おわりに

オホーツク島
4 min readFeb 5, 2017

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「ぼくは、この国には希望だけがないと言いました。果たして希望が人間にとってどうしても必要なものかどうか、ぼくらにはまだ結論がありません。しかし、この国のシステムに従属している限り、そのことを検証することは不可能です。希望がないということだけが明確な国の内部で、希望が人間になくてはならないものなのかどうかを考えることは無理だとぼくらは判断しました」

冒頭で紹介した村上龍の小説「希望の国のエクソダス」では、「ポンちゃん」たち中学生が立ち上げた団体「ASUNARO」が、北海道千歳市付近の土地に集団で移住し、自分たちのコミューンをつくり、日本国からほぼ独立したような形で自分たちの暮らしをつくり始める場面が描かれている。

昨年の夏、筆者が一時的に北海道に帰り、まさにこの活動を進めている最中、高校時代とても親しくしていた友人から連絡があった。留年しながらも大学の看護学科を卒業し、何度か働いて休職してを繰り返していたが、仕事で致命的なミスを繰り返してしまうなどうまくいかず、うつ病とADHDの診断をされ休職中で、2ヶ月後には傷病手当も切れる。様々な思想に触れてみた結果、山奥でヒッピーのような暮らしをするか、ていねいな暮らし系の農家になるか、ポジティブに死ぬかしかなくなってきた、誰か素敵な暮らし方をしている人がいたら紹介してほしい、という相談であった。筆者は彼と、主に致命的なミスを繰り返してしまう点などの共通点が多く、高校時代から非常に親しくしてきた。素直に相談の回答として、複数の知人のことを話した。そしてできる限りのことは手伝うということも話した。

電話を切った後、メディアをやることの意味についてもう一度考えた。我々の世代に限った話ではないが、我々若者世代が生きることに希望を見いだせない現状において、なんとか死なないでもいい方法、日々に充実感を見いだせる方法を探したい、という思いが自分の中に根強くある、ということを改めて感じた。かくいう筆者も、「オホーツク島」リリースの1週間前に、本論文の副査である教員に「死にたいんですがどうしたらいいですか」という旨の相談を行っている。

幸いにして、「オホーツク島」をリリースしてから、そうした「希望がない」という感覚に襲われたことはまだない。主に「まだ記事化しなきゃいけない、できていないネタがあるから」という部分があるが、そうした自己のアイデンティティを支えるもの、そこに資する作業がある状態、大げさに言うと「やりがいのある仕事」や「生きがい」といったものを、筆者自ら形成することができたように思う。そしてこれは、決して筆者にしかできなかったことではなく、「民主化」されたメディアを使い、インターネットを介して出会うことのできた同じような志を持つ人との協働によって作ることができたものであり、そうした協力者にとっても「生きがい」に近いものになりうるのではないか、ということが事後調査を通じて読み取れる。

世の中を良くする、ということより、まず自分が、たのしく、明日を生きることができる環境を作りたかった。その結果生まれたものが、明日より先の自分につながり、自分の周りの人につながり、その周りの人につながり、結果として世の中に繋がっていく。そんな可能性を、まだメディアのリリースからたった4ヶ月程度ではあるが、筆者自身感じている。

行き過ぎたグローバル化の反発を受け、徐々にクローズドになっていく世界において、本当に大事なことまでクローズされていかないように、適切なオープンがこれからも続けられていくように、仲間たちとともに活動していきたい。そして、今後ますます増えていくであろう分断の中でも、横切ってアプローチしていくことを恐れず活動していくことによって、本質的な希望が生まれ続けていくことを願っている。

「失われた20年」に生まれ育ち、大人たちに期待できることなど何もなく、失われるものなど元々何もなかったことを知っている我々は、境界を跨いで繋がっている自分たちの生活を上向けることが、その先の世界につながっていくことを祈って、目の前の取り組めることから少しずつ活動を続けていきたいと強く思う。

日々をよくするために、音楽をやろう。

── tofubeats

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