安全だから

皆さんの会社でも会議をする機会はたくさんあると思う。関係者を集め、一堂に会して会議を行う。進捗確認から、合意を取る会議まで、さまざまな目的で会議を行う。

そんな中、せっかく時間を割いてその会議に出ているのに、何も発言せず、黙って終わっていく人がいる。

時にこう言う人もいる。特に会社の上層部、部長や取締役などだったりするのをよく見るのだけれど、

「会議に出ても何も言わないのなら、いる必要はない!居るのなら、何か意見を述べなさい!」

特に海外、いわゆる欧米においての会議では、その会議において何も語らない事は、いないに等しい。何のために出て来たのか?と詰められることがある。小さいころから自己主張する訓練を機会あるごとに求められてきた彼らは、「私はこう思う」「僕にはこんなに素晴らしい考えがあるんだ」と、自分をアピールする形でどんどんと意見を話し出す。たぶん、そういう意識で、日本の社内のお偉いさんは、会議において意見を出せというのだろう。

だが私の経験だけから言えば、たしかにそうした欧米での会議で本当に良い意見を言う者もいるのだけれど、実は「僕の素晴らしい意見」として述べられている多くは、個人的には、『それ、本当にそんなに素晴らしいか?誰でも考えつくだろう?お前空気読めや…』と思える意見が少なくなかった。「言う」という行動はしているが、それ、意味ある意見か?

それでも百歩譲って、意見を言う、表明することの意味は認めたい。

翻って日本における会議の場面。

誰かが意見を言ったとしても、結果的にみんなが空気を読みあって、結局、お偉いさんの意見が「忖度(そんたく)」され、結局それになるのが関の山。まかり間違って、お偉いさんと違う方向の意見など言おうものなら、どこで目をつけられるか、不利な立場に追い込まれるのかわかったもんじゃない…と思っている人、いや、そもそもそういう事がたぶんどこかであったからこそ、みんなそんな危ない橋を渡りたくなくて、意見を言わないんじゃないだろうか?

そう、意見を言えるのは「安全だろう」と推測されるから。意見を言ったとしても、それはその一時の事で終われるから。いくら言葉で「安全だ」「何を言ってもいい」と口頭で言われていたとしても、本当にそれが担保される保証がない雰囲気が漂うだけで、みんな言わなくなるだろう。

それこそ、本当にその「安全」が重要視されるべき「社内通報制度」であったとしても同じこと。これがそんなに機能していなかったりする背景、実質的に通報者が匿名を担保されないことが一度でも見えた瞬間、それが意味する危機を真剣に考えた方が良い。

幸いにも、銃が認められていない日本の国。であるがゆえに、結構なところで、「口先」だけの約束が反故にされる場面を頻繁に目の当たりにする人が多いからこそ、誰もが「安全だと思えず」に、意見をしない。

あくまで想像だけれど、銃が認められたりする状況では、そのある意味究極の「力」を手にすることで、ある意味での安全が自分だけで担保できることにもなる。最後の安全を手に入れるからこそ「自由に発言する」ことができている側面はあったりするのではないかと勘繰りたくなることもある。

そのくらい、「安全」というのは「自由」と密接にかかわっていないだろうか?

会社のお偉方に睨まれたくないからこそ、下手なことは言わないのでは?…ということは、いくらお偉いさんが「発言せよ」と息巻いたところで存在している。その状況こそが、「お偉いさんのそんな一言で、安全だという状況など、信用できるかよ!」となっていることに、当のお偉いさんが気づいていない事が、かなり痛いんじゃないかな…と思ったりするのだ。

あなた、会議で自由にモノが言えてますか?