よし、空き缶作戦だ


最近はけっこう仕事が大変な状況で(とはいつも言っている気もするけど)、しかし仕事があるということはそれだけでもありがたいことだから(ともいつも言っている気はするが)、粛々とそれを進めていこうとはしているけれど、それでもやっぱり明らかにこれ、俺のキャパシティをオーバーしているよな、という状況に陥ると、もう作業そのものを一旦投げ出して深い眠りに落ちたくなる。

しかしながらもちろん、深く眠っている間は作業が進まず、それはまるで雪かきをすべきときにしないまま雪がどんどん降ってきてさらに積もっていく、みたいな状況にもなるわけなので、いつまでもは眠ってもいられず、また起き上がる(というかそもそも寝ていない)わけだけど、このときの心境というのは、

よしお前、10個のテニスボールを受け取れ、と言われて、一個ずつ順番にだったらホイ、ホイ、と受け取っていけるんだけど、10個同時に投げられたらせいぜい2個ぐらい、場合によっては1個も取れない、みたいなことになる、その10個同時バージョンに遭遇しているような気持ちになる。

いかに自分の運動神経が良かったとしても(仮にですが)、10個同時はやっぱり無理で、というか無理じゃない人はいないと思うが、ともかくこういうときには1個ずつ順番に投げてもらうしかない(それも優しく)。

あるいは夏の海岸に散乱した無数の空き缶を前にして、この海岸を綺麗にしようなんて思ったら、捨てられたそれらを一気に同時に拾うなんてことはできなくて、ただただ地道に、1個ずつ拾っていくしかない。人海戦術的に無数の人間が1個ずつ拾えば無数の空き缶だって一瞬で拾い終えられるよ、と言われるかもしれないけれど、そのような組織化自体がまた一瞬で終わるものでもないから、結局のところ薄い階段を一段ずつ上がっていくように対していくしかない。

逆に言えば、テニスボールを1個ずつ受け取るのと同様に空き缶を1個ずつ拾っていけば、そのつど缶1個分ずつは確実に綺麗になっているわけで、結局のところ膨大な残作業というのはそうやって10個同時にではない、1個ずつ進めていく方法で処理していくしかない。

一番マズいのは、10個同時に受け取るのが無理だからと絶望してしまって1個ずつの処理すらしなくなってしまうということで、しかしそのような選択肢を往々にしてぼくは取りがちである。と同時に、ふとした弾みで最初の1個を処理し始めると、何となくその「ついでに」という感じで2個めの処理に移り、その「ついで」が次の「ついで」を呼ぶようにして何となしに作業が進んでいく、ということがある。ようは「最初の1個」のボールを受け取ること、あるいは最初の1缶を拾うことがその後の作業を大きく推進している。

だからぼくはそういう無数のボールを同時に(それも強く)投げつけられたかのような、絶望的なキャパシティオーバーの状況に襲われたとき、自分に言う。

よし、空き缶作戦だ。

そして目の前の巨大なタスクを一つ、また一つと手のひらに収まる程度の小ぶりなタスクに小分けし(それはまるで一塊の大きなパン生地から1個分ずつに切り分けていくように、あるいは熱々のモッツァレラチーズを小分けにしていくように)、それを今度はある程度の目安にそって優先順に並べ、端から地道に終わらせていく。それは次の「ついで」のモチベーションを呼び、それがまた次の活力を呼び、作業の連鎖を起こしていく。