エンジニアになら誰でもなれる。

Toshiyuki Oka
7 min readSep 18, 2014

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まずは私の経歴をざっと説明させていただきます。

新卒で営業として入社(22歳)

東京での新規営業、大阪支社立ち上げ、名古屋支社長(23–24歳)
↓(2年後)
東京での既存営業(24歳)
↓(1年後)
営業として売上の予算を落とさずエンジニアの勉強を並行して始める(25歳)
↓(半年後)
自分で一つのWebシステムを企画・開発(26歳)
↓(半年後)
初めて自分で企画&開発をしたWebサービス「ProFinder」をリリース(27歳)

同社取締役に就任(27歳)
↓(1年後)
二つ目のサービス「JobShare」をリリース(28歳)

新規事業の企画と開発を中心に活動中

まぁ、バカみたいに色んな職種やポジションを経験して、普通の人より遠回りしているわけですが、その中でよく言われるのが、「営業→エンジニア」になったとこと、「新卒で入った会社の取締役」になったところに興味を持っていただくことが多い。

今日はその中のエンジニアになったときのことを、他の人の参考になればということで書きたいと思う。

1.エンジニアになろうと思ったきっかけ

社会人3年目(25歳)のある日、営業としてある程度要領を得てきたタイミング。少なくともあと25年くらいはビジネスをすることになるとして、25年間飽きずに没頭できることってなんだろう?と。

元々経営には興味があったものの、社長になりたいわけではなく、かといって営業のスペシャリストになることもイメージとは違った。

そのとき偶然にもアトラエが人材紹介会社からインターネットカンパニーにシフトしている最中で、エンジニアが圧倒的に足りなかった。

思い返してみれば、営業時代もIT・Web系のクライアントがほとんどで、様々なWeb・モバイルビジネスに触れ、自分でも新規事業を考えるのは好きだったので、「この頭の中にあるアイデアを、自分で作れたほうが早いし、そうしたら25年間飽きることはなさそうだな」と直感的に思いつきました。

ただそのときはリーマンショックもあり、会社として営業がエンジニアに完全にコンバートできる状態ではなかったので、日中の20時までは、営業業務をして今まで通りの予算をやりながら、20時以降にエンジニアの勉強をすることを会社に伝え、半年後までには自分が営業から抜けても数字が落ちない仕組みを作ることを条件として、社内でエンジニアの勉強を始めた。

2.まずは一冊の本の半分を読破

プログラミングについて全く知らなかったので、その当時バイブルと言われていたRuby on Railsの本を一冊だけ購入。

今考えるとお恥ずかしすぎるが、RubyやRailsを初めてインストールしたのは、一世を風靡したあの100円のEeePC (笑)

とりあえず、本の後半は難しそうだったのと、ぶっちゃけ必要なさそうだったので、前半半分くらいのいい切れ目のところまで、平日の夜20時以降と休日に読みながらEeePCでカタカタやってみました。

それはそれは眠かったし、ぶっちゃけ何言ってるか分からないところが半分くらいありましたけど、とりあえずコピペしたら動くようになってたので、極力細かいこだわりは捨てて、前に進むことだけを意識して読み進めました。

3.とりあえず全部一人で作ってみた

ようやくちょっとはエンジニアっぽい画面で英語のような言語を書けるようになってきたときに、偶然知り合いのマッサージ屋を経営している人から、予約システムを作ってみないか?と。

何も考えずにやります!って言って、もちろん無料で作ってみました。

やってみると、まずどうやってアプリを新規作成をするのかすら覚えていないw でも、やるって言ったしもう一回本を読み返しながら、やり始めました。

せっかく作るんだったら、使いやすいのを作ろう!ってやり始めてみると、全くやったことのないことだけど、絶対に必要そうなことがわんさか湧いて出てきます。

①サーバーの構築
②ドメインの購入&DNSの設定
③開発環境と本番環境などの環境構築
④スマホ、ガラケーにも対応
⑤デザイン
⑥CSS, Javascript, ajax, jQuery
⑦業務フローのヒアリング&設計
⑧DBの設計・構築

どひゃ〜ってなるかと思ったんですけど、夢中にやってたので、一つ一つ倒していって、なんとかほぼ全てを自分でやってリリースすることができました。

今でも一応そのシステムは使われているみたいで何よりです。

4.チームでWebサービスを作ってみた

いやぁ〜疲れた〜と思っていた矢先、会社の中で作ってみたいサービスのアイデアがあり、それをちょうどリリースが終わった私が作ってみたら?ってことに。

ProFinderというサービス。

今回はさすがに自分でデザインできるレベルではないので、3人のチームでやることに。

ディレクター、エンジニア、デザイナーという3人で作り始めてみて、facebookのAPIを使うサービスだったので、英語のDocumentを頑張って読んだり、デザイナーとのやり取りやソースコードの共有方法などなど、チームでやることと、ちゃんとしたWebシステムではなくWebサービスを作ることの難しさや面白さを学びました。

こんな感じで、私は営業からエンジニアに転向して、今は歌って踊れるエンジニアとして、新規事業企画、ディレクション、開発、営業、マーケのまねごとなど、幅広く今必要なポジションで動ける人になりました。

今現在はJobShareというサービスをやりながら、新しい事業をもう一つ作っています。

エンジニアになったことで、より一層戦う舞台が”世界”になり、少なくとも5年10年は飽きずに没頭し続けられるんじゃないかという手応えを感じています。

あと、新規事業を考えるときとか世界の新しいサービスを調べるときも技術が分かっていると、理解力とか考えられる深さとか、現実性とか応用力とか色んな面で役に立ちます。

ぶっちゃけ、5年後10年後の世界がどうなっているかは分かりませんが、基本的なスタンスは変わらず、年齢も身分も関係なくやりたいことや、やるべきことが出てきたら、今の状態とうまく付き合いながら、その方向に歩き始めるってことだけ。

とにかくシンプルなこの思考回路で今後も面白いことや価値のある仕組みを作っていける人間でありたいなと思う今日この頃。

少しでもこのエピソードが誰かの参考になれば嬉しい限りです。

私自身は、アトラエを”世界”から注目されるチームにする!
これが当面の夢なので、頑張ります!!

株式会社アトラエ
取締役 新規事業企画・開発
岡 利幸
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