最近まで自分は完璧主義だと思っていませんでした。
むしろ、いい加減で「ちゃんとしなきゃ」と思っていたのです。
書評いただきました。ありがとうございます。
こういう話、多いですね。
「自分がダメ」だから「完璧を目指す」という流れであり、どうしてもそうなりやすいものですが、「防衛機制」を強く連想させられます。
「自分がダメ」というのももちろん思い込みなのですが、その思い込みが養育歴によるものだということも多い。そうなると、防衛機制は父母どちらかのものだった可能性も高くあって、その「ツケ」を払わされているところもあります。
「おまえは元来いいかげんだから、人の十倍ちゃんとして、ようやく人並みだ」
とお父さんが言ったとして、お父さんが完璧だったり、人の十倍もちゃんとしているということは、希です。が、幼児にはそんなことはわからないので、とても素直な子どもだと、それをそのまま呑み込んで、スーパーエゴを作りだしてしまうわけです。
たいていは、途中でいやんなっちゃうし、父さんも母さんも完璧にはほど遠いことを目の当たりにしてますますいやんなっちゃいますが、そうならないケースにおいてむしろ深刻なのです。希に父母が本当に「ほぼ完璧」だったりすると、事態がますます悪くなりかねません。
「父母のような完璧ぶり」を「ダメな自分」が目指すという格好になるわけです。この格好になるとどうしてもMPのコントロールを失いがちになります。
ビーカーに蛇口が着いているとイメージして下さい。ビーカーの中には「やる気の素」みたいなものが入っているとします。これがMPです。
起きている間、MPはビーカーから出ていく一方のため、使いまくれば底を突きます。しかし、底をつくことがあってはならない(死にかねない)ため、絶対使い切らないように蛇口が制御されています。
しかし「完璧を目指す」ために「人の十倍も努力する」志向性を持っている人は、蛇口をいっぱいに開きたいと、常々思っています。これがスーパーエゴによる制御です。
つまり脳には分裂した2つの支配力があって、一方は蛇口を最大限開きたいし、他方はMPをとことん節約したいから締め切りにしたい。そのどちらか極端になってしまうのが、完璧主義な人のそううつっぽさです。
そういう不便な蛇口やガスコンロ、たまにありますね。最大出力か、閉じてしまうか。何か急に取り憑かれたように大掃除するか、部屋がぐちゃぐちゃのままにしておくか。京大式カードを大量に買い込むか、メモをいっさいしないか。好きでそうしているわけではなく、「好きでやれる部分」が自分の中には見あたらないのです。