徳島日報の剣山ミイラ発掘記事は消されたか?誤解の原因を考察する(記事の写真有り)

Osaki Syuhei
7 min readOct 12, 2018

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インターネット上には様々な都市伝説があるが、その中に、剣山ミイラ発掘記事が消された or 差し替えされたという説があり、多くの陰謀論者に引用され続けている。

要点を説明すると以下の通りである。

・ソロモン王の財宝を探すために剣山を発掘した山本英輔という元海軍大将がミイラ100体を発見した
・1950年8月26日の「徳島日報」にてミイラ発見の記事が掲載される
・その後、その新聞 or 記事は消された

事実ならば、政府がユダヤの財宝や日本人とユダヤの関係を隠蔽しようとしていたことになるが、結論を先に言うと、記事は消されていない。

実は「1950年」ではなく、「徳島日報」でもない。
その誤解が生まれた経緯を説明しようと思う。

なぜ「消された」という誤解が生まれたか

この徳島日報改竄説(便宜的にそう呼ばせてもらう)は、多くのブログで紹介されているが、その出典・引用元は、以下のブログである。

・憂いの果てに ~次男坊のアフォリズム~
カッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎

1950年8月26日、山本英輔という海軍大将が徳島・剣山でミイラ100体を発見したという記事が徳島日報で配信されたのだが、徳島日報で当記事が配信された新聞ごと消されているという。これは非常に興味深い。

多くのウェブサイトやブログで引用されている。

陰謀論・オカルトメディアのTOCANAも上記の記事を参照して記事を書いたと考えられる。

・TOCANA「徳島県に電車が走っていない衝撃の理由とは!? 四国霊山、電気と結界、ユダヤ教とお遍路さん… 政府とJRが語らぬ真相!

ところがこの大発見の直後、なぜか徳島日報に掲載される予定だった記事は上からの圧力で差し替えられてしまった。

そもそも誰が言い出したのか?

元々は飛鳥昭雄氏の『「日本にもあったオーパーツ」飛鳥昭雄のエクストリームサイエンス(6) 』というDVDが出典元である。

その映像の文字起こしをしたのが、「カッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎」という記事である。

しかし、このDVDの映像と文字起こしした記事にそれぞれ小さな誤りがあり、それが大きな勘違いに繋がったのであった。

誤りその① 1950年ではなく1952年だった

「カッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎」
の記事では、徳島日報に記事が掲載されたのが「1950年8月26日」と文字起こしをしているが、聞き間違いで本当は「1952年8月26日」である。

確かに「1950年」と聞こえるが、飛鳥氏は直前に「1952年」と発言している。

そもそも、山本英輔が発掘を開始したのは、1952年8月17日なので1950年に記事が出ることはあり得ない。

誤りその②徳島日報ではなく、徳島新聞だった

飛鳥氏は『「日本にもあったオーパーツ」飛鳥昭雄のエクストリームサイエンス(6) 』では「徳島日報」と発言しているが、ここが大きな勘違いの原因である。

実は、記事が掲載された新聞は「徳島新聞」である。

新聞名がそもそも違うので、いくら調べても該当記事は出てくるはずがなかったのである。

なお、飛鳥氏はムーで「徳島新聞」と書いているので、講演でうっかり「徳島日報」と発言してしまったのであろう。

その他の間違いが起こった要因

その他の原因として考えられるのが、国立国会図書館所蔵の徳島新聞は、昭和25年8月が欠落している点だろう。

図書館に所蔵されている徳島新聞は、西暦表記ではなく和暦表記であるために、1952年(昭和27年)と1950年(昭和25年)を勘違いした可能性も考えられる。

存在した剣山ミイラ発掘記事。その内容は?

さて、上記の思い違いをしていたままでは永遠に入手不可能だった新聞記事が手元にある。

「消された」はずの記事によると、まず記事のタイトルは「白昼夢を追う人々・剣山秘宝発掘を現地に見る」である。

「現れたアーチ?」とリード文を読むに、記事自体はやや懐疑的なスタンスである。

現在では、国立国会図書館と徳島県立図書館で閲覧可能

発見された「ミイラ化石土」

山本英輔氏は記者にこのように語っている。

この度の調査で剣山山頂がユダヤ移民の遺跡であるということはいよいよはっきりしてきた。また発掘では土器の破片とか、ミイラの化石土とかこれも かくされた世界史をくつがえす貴重な材料だ。

どうやら「ミイラ化石土」と呼ばれると物を発見したそうだ。ミイラなのか化石なのか、はたまた土なのか曖昧な表現である。

現在の科学と歴史はこれらの発見を何とみるか分からないが、より以上の霊の科学的立場からほんものだと断定できる。

実は、ミイラは科学的に証明されたものではない。発掘に同行した新興宗教・宙光道の中村資山氏達によって断定されたものであった。

果たしてミイラがあったと言えるのであろうか?

無視される、発掘に携わった人夫の証言

都合の悪い証言は無視されがちである。
発掘に携わった人夫、葛籠重夫氏は記事内でこのような証言をしている。

ミイラの化石土だとかアーチなど先生方がいっているものは、このへんではどこを掘っても出てきたものばかりです。これも真実はわかりません。ミロク石と呼んでいる変な形の石はありましたが、先生らがいっている石の通路の壁は断層で生じた隙間のような気がしました。

実は、ミイラ化石土はどこを掘っても出てくる土であった。

この葛籠氏の証言は都合が悪いのか、どこのブログでも引用されていない。
山本英輔氏の主観によるミイラ化石土発掘の証言だけが取り上げられているのである。
これは、都合の良い証言だけを選ぶ「チェリーピッキング」という詭弁術である。

また、葛籠氏は続ける。

日当はまだ払ってもらっていませんが半信半疑でやっています

結論

・記事は存在する
・「徳島日報」ではなく「徳島新聞」である
・「1950年」ではなく「1952年」である
・新聞記事によると、そもそもミイラがあるという証拠はない
・都合の悪い証言は無視される

飛鳥氏の講演やブログ記事を読んで、図書館やインターネットで調べた人は少なからずいるだろう。
しかし、「徳島日報」「1950年」という二重の間違いの結果、該当記事が見つかることはなく、「記事の隠蔽は本当だった!」と徳島日報改改竄説が再生産されていったと考えられる。

そもそも、徳島新聞の記事を読めばミイラがあるという証拠は乏しい。
人夫の葛籠氏の証言も併記すれば、ここまで剣山でミイラが発掘されたという話は広まらなかったであろう。

なお、ミイラが無かろうが、剣山の神聖さは損なわれることはない。

参考文献

徳島新聞 1952年8月26日号
三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』(八幡書店、1984年)
原田実『日本史のブラックホール・四国』(http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/black.htm)
ののちゃんブログ『剣山秘宝発掘の古い記事』(http://ononlog.blog.fc2.com/blog-entry-725.html)

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