いつも今を省みる

実は何者でもないがそこにいる自己
最近参考にさせてもらっている松本紹圭さん。彼の言葉は平易な表現でわかりやすくすぅ〜と入ってきます。
松本紹圭さん
http://www.huffingtonpost.jp/shokei-matsumoto/
1979年北海道生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』(higan.net)を設立、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』を運営。2010年、南インドのIndian School of BusinessでMBA取得。2012年、お寺の経営を指南する「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書に『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァー21社)など。
人間は自分を何者か決めたがります。なぜなら何者か決めないと落ち着かないからです。「私は〜と申します。」「私は〜社の〜です。」「私は〜歳です。」「私は〜で生まれました。」そんな感じです。でも、こう言ったメタ情報でさえもそこに確からしい自分を当てはめることしかできません。僕はずっとそのメタ情報に息苦しさを感じてきました。何者かになろうとした瞬間、何かとらわれてしまうような感覚がありました。だからいろんなことにチャレンジしていろんな自分を表現することで、そこから自由になろうと思ってきました。何度も言いますが今思えばです。結果論です。その中にいるときはただなんとなく息苦しい感じがしてました。
実は息苦しさもそもそもなかった
息苦しさを経験として認識した瞬間に息苦しさから解放されている自分に気づきました。それは言ってみれば、自分が未知のものに対して漠然と恐怖を感じているような状態だったからです。自由の中に生きている(不自由も経験できる自由がある)ということがわかった瞬間です。多かれ少なかれ僕たちは自己を正当化したいがために外れているのがわかっていても、自分の声(答え)に耳を傾けないことがあります。その場合、どうあがいても必ず本心へ引き戻されるイベント(経験)があります。最終的にはそれを聞かされそのように生きることを選択させられます。つまらない言い方になってしまうかもしれませんが、内側から湧き出る自発的な動機に支えられた人生における役割が決まっているということです。
純粋な動機と流れ
やはり結論はいつもと同じで純粋な動機を大切に行動し、前に進みながら流れに沿っていくことです。ただ、それも自分の人生を振り回されてみてわかることもありますし、実際に何が役割かなんて実はそれすらも幻想でしかないのですが、面白いもので波に乗っているときは物事がスムーズに進みます。そしてハードルを乗り越えることを楽しみ、継続すること(努力すること)が苦になりません。書道家としての僕はこれから僕をどうしようというのでしょうか…笑