勝つには勝ったが

勝負事にせよ何にせよ、「勝たねばならぬ」という信念を貫く人がいる。

でもたいてい多くの人は、ただ単純に「勝つ」とは考えていないだろう。

スポーツで考えてみよう。「勝つ試合」もあるが、実は「良い試合」という軸もある。

すでにお分かりの通り、「勝つけれど良くない試合」もあれば「負けたけれど良い試合」もある。

勝つ勝つといわれがちだが、ただ単に勝てばいいというのではなく、実は「良い」という評価軸が同時に満たされることを通常求められている。例えば、視聴者のあるゲームとしての競技は、見ていて楽しい、ワクワクする、感動する、という評価軸。コテンパンに相手がやっつけられるワンサイドゲームでは、強いけど面白くない…ということにもなりかねない。

企業で考えれば、儲かる企業が勝った企業。儲からない企業が負けた企業。

だが、ブラックに儲けても通常は社会的に制裁を受け、来年も同じような儲けにつながらない事が少なくない。…という自浄作用が働くからこそ「良い形で儲ける」という事が求められているのが企業活動。

でも最近思うのは、バレなけりゃ、表に出なけりゃ…といった匂いをぷんぷんと感じる昨今。そのくらいギリギリまで搾り上げることで効率化を図っている。裏を返せば、新たな付加価値がそれほど簡単につけにくくなったことで、効率化ばかりで対応せざるを得ず、結果的に搾取方向、ブラック方向にのみ力が過剰に働いている状況に。

そしてその結果として、その勝ち方でも良し/悪しとするようなコンセンサスは、結果としてまだ出来上がっていない気がするのだが?要するに経済に寄与する軸「だけ」。それって、とっても怖いことではないですか。

儲かればいいのか?と言うと全く極論の反対に振って、じゃぁ儲からなくてもいいのか?と来る。そうじゃないだろう?と思うのだが。極論のみに振るのは、議論の放棄じゃないのかねぇ?