最新刊を買ってしまう理由

新しい習慣──それが食べ物であろうと、エアロバイクでのエクササイズであろうと──を売り込むには、新規のものを、よく知っているものに見せる方法を理解しなくてはならないのだ。

これこそまさに、以下の2冊で書いた事だ。

人は、新奇性をそもそも好まない

なのに、新しもの好きのネオフィリア。

私もこの矛盾した性質に大いに悩んだ。

浦沢直樹の最新刊など、買う必要はない。

なのに、浦沢直樹の最新刊を、買うだろう。

それが彼のもっとも面白い作品でなかったとしても、買うことを切望するようにして、買うだろう。

もう話を忘れかけている、『パイナップル・アーミー』を読み直せばいいのに、そうはしない。

『マスター・キートン』の新しいシリーズの最新刊を、予約してまで買う。

新しいものが、そんなに好きか?

なら浦沢直樹ではなく、草間彌生さんの作品集でも買ったらいいのだ。買ったことがないのだから。

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でもそうはしない。なぜなら、人はそもそもは、馴染みのあるもののほうが、好きだからだ。

たとえ聴くのは初めてでも、なじみのあるサウンドがスティッキーなのも、まさにそれが理由だ。私たちの脳は、すでに聴いたことのあるものに似ている音のパターンを好む。セリーヌ・ディオンが新曲をリリースしたとき──そしてそのサウンドが、これまで彼女が歌ってきた曲や、ラジオから流れる他の曲と似ていたら──私たちの脳は無意識にそのわかりやすさを強く求める。

人は、決して「真新しいもの」など好きではないのだ。

あくまで「馴染み深いものが好き」なのである。

ただし、読み飽きたものや聞き飽きたものに対しては、「以前も聞いた。知っている」というわけで、注意を節約されてしまう。脳が勝手にそうするのだ。脳はエネルギーを節約したいので。

そこで「馴染み深いのに、新しいもの」の登場が待たれる。

脳はそれを好む。「これは馴染み深い。よく知っているマスター・キートンだ!素晴らしい!しかもこの話は、まだ読んだことがない!」というわけで馴染みがあって大好きで、しかも注意を節約せずに最大入力してくれる。

なぜなら、新奇な体験には特別な注意を払わなければ、それを「馴染み深いもの」と記憶することができないからである。馴染みがあるようでも新奇なものには、注意量を節約するわけにはいかない。最大の関心を持ちつつ楽しめる、そもそも楽しいものは、実に楽しい。

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