哲学カフェを意味あるものにする ルール「専門知識を自分の言葉で語る」

 多くの人は、自分と似たところがある人を好みます。「気が合う」ってやつですね。これがサークルの中でどういった役割を果たすでしょうか。同じ思考の人が集まることになります。反りが合わない人は、「もういいかな」となって二度は来ません。趣味で集まるのだから当然でしょう。
 同じ思考の人が集まると、どうなるでしょうか。どうにもなりません。持続はしますよ。でも、何かサークルから新しいことが起きる気配はしなくなります。
 このサークルが「合唱サークル」のように、「趣味でやったことが、そのまま結果につながる」ようなものだったら問題はないのです。ですが、特に結果に繋がることのない今の現状では、内輪感のある「ゲームサークル」ぐらいの価値にしかなりません。
 これは別に悪いことではありません。人によっては、このあり方が理想にもなり得るでしょう。そういった人にとって、この文章は役には立ちません。この文章は、そうではない人へ、つまり、「意味のある活動をしたい」という方へ向けた文章になります。

 イノベーションという言葉を聞いたとき、何を思い浮かべるでしょうか。胡散臭いセミナーの謳い文句でしょうか。それとも、企業が高らかに掲げている目標でしょうか。
 私はそれを創発と捉えます。何も、ビジネスだけで語るような言葉ではないのです。初めて補助無しで自転車に乗れたとき、「こうやって乗るのか」という感じが掴めた経験はありませんか。そういった経験は他にもあるはずです。算数の計算問題が解けるようになったとき。逆上がりができるようになったとき。買い物が一人でできるようになったとき。そんな経験です。
 もしかしたら、自分にもわからずにできてしまった、という感じのほうが近いかもしれませんね。補助つきで自転車に乗れている、と思って後ろを振り返ったら、連れは自転車から手を離していた、なんてこともありそうですね。新しい能力を獲得するとき、それはいつも唐突です。その経験がイノベーション、創発です。"新たな選択肢の獲得"がイノベーションなのです。

 あなたが自転車に乗れるようになるまで、いったい何をしたでしょうか。別の例でもいいのです。逆上がりはいきなりできたでしょうか。算数の計算ならどうでしょうか、いったい何をしていたでしょうか。買い物の話ではわかりにくいかもしれませんが、何も買い物は始めから一人で行ったわけではありませんね。
 もう、薄々感じていることだと思いますが、私が言語化するならそれは「訓練」です。訓練を積まないと、創発は起きないのです。科学を知らない人が、科学的なアイデアを出せるでしょうか。新しい領域に踏み出すにせよ、何か土壌となっているものがあります。
 突発的に現れる天才は、歴史の枠組みに配置するとすごい特殊な人に思えます。名前と偉業だけ知らされると、ぽんっとアイデアが降りてきてしまった人のように思えます。しかし、その人物を追っていくと、発想のルーツが大抵見つかります。そういった能力ある人は、いろんなことを訓練しています。天才だから訓練ができるわけじゃありません。訓練を積んでいたから、天才になったんです。

 そろそろ回りくどいと思われるかもしれませんので、本題にいきましょう。テーマは「意味のある活動がしたい」ということでしたね。はっきり言って、「哲学カフェ」の活動ではそれは本質的に難しいところがあります。なぜなら、「専門用語を使わないで会話する」からです。
 何も専門用語を使えば、意味ある会話ができるということではありません。話す限りほとんどの人がそうらしいのですが、どうやら専門用語を封じると、「一般的にそうだと言えること」か「自分の考えた結果」だけで話そうとするようです。おそらく、"専門用語と経験がセット"になっていて、専門用語を会話から外すと、訓練したスキルを会話に活かすことができないのでしょう。
「一般的にそうだと言えること」すなわち常識や通念で話しても、「そりゃそうだろ」って思うだけですね。他の人もそれを持っているからです。
 では「自分の考えた結果」はどうでしょう。あいにく"人の思考というのは出来が悪く、「わかりやすいもの」ばかりで満たされている"ことが大半です。納得できたことばっかり記憶されるから、当然といえば当然。もちろん、わかりやすいということは、他人にとってもわかりやすいということです。つまり、みんな同じ思考に至ります。

