これからの随筆 Coffee, Pipe, and Camera.について、

まだ羽山さんのやつを随筆化していない。あの時のイベント以来頭に引っ掛かっている事があって、そんな事をしているうちに羽山さんが東京に来る機会があったので、またおしゃべりした。ほぼ一方的に僕がいつも通り話していただけなのだが、おかげで大分頭の中が整理されてきた。

もともとはこんな感じで随筆をスタートさせる予定だった。

「大人になっても子供の時の様に友達になり、無心で友達と遊ぶ事が出来るだろうか。」その答えは、ほぼNOだ。だから敢えてやらないといけない。でもそれをやろうと思ったら、そうしようと思っている人か、それを意識できている人としかできない。

まーでも少し変わりそうな予感がしている。今こんな事を思ってて、

今の世の中で大人はビジネスを行い、その形が社会のあらゆるところで結果として目に見ることができる。電車に乗っていても、街のあらゆるところを見ても、テレビやラジオ、紙媒体やウェブメディア、さらには様々なサービスを利用するにあたっての契約など、世の中にあるビジネスの環境下で人は生活をしている。
 しかし最近切に思うのは、もう違和感しか感じれない状況にあるということだ。目にするもの、耳にするもの、人と接して感じるものに違和感を感じない日などすでにない。

特に自分が子供を持つ親であると考えて、自身の子供が目にする様な事があったり、耳にする様な事があった時、そんな見せたり聞かせたりしたくないものが、世の中にどれだけ蔓延しているかを感じている親は多いのではないかと、僕は思っている。
 もしくは自分の子供が大きくなり、就職をした時に、おかしな携帯会社で、お客様との契約時におかしな発言を自分の子供がさせられてはいないだろうか、詐欺紛いな事を言わされながらも、それで平気な顔をしているマネージャーやトレーナーがいて、それを平気な顔で言える様にならないといけない環境に、自分の子供が居させられていないだろうか、それは間違っているますと言えない環境にいさせられていないだろうか。
 電車に乗ったら、意味の分からないゴシップの雑誌の辛辣な言葉の羅列や、変な詐欺紛いの啓蒙系書籍の宣伝や、人が美しく居ないといけない様な美容系広告など、見る人間が違和感しか感じないものが沢山ある乗り物に乗っていて、そういった広告を平気で出せる感覚であったり、自分の仕事としてそれを自分の子供が目にする事を考えた時に、これは仕事だから関係ないと思えるのか、

シャーアズナブルの発言の様に、僕はただの「坊やだからさ、、、」って事なのか。

今後、というか元々、随筆 Coffee, Pipe, and Camera.は、人生のためのメディア、特に人生をアートするためのメディアなんだ。だから、これからはインタビューの随筆化と、僕の人生をアートするための行動や事を、改めて書いていきたいと強く思った。

羽山さんとのイベントも早く随筆化しないとね。

そんな羽山さんの随筆化のまえがき2でした。

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