正解という幻想

自分がなんとなくもやっと思っている事を、一言でスキッと表してくれたり、もしくは自分の思いと同じことをテレビやラジオで誰かが言ってくれると、「そうそう!」となることはある。

なので、テレビなどのコメンテーターの一言で一喜一憂したり。彼らの語る何かを話題に友人と語ったり。

でも、「メディアで語られた」からと言って、それが「正しい」という保証はどこにもない。

とは言え現行のマスメディア、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌等は、法で規制されたり、昔からの経緯によって、伝える内容に関してかなり注意深く取り扱う姿勢があり、それなりの体制があり、それが破られた際には外部の力で是正する力も用意されていたりする。

しかしネットはまだまだ未熟だ。

特に、そうしたマスメディアがバックについている情報ソースと、一般人のうわさベースの内容が、全く同一に見える可能性があるのがネットの情報。であるがゆえに、そういう意識をもって見ているか否かで、根拠のあるものとないものが、すべてない交ぜになって流布していく。

人は誰しも、信じたい情報を信じたいし、見たい情報が見たい。だから、見たくない情報を避けたり、信じたくない情報を嘘だと決めつけようとしたりする。でも「受け取る自分も偏っている」という事と、「送り手側も偏っている」というどちらもを理解していれば、多少なりとも頭の片隅に入れていれば、どこかで必ず引っかかる事があるはず。

だから、唯一の正解があるというより、「今そのように見える解」ということがずっと続くだけ。

小学校中学校あたりで染み込んだ「唯一の正解」を探しても、たぶん見つからないのが現代。それに賛同する人が多いのが、たぶん今のところの「解」。その拠り所が、芸能タレントの一言でいいのかどうか。一部偏った知識人でいいのかどうか。

偏っているんだ、ということを意識して、摂取し、吟味していくこと。

でもこれだと食事と同じで、「栄養バランス」が偏りがちなんですが…。

情報の栄養バランスはいかがですか?