 これでは意味のある活動はできませんね。だって、わかりきったことを話しているのですから。テーマを工夫してもダメですよ。そもそもテーマを選好している時点で、話しにくいテーマを省いてますからね。
 それは意識の本能のようなものです。"意識は自らを維持するために、コストがかかりそうなものを捨てます"からね。相当疲れているとき、悪いことばかり考えてしまいます。「悪いことばかりの世界」と考えるほうが、他の世界の可能性を無視できますからね。
 では、哲学カフェには希望がないのでしょうか。私はそこまで悲観的でもありません。別の道も考えてます。別の道というのは、企画ではなく、心がけ程度のものです。それは「専門知識を自分の言葉で語る」ということです。

 私の例を出しましょう。というか、先程から使っています。「創発」というのは複雑系の科学の用語です。それを、比較的わかりやすい「イノベーション」という言葉で言い換えています。
 また、「自転車に乗れるようになった経験」という、比較的誰でもアクセスしやすいような事例から、創発の経験を語っています。私が入れているのはシステム論です。システム的には「変数の獲得」という事態を、先程は「新たな選択肢の獲得」と言いました。基本的には、相手(読み手)が「こういう感じか」と感じを掴めればいいわけです。
 こういった能力が、哲学においては必要になります。哲学書は著者が「自分にはわかる言葉」で本を書いています。だから、他の人には難解です。自分の経験と繋げることができないからです。
 この壁にぶつかったときに、文学的素地が試されます。"わからないことをわかるために、自分の中に新たな経験を創り出す"ことが必要なのです。小説を読んで、イメージを創り出すことに近いのです。比喩でもアナロジーでも、使えるものを総動員して、哲学書は読まなければなりません。「テキストを読む」とはそういうことです。"自分の経験から考えると読み間違えます"。

 訓練した人の言葉は一味も二味も違います。スポーツ選手や芸術家、パフォーマーの言葉を読んでみてください。論理的とは言い難いところで語っております。その言葉には現実感が伴っています。直感が働いているのです。
 この言葉は一般化できないのです。だって、訓練して初めてわかることなのですから。つまり、経験がないとわからない言葉です。こういう言葉は定式化できません。だから、わかりやすいものばかり好む人々には無視されます。「もっとわかりやすく喋ってよ」と言われそうですね。
 でも、それは無理な要求なのです。「自転車に乗る感覚を言語化してみてくれ」と言っているようなものです。あるいは、「そこのコップを取って、その取り方について語ってくれ」と言っているようなものです。言葉にする以前に、実行できてしまっている経験は多々あります。
 さて、自転車に乗れない人に、自転車が乗れるように教えるとしたら、何と言葉をかけるでしょうか。きっとあなたは、自転車に乗れたときの経験を、言葉で辿り直すことになるでしょう。そうした言語化をしてみてください。それは、"すでに訓練済みの経験を言語化する"こと。すなわち、「専門知識を自分の言葉で語る」ことです。

 初めて歩き始める赤ん坊にとって、一歩一歩が新しい経験です。それと同じように、自転車に乗る訓練は、日々が新しい経験です。そうした日々新しい訓練に、言葉やイメージはどのように関わることができるでしょうか。
 専門知識は、あなたの経験にどれほどの関わりがあるでしょうか。専門知識を入れて、それ以前とどれだけ変わったかの実感があればいいのです。その違いを言葉にしてみるのです。それから、専門知識を生活に根ざした"あなたの言葉"で語るのです。
 後は聞き手が頑張る番です。哲学カフェなので、少しは哲学のような訓練をしてみましょう。"自分には繋げられない経験に、言葉やイメージを活用して近づく"ことをしてみてください。自分の中に新たな経験を創り出してください。

