紙の媒体が消失することについて

Nozomi Okuma
4 min readApr 24, 2016

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自宅作業デスク(シャッターストック風に撮影してみた)

出版物より電子書籍が売れるようになるという話をMedium上で読んだ(TechCrunchのライターでもあるJohn Biggs氏による記事だ)。PwCのデータによると2017年、来年にも電子書籍の売り上げの方が上の出版物を上回るのではないかと予測されている(アメリカの話)。

そう言われてみれば、私の家にも本とか雑誌とか紙の本はほとんど家にはもうない。引っ越す時に全部手放してしまった。あるのは自分が翻訳した本、もらった本、どう考えてもKindleにならなそうな専門書で読みたかった本が数冊あるだけで雑誌に至っては一冊もない。雑誌は昔あんなに読んでたのに、最近では美容院に行った時にぱらっとめくるくらいだ。

今はKindleで読みたい本を買って読んでいる。Kindleに売ってないのなら基本買わない。置く場所もないし、手放す時に捨てたり、ブックオフに持って行ったりするのも面倒だと思ってしまう。

でも、John Biggs氏が言うように、ずらっと小説やら図鑑やら学術書やら文芸書やらが並ぶ光景がなくなってしまうのは寂しく思う。思い返してみれば、小学生の頃は良く図書館に行っていた。当時はまんがを中心に読んでいたけど、年齢が上がってミステリー小説もSFも歴史物もラノベも読んだ。気に入った表紙の本を手に取ってパラパラめくって全然知らない世界を見るのが楽しかった。

でもやっぱり、もうリアルの本は買わないんだろうなと思っている。知りたいことはネットで調べればよいし、いつでもどこでも持ち運べるKindleで同じ体験ができるならそれで十分なんだ。

本がなくなることが全く寂しくないわけじゃない。今まで自分が慣れ親しんできたものがなくなってしまうのは寂しい。あと10年20年経ったら、本を手にする機会はめっきり減ってしまうかもしれない。私は本で育ってきたから、例えば子供ができた時に本のない世界で私が体験したような異世界に没入できるような体験をどう与えられるのか?なんてちょっと不安に思ったりもする。

本の消失は、一つ自分にとっても当たり前の体験が消失することなんだ。

でも、それが寂しいというのは個人的な感情の問題でしかないのかもしれない。本の消失自体は良いことでも悪いことでもない。技術の進歩による「変化」、あるいは「移行」に過ぎないんだと思う。

本という形で提供されていた体験が新しい形で受け継がれる。そこに新しい文化が根付くんだと思う。

音楽は昔レコードだったけど、それがなくなってCDになった。今やCD屋もめっきり減って、スマホでいつでも聴けるサブスクリプションになった。でも、レコードがCDになって音楽は持ち運べるものになったし、サブスクリプションになった今では音楽を好きなだけ定額で聴けるようになった。今まで届かなかったところに音楽が届くようになった。もちろん、レコードだってCDだってなくなれば寂しい。でも音楽の体験がなくなったわけでもないし、移行による良い面が多かったから移行したんだと思う。

本も移行の段階にあるようだ。

それは新たな変化で、それに寂しさを感じる私は悲しいけど着実に年を取っているということなんだ。私にとっての当たり前が次の何かに移行しようとしている。

次の「当たり前」はどのような姿をしているのだろうか?それはとても楽しみなことでもある。それに順応できるかどうかはまだ分からないけど、きっと悪くもないはずだ。

今後もきっとそういった「変化」がどんどん起きるんだと思う。これまでの常識がひっくり返る。年を取るのは避けられないし、変化はいつも訪れるものだ。そんな変化を目一杯楽しめる人でありたいと思った。

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Nozomi Okuma

TechCrunch Japanのライター・翻訳 ここでは好きに書きたいこと書いてます。