付箋はブックマークとして、ちびちびつかうもの、という固定観念が頭にあって、ちびちびつかっていた。そんななか、あたまのなかのひらめきをEvernoteに保存する危険性に、さいきん気がついた。

ひらめいたことをEvernoteに、どんどん投稿していたのだが、ためこむだけで、ひきだせなくなるのである。検索して、みかえそうとはするのだが、リストアップされたメモをひとつひとつクリックして中身を確認する作業は、しんどい。そこで、いろんな方法を模索してみた。アウトライナー、マインドマップ、情報カード、たんなるブロックメモ。これらは断片をかきとめるには瞬発力がひくかったり、かきとめるだけにおわってしまった。くよくよしていたときに、メモタイプの付箋に目がいった。一枚一トピックで付箋(75×75)に、はしりがきしていく。かいた付箋をどんどんホワイトボードや壁に、はっていく。にたような内容の付箋をひとまとまりにしてクラスタをつくっていく。断片を俯瞰する、という部分にこれまでもとめていた風景があるように思われた。俯瞰して整理して、不要なものを目のまえからけす。そうこうしているうちに、なにか物語めいたものがあたまのなかで醸成されていくのを感じる。気のきいた表現をひろいあげて、原稿にくみこむ。原稿と壁に付箋のあいだをいったりきたりしながらコーヒーをのみ、くよくよしながら原稿をかきつづけるのである。

壁にぺたぺたやっているうちに、あらたな問題にいきあたった。付箋で壁がいっぱいになってしまうのである。あるていどの余白をのこしつつ、島がみえるうちは、付箋をつかった俯瞰はうまく機能するのだが、はる場所がうしなわれて、壁全体に等間隔に付箋をならべてしまうと、それは壁にびっしりはえた鱗にしかみえず、なにも発想がうかんでこなくなった。

どうしたものか、と思っているうちに、スマホのカメラで島の状態を撮影し、いらないものを目のまえからけしていけばいいことに思いいたった。さらにそのあと、Post-it Plusというスマホのアプリを発見した。壁にはった付箋を一枚ずつ自動で画像データとしてとりこんでくれるアプリで、壁にはられていたときの配置もそのまま記憶してくれる(整列させることもできる)。わたしがつかっているスマホは5インチの画面サイズでこれはちょうど横幅がつかっている付箋と、ほぼおなじである。とりこんだ付箋をいちまい、いちまい単語カードのように、めくりながら確認することができる。

画面上で俯瞰してみることもできるが、スマホの画面だと、ちいさすぎて何がかいてあるかわからない。このあたりは、やはり、壁に、はることのアドバンテージだと思う。そのあと、Mac用のアプリがでていないかさがしたがみつからなかった。

付箋はどこにでも、うっている。もちはこびも楽である。必要がなくなったメモずみの付箋は撮影して廃棄してもいいし、ファイルにいれてしばらくおいておいてもいい。

あたまのなかにある考えの断片を付箋に、はきだす。しかし、残念ながら、はきだされた断片と、そこからうみだされる文章とのあいだには断絶があるように思われる。文章は文章で、その内部に、その部分部分に有機的なタイミングがある。付箋メモの断片は、文章の各所に点的に配置されることはあっても、単純にそれらをならべるだけでは文章は完成しない。それは、また、しんどいことである。これは、ツイートをならべれば、まとまった文章がかけるのではないか、という目論見が、そのあと、はずれたことで気がついた。

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