人はなぜ文章を読むことができるのか?

二〇一七年一月二十五日

もちろん、その回路の基本構造は、遺伝子の設計図に刻まれており、さまざまな試行錯誤の結果、わずか5000年ほど前に発明された(図形としての)文字を、直接、言語として取り込めるようなブローカー野の遺伝子は、少なくとも現在でも、まだ現れてはいない。
ではなぜ現在、多くの人間は、文字を言語として認識し使用できるのか?
それは本来、別な目的のために進化した「39・40野」を、「視覚野」と「ブローカー野」をむすびつける変換回路として借用することがなんとかうまくいったからである。

私はアメリカに4年以上留学していた。

その時つくづく思ったのが、「英文を読むのは実に疲れる」ということだった。

こと心理学書を読むスピードだけであれば、3年目の途中から、おそらく日本語で読むのとほぼ等速というところまでいった。毎日毎日、何時間もひたすら心理学書か教科書か文献を読まされていたのだから、それくらいにはなる。

問題は、速度ではなく疲れである。

だいたい、一日中心理学ものを読まされていたら、日本語だって疲れる。だが明らかに英文を読む方が疲れるのだ。

日本人だから当然だと思われるかもしれないが、日本語と同じ速度で読めているんだから、「当然」でもないように思った。なぜそんなに疲れるのだろう。

大きなヒントになったのが「読字障害のアメリカ人大学院生の書いた論文」を読んだときだった。

彼は、「英文を読むと疲れる」のだそうだ! アメリカ人なのに!

文章を読むのが苦手、なのだろうか。どうもそうのようだったが、それでも博士号を取ったのだから、文章を読めないはずはない。彼は論文に書いていたのだが「必要があれば論文は読める。それもたいていの人よりは速く読める。しかし、その後グッタリしてしまう」というのである。まったく自分の「英文」と同じではないか。

彼はとても重大なことを書いていた。「文章を読んでも、なにも聞こえてこない。どうもそれは他人は違うらしい。まるで声を聞くように文章を「聞く」ことができるらしいが、自分にはなにも聞こえてこないのだ」というのだ。

冒頭の引用には次のように続く。

子どもが、教えられて、「39・40野」を変換回路として使う練習をすればするほど、「文字という視覚的感覚を、39・40野で音情報に変換し、ブローカー野に入力する」という脳内の作業がスムーズに行えるようになるのである。
しかし、「39・40野」の借用は人によって個人差があり、いくら訓練を重ねても、上達しない場合もある。それが読字障害の正体ではないか。

私の場合には、まだ英文読解能力の訓練不足というべきだろう。39・40野という脳の部位の鍛錬が足りなかったのだ。しかし、生まれつきこれがスムーズにいかないケースもあるようだ。

「読字」というが、読字はできる。問題は、「聴字」ができなければいけないということの方だ。そう考えると、文章がうまい、というが、文章がうまい人はきっと「聞かせるのがうまい」のである。

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