 さて、意味のある活動にするには、これぐらいは謳わなければならないでしょう。よく「文系の知識はすぐには役立たない」と言われますね。でも、エビデンスはあるのでしょうか。少なくとも学んだ本人が、実感を感じられなければ意味がありませんよね。"実感は就活の面接試験までには得ておいてください"。
「他者との対話を通じて、己の価値観を変革する」でも何でもいいのですが、価値観どころか経験を創り出してください。対話の中で、です。何かしらの実感がなければダメです。
「そんな無茶だろ」と思われるでしょうか。いやいや、演劇の舞台、クラシックのコンサート、オリンピックの競技、それらは「一回限り」のパフォーマンスです。ここでの対話は「一回性」があるんです。このテーマはその日限りのものなのです。それぐらい本気になってください。
 まあ実際は、上記のパフォーマーは当日に向けて予め訓練をしているわけです。そこまでのトレーニングは運営には求めません。どちらかというと哲学カフェは「ワークショップ」に近いでしょう。体験型のパフォーマンスです。だから、参加者にも本気になっていただきましょう。たとえ無料のワークショップに参加していても、参加したからには「何か得よう」と思うはずです。その感じを持ってください。

 とはいえ、運営にはそこまで求めないにせよ、代表は違います。"代表は他人に新たな経験を創り出せるぐらいじゃなければ務まりません"。代表はパフォーマーです。凡人の私には無理?"凡人を辞めましょう"。
 凡人を辞めるためには、積極的にいろんなものを吸収してください。「おもしろい観点」で物事を捉えられる訓練が必要になります。もちろん本は読まなければなりませんが、本を読むだけでもダメです。イベントに多数参加しましょう。芸術に触れましょう。たくさんの人と話しましょう。
 "凡人は自分の関心のあることしかやらず、なおかつ関心が狭い"のです。関心の領域は若いうちにつくられますから、安定化するガチガチの大人の脳になる前に負荷をかけましょう。馬鹿みたいに関心のないことに触れましょう。
 本からは「知識と言葉の使い方」を学びましょう。イベントからは「パフォーマンス性、エンターテイメント性」を学びましょう。芸術からは「作家の工夫、注意の向き方」を学びましょう。他人からは「頭の回転の速さと思考のバイアス」を学びましょう。それら全部を、自身のうちで結実させてください。これがまだまだ凡人な私が試していることです。

 ここまで読んだ方、お疲れ様です。最後に纏めます。
 ①イノベーション(創発)のために、訓練を積むことが大切。②新しい選択肢が得られたことを実感する。③そうして得られた能力を言語化する(訓練の過程を言葉で辿り直す)。④自分の経験から近づけない他人の直感(現実性)に触れたとき、自分の中に新たな経験を創り出す。⑤若いうちに関心のないことも経験しておく。(⑥他人に新たな経験を実感させる。)
 また、哲学カフェのルールも変えていいかもしれません。「専門用語は使わない」から、「専門知識を自分の言葉で語る」へ。哲学カフェもかたちを変えていいはずです。組織は本質を定義づけられるものではありません。活動は進行とともにかたちを変えるものです。というか、そもそも哲学カフェを作ったマルク・ソーテって何者なのですか。

(この文章は、12月に新たに代表になって意気込んでいる哲学科生徒が、100回記念の自分で設定したテーマに合流できずショックを受けた憂さ晴らしに、夜中のテンションで一気に書き上げたという複雑な背景があります。そのため、ここで書いたことは他の運営の合意を得たわけではないので注意。)

※一応図書案内 (前回と被っている)
ー凡人を辞めるために
・河本英夫著『哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題』 日経BP社、2007年
→哲学とシステム論はこの人から学んでいるが、講義と本を読むぐらいで直接師事は受けていない。毎週の講義がエンターテイメント。それだけで毎回私に新たな経験を創り出す。

ー芸術家の経験を入れるなら
・ハーヨ デュヒティング著、後藤文子訳『パウル・クレー 絵画と音楽』 岩波書店、2009年
→音楽を訓練して、絵画でアウトプットをするとこうなる。あるものを訓練して、それとは別のことで創発を起こしているという好例。このレベルまで行けば、人から頭ひとつ抜きん出る。

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