組織の多様性は「集」ではなく、「個」の再発掘から生み出される
多様性という言葉は「集」に向けて使われることが普通だ。いま多様性のある社会、組織が重要であると言われている。なぜ多様性が重要なのかで言えば、人間そのものが多様性を持った生き物であり、それによりこの人類の繁栄がもたらされてきたからだ。組織においても永く繁栄していくために重要である。しかし、多様性のある社会、組織とはどのようにすれば生まれるのだろう。それは「集」で捉えるだけでなく、「個」の内側にフォーカスすることも重要ではないかと考えるようになってきた。
学校教育は平均点、しかし社会は違う
世の中には色々なタイプの人間がいる。学校で例えるなら、算数が得意な人、運動が得意な人、絵を書くのが得意な人、学級委員のようにまとめるのが得意な人。全てどんなことをやらせても完璧、という人は存在しない。私も理科、数学、音楽は得意だったけど、国語や英語、体育はそんなに良い成績ではなかった。学校ではすべての教科について5段階評価を付けられて、最後には平均点を出されてしまう。平均3.7点。理科と音楽は5、英語と国語が2。理科と音楽には伸びしろがなく、平均点を上げていくには苦手な英語と国語をより学ぶしか方法がない。しかし大人の社会ではエンジニアの私に「営業トークをもう少し頑張ろうか」とは言われない(必要な場面はある)。学校教育においては、基礎を学ぶという観点から色々な科目を学び、底上げしておく必要があるかもしれないが、せいぜい小学生くらいで十分だと思う。私の理科と音楽は5段階評価では5で、自分の周りより得意な認識はあったが、狭い学校という社会では5なだけで、もっともっと伸びしろはあったはずだが、そのビジョンを見せてくれる教師は、残念ながらいなかった。
強みに気づけば、人生は変わる
私がエンジニアの職についたのは29歳。かなり遅いスタートだ。しかしパソコンが得意であることは自分でも認識があった。幼い頃から兄の影響でパソコンを触っていたし、中学生でwindows95のノートパソコンを持っていて、作曲ソフトであれこれしたり、20歳くらいで自作パソコンを作ってカスタマイズして、重いwindowsをいかに軽くするのかが楽しかった。
得意である認識があったにも関わらず、その周辺の仕事に就こうとなかなか思わなかったのは、私の天邪鬼でひん曲がった性格が問題であるが、エンジニアになってからはこれまでになかった感触で、自分の能力を発揮できている実感が強く持てるようになった。私は営業の仕事を1週間で逃げ出したことがあるが、(関係者には迷惑をかけてしまったが)逃げておいて正解だった。あの世界ではきっと全く活躍できