それ以外の指標

今の日本経済の何となく盛り上がれない原因の一つとして、ほぼすべての会社、企業が、彼ら自身の指標として、「金」ばかりを追っているのみになっている、そんな気がしている。それ以外の指標を追いかける会社、無いんでしょうか?それとも、そんなことをすると途端に会社の経営としての屋台骨がガタガタ崩れるのが常でやっていけない、突き詰めれば資本主義の限界?でもあるのでしょうか?

すべてが金金。会社のみならず、昨今、公共サービスも、結果的に詰まる所、金。やり方として公務員(いわゆる正社員)の数は減らしながら、臨時職員だのなんだので、非正規雇用で対処する。無駄作業をなくして…という対応手段もありそうだけれど、(それを全くやっていないとは言わないものの)無駄作業が多く残りながら、コストダウンを図るには、究極のところ工賃を減らす、要するにコストの安い人に切り替えていく…という事ばかりに。

本来的に、たぶんそんなコスト削減を最もやってはいけない「教育」においてでさえも、同様の傾向…だという事は言うまでもないだろう。「先生」方は、教科を教える以外の様々な作業をやっていたりするわけで、わかりやすいところで言うとするなら、休日等々のスポーツの引率などがまさにその一つ。「物理の先生」として教職に就いた人が、なぜに経験のない「新体操」の顧問をやらなければならないのか…とかって、あるのでは?

もっと言えば、大学だって同じだろう。非常勤講師の単価の異常な安さは何なんだろう。教育の意味合いもあり、さらにその上?の研究、といった内容は、「コスト」とは一線を画すはずなのだけれど、それすらコストダウンのあらしにさらされている。

ここで、「いや、教育はやはり、コスト意識を少し例外的に扱うことで」という考え方もある。が、そもそも「教育」や「研究」にそれだけのお金をかけられるという事ができる組織や集団であり続けるには、それ相当の価値や、余剰がなければ当然できない事に。もちろん、この仕組みが回転し続けるからこそ、いくつもの失敗を犯しながらも、その千に一つ、万に一つの研究が大きな価値を生み出すからこそ回り続けているのが現在。

でも、それすら回らなくなってきた、コストをかけられなくなってきた…ということは、そもそもそういう階層レベルの経済を営めなくなった組織、集団、国、というとらえ方を覚悟すべきなんだと思うのですよ。

テレビドラマなどであるでしょ?「俺だって、やればできる実力があるんだから…」と豪語している奴は、ドラマを見ているこっち側からすると、突っ込みどころ満載で「おまえムリだからさ!クチばっかりじゃんww」という事。組織が、集団が、国が、そもそも自分たちが「やれるはず」と信じている事自体を謙虚に受け止め、真摯に見つめなおす時期になってやいませんかね?出来ることも、出来ないことも、正しく受け止めて、受け入れてこそ、正しい次のアクションにつながるのでは?そこが「失敗の本質」なのでは?