ。「アルティメット・ウォリアーズ」とまで言われた今期のGSWだって、リビングストンやイグダラたちの地味な働きがなければここまでの成績を残すことはできなかっただろう(それでもチャンピオンにはなっていたかもしれないが)。反対に、ファイナルで苦杯を呑んだCLEは、デロン、コーバー、シャンパートといったサポーティングキャストが上手く機能しなかった。このことからも、「スーパースター以外の選手」の活躍がいかに重要か、お分かりいただけると思う。


さて、坂道グループに話を移そう。欅坂、乃木坂は、今や共に現代のアイドル界を席巻するグループである。その中でもひときわ大きな輝きを放つのが、欅坂46の絶対的センタ―、平手友梨奈だ。彼女たちがCDデビューする前に掲載されたファッショングラビアで僕は既に、平手友梨奈という存在を知っていた。彼女の写真を見て、そして年齢を見て驚いた。しかし、その当時の彼女からは、現在彼女がMVの中で見せているような負のオーラは全く感じられなかった。僕の目が狂っていただけなのかもしれないが、とにかくそうだったのである。だがサイレントマジョリティーのMVを機に僕の彼女に対する見方は大きく変わった。「衝撃的」以外の表現が見つからない、というわけでもないけれど、まあ端的に言えばそういうことである。今でも欅坂で彼女以外のセンターは正直考えられない。多くのファンの思うところでもある。2ndシングル「世界には愛しかない」3rd「二人セゾン」では多少緩和されたものの、4th「不協和音」では改めてその負のオーラが解き放たれ、「大人は信じてくれない」「エキセントリック」そして二つ目のソロ曲「自分の棺」を聴いていると、正に彼女はアイドル史に残る存在だ、と思わずにはいられない。

ただ、それと同時に、彼女に対するパプリックイメージについて、少し不安になってしまうのも事実である。

本人も知らない僕が出来上がって 違う自分 存在するよ

「エキセントリック 」

欅坂ファンならば、おそらくスクールオブロックでリスナーの「恋バナ」にキュンキュンしている彼女や、けやかけで見せたお笑い好きの一面をご存じであろうと思われる。

それでもやはり、パフォーマンスで見せる強烈すぎるオーラによって、彼女に対する暗いイメージが先行しているということは否めない。

乃木坂でデビューから5枚目までセンターを務めた生駒里奈は、6枚目で初めてセンターに選ばれなかった時の心境を「ホッとした」と語っている。15歳で乃木坂に入り、それから約二年間、センターというとてつもない重圧を背負い続けてきたのだから、当然のことだ。

平手友梨奈は14歳で欅坂46の一期生に選ばれた。最年少である。彼女にかかるプレッシャーは生駒里奈と同じ、もしくはそれ以上のものだろう。「平手友梨奈」とネットで検索すると、検索候補に「平手友梨奈 元気がない」と表示される。確かに昨年の終わり頃から明らかに彼女は疲れているように見えた。あの年齢でこれだけの注目を集め、忙しければ、無理もないことである。

平手友梨奈は、欅坂46の戦略のために、自らの、思春期としての心の闇を売り物にしている、穿った見方をすればそうとまで思えてしまうのだ。それは果たして「チーム」のための「献身」と言えるだろうか。僕には分からない。

アイドルグループの中でも、特に坂道グループのメンバーたちは、エゴがない。言い切ってしまっては語弊があるかもしれないが、そう言えるほどに自己主張が弱いのである。むしろ、一人でも卓越したエゴイストがグループにいたとしたら、あっという間に空中分解してしまうような、そういった脆さもまた彼女たちの魅力ではあるのだが。

「自分らしさ」とは一体何だろうか。そもそも‵自分らしくありたい′という願望さえ、社会から受けた「洗脳」の結果に過ぎないのかもしれない。「個性」が叫ばれるようになった現代、それに反するように若者たちはエゴを持たなくなっている。欅坂の曲はそうした若年層に対する一種の啓蒙活動、のようにも見える。それを歌うのもまたごく普通のエゴの少ない少女たち。だからこそサイレントマジョリティーはこんなにも大きな波を起こしたのだ。

「エキセントリック」において賛否両論を呼んだあのコンテンポラリー・ダンスも、アイドルという固定観念に対する挑戦であり、それはつまり「常識」を疑う、という現代において非常に重要視される行為、そのメタファーのように感じる。

アイドル「らしさ」、非常に曖昧かつ時に皮肉な意味合いを持つ言葉でもある。主にそれは松田聖子、山口百恵だったり、キャンディーズだったり、4半世紀前の「アイドル」たちにその端を発する理想像だ。(僕の父は中森明菜が好き、ということを母から聞いた。なる程蛙の子は蛙である。僕もアンニュイな雰囲気のアイドルが好きだ。)

肯定的な意味で使うのなら一向に構わないのだが(まゆゆとか、まゆゆとか、まゆゆとか、すごくいいとおもいます)そもそもアイドルという言葉の現代日本における定義すら確かでないのに、それを批判として振りかざすのは、何だかアンチ・フェミニズムのようにも見えるのだが、如何?

君は君らしく 生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな

「サイレントマジョリティー」

エゴを抑えることが生き残るために求められるNBAと、エゴが求められるアイドル。だがそれぞれ「自分らしさ」とは何か、それを日々追い求め続けていること、それは確かな共通点と言える。

ナンバーワンとオンリーワンの境界、かつてSMAPも歌ったこの二つの「唯一性」に果たして答えは存在するのだろうか。KDの移籍はどっち?カイリーの話は?センターになれない選抜常連メンバーは幸せか?2期生は?(選手やメンバーに関する無闇矢鱈な忖度はするべきでない、ということを忖度して頂きたい。どこまで行っても他人は他人なのであり、他人の気持ちが分かってしまえば、それはもう他人ではなく自分自身なのだから。)アンダーセンターに「鶏口となるも牛後となるなかれ」いう言葉を送るのは余りにも酷かもしれないが、今の乃木坂にはエゴが必要だ。

うら若き少女、普通の高校生でもある平手友梨奈のエゴ、それが欅坂にどれほどの影響を及ぼしているのか僕には知る由もない。だが、「世界には愛しかない」でみせた彼女の裂帛が本物なのだとしたら、それは間違いなく自我の片鱗であり、その叫びが大衆を巻き込んだシュプレヒコールに変わる日もそう遠くはないだろう。

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