2分42秒を過小評価するのには同意できない

佐々木正悟
3 min readFeb 24, 2017

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『「学力」の経済学』をひょんなことから読み始め、いろいろと整理されているうえに、その「書き方」に非常に感銘を受けているのだが、ちょっと引っかかりを覚えてしまったのでメモしておく。

1時間テレビやゲームをやめさせたとしても、男子は最大1.86分、女子は最大2.70分学習時間が増加するにすぎない(p56)

「すぎない」だろうか?

2.7分というのは、そう短い時間ではない。子どもがどのくらいゲームしたりテレビ見たりできるかは状況によって様々だが、私の経験では、やるときは5〜6時間くらいにはなる。

ことの善し悪しは別として、6時間テレビを見てゲームをする代わりに、15分(2.7×6=16.2)勉強したら相当に違うと思う。

たとえばこのMediumの記事は、一本書くのにだいたい10分強で、15分はかけられない。短い日は5分できりあげる。2.7分×2あれば、1本かけることもあることになる。

言うまでもなく、私がMedium一本書いたからといって何ほどのこともないが、私が思いをいたしたいのは生産的な価値ではなくて、2分42秒という時間の長さそのもののことだ。

2分42秒を惜しもうというのではなく、2分42秒というのは、決して「ゼロと同じ」ではないと言いたいだけのことである。

なかなかこれが伝わらないのだが、タスクシュートをしていると「5分を確実に捻出できる」というのは大したことだと思わざるを得ない。(不可能なときにはどうやっても無理である)。6時間テレビを見てゲームをする子は多くの場合、1秒(分ではない)たりとも勉強しないだろう。(しないとなったら徹底してしないものだ)。我が身を省みればそう思う。

毎日1分50秒ずつでも勉強するというのは、ゼロと比べるとけっこうな違いを生み出すものだ。

だから

少なくとも、子どもを勉強させるためにテレビやゲームの時間を制限するのは、あまり有効な方法とは言えないのです。(p56)

とは思えない。私は娘のテレビもゲームも制限する気はないけれど、5分勉強させて、55分ゲームさせておくというのは、ありだと思う。

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