VRは虚しいか まとめ

今回はVRは虚しいか、という議論であった。VRの技術が万全である(映像のクオリティが現実と同じ、触覚なども再現できる、ハッキングされない、など)ということは前提としてVRの本質的な性質から現実と比較して虚しさ導かれるかどうかを議論した。

まずそもそもVRは虚しい、と感ずる側の人の意見としては
・夢を叶えるまでの努力、過程が大事
・失敗から得られる教訓に意味がある
・成功するかわからないからやりがいがある
などが得られ、これらをまとめると結局
・不幸があるからこそ快楽を強く感じる
というようなことに要約できる結果になった。

ただし、VRは虚しい側の中でも全てを快楽主義的な見方に還元してしまうこと自体に反対する立場もあった。そもそもVR自体が快楽主義的理想を前提として導き出された技術であって、VRに入り込むと、人の価値観が快楽主義に一元化してしまうのではないか、ということを批判するものである。

ただしこれについてはそもそも快楽主義を広くとった時にそれに包括されない価値観はないのではないか、という反論もでた。

提題者の意図としては、ニヒリズムに陥る要因が不条理の消極的肯定にあるならば、それを克服するためには不条理を積極的に肯定できる理由さえあればいいのだろうと考えていた。そこでVRについて考えていたら全てが叶う世界に入ろうとしない人間は実はそれ自体不条理を積極的に肯定していることになるのではないかと考えた。そのことに対してより自覚的になることは大事なことだと思ったのだが、どうだろうか。

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