in カフェヴォワール
参加者6名

「若いうちに何をするべきか」

・軽いものから言えば、Excelはできると重宝される。
 あとは車の免許とか家事とかの技術。全然哲学的じゃないけど…。

・重いものだと、親の生き様を知っておいたほうがいいと思う。過去の歴史がリアリティを持ったものとして聞ける"うち"に…。

・親の話を聞いて時代を知るというより、今の自分と比較する。

・親が学歴社会に疑問を持たない人だったから、反抗心は養った。
 幼い弟や妹には、テレビを見ているときに「これは何でそうなったのかなぁ?」と問いを立てることをしている。自分の親とは違った教育のために。

・親じゃなくて、教師の言葉なら「20〜23でやったことが今後を決めていく」というのを覚えている。大学出ちゃうと問い直すこともないからかな。

・哲学は役に立ちましたか?
→哲学そのものが役立つことはないけど、そのパーツを使って話を整理することはできる。あと「本当にそうなのか?」という問う姿勢は身につくし。
→でもそれは「哲学」でなくてはいけないのかな…?企業向けの「クリティカル・シンキング」というものはあるし…。

・理系でも、学ぶだけ学んで知識詰め込んで、そこから問い直すということはある。
 「基礎」と「応用」の違いなのかな。実学を応用するなら問い直すということはないけど、研究職なら基礎の問い直しが必要になる。
→若いうちにやっておくことは「基礎固め」?

・ここまでで考えると、「問う訓練」は若いうちにしておくべきなのかな?「こいつどうしようもないな…」というぐらい思考が固まっている人もいるし。
 でも、「問う姿勢を身につけろ!」と言ったとき、「それが何でいいの?」とか「将来何の役立つ立つの?」という返事に答えられるかな?
→僕は平凡な人生より、ストレスがあっても波がある人生のほうがいいかなと思う。
→不足の事態に対応しやすくなると思う。

→「別の可能性もある」という、自分が体験したことに対して隙間を開く。

・今は自由にできることが多いのに、決断をしなきゃいけない期間が短いなぁ…。

・今は娯楽が多いから「若いうちは本を読め」なんて言われるのだと思う。でも、本とネットの文章から情報を得るのとでは、何が違うのかな?
→本を読んだ実感?
(→予め要点を押さえた情報を収集するのではなく、文章から情報をピックアップする能力が得られる。)
→その点教科書はすっきりしすぎているよな〜。これじゃあ暗記になって、知識のつながりが作れない人がいても仕方ないと思ってしまった。

・後悔しないように生きられたらいいと思う。
→後悔しないことなんてあるのかな?
→論理的な可能性として「別の生き方をした自分」は残り続けるからねぇ…。
→でも、自分で選択したことは納得できる。

・結局、「若いうちに何を選んでも正解」って後々考えちゃうんだよなぁ…「失敗も今につながっている」って。
→統計では、虐待された子は虐待を肯定する傾向を示すという。
→自分を肯定するしかないなら、過去に逆らえない。インプットしたことはインプットしたままアウトプットされてしまう。

・文系って要る?
→文系が要らないなら、専門学校だけでいい。大学があるのは、豊かな教養を得るためだと。
→でも最近は国が、国立の文系を縮小する意向を示しているよ。
 どこの大学にも何割かは「働かない蟻」がいて、その人に文系の教育をするくらいなら、実学につながりやすい理系の教育をしたいというのが、国の考えることでは?
 その何割かに、実学も持たずに「本当にそうなのか?」と言われてもただ邪魔なだけ。

・技術や実学が必要なのは、社会の需要から考えたことだからね。その方向から考えられない文系が、必要か否かと問われるのは当然のこと。
 それの必要性を論理的に伝えることが求められている。「後々効いてくる」じゃ話にならない。

・「論理的に答える」ということがそもそも企業向きというか、理系的というか。彼らは「納得」とか「方法」を頼りにしているから。
 だから、「論理で扱えることはあまりに狭い」とか「新たな発想が出てこない」という論理的思考の問題点をいかに"論理的に"伝えるかが問題になる。
 論理の出来の悪さを論理的に考えるのは、哲学の役目の一つだとも思う。

・「若いうちにやっておけ」ということは幾らでも言えるけど、そのアドバイスが自分の体験を元にしたことしか言えないんだよなぁ。
 だから、その人に届くように、その人の感覚や経験などの材料を活かせるようなアドバイスが必要。これはずっと考えているんだけど、方法にするのがとても難しい。

今回は理系文系の人がバランスよく居たが、どちらかというと文系を必要と言う人が多かったので、文系の必要性を問うてみた。それから、哲学の必要性も。
 若いうちの人文社会科学的教養が、どれだけ人生を豊かにするのかのデータはない。測れるのは収入。収入のことを考えるなら、若いうちに学生団体なりで経験積んで、いち早く社会で通用するノウハウを身につけたり、学歴高いと言われる大学へ行ったりすべき。
 国からしても、何に役立つかの見通しがつきやすい理系や実学を学んでいる学生のほうが、労働力として使いやすい。だから、文系はその必要性を問われるわけだ。
 ここで要されるのは論理的説明。文系の知識を得て、どれだけの見通しがつくのかを伝え、納得させる必要がある。この点を考えておかないと、言葉に詰まることになる。もちろん、ここの活動も必要性は問われるべきである。

このテーマでも「親の問題」は話題にあがった。次のテーマでは「心を許せる境界」ということで、家族も話の引き合いになるのではないだろうか。

※ちなみに著者は哲学科の生徒である。論理的に扱えることが狭く設定されていることは、分析哲学や現象学をやっていればわかること。
 関数的に、入力があればいつも同じ出力があるとか、原因-結果関係で結べるとか、物理世界はそんなふうにできているとは思えない。そう思考してしまうのは、事象の両極端を捉えることに特化した、人の言語と視覚のせい。だって扱いやすいもの。
 その考え方で世界の事象を説明する役目は、科学者に任せるとして、そうではないあり方をしているはずだと世界を捉えて解明する役目は、哲学者や芸術家が担う。まあ複雑系科学もあるのだが。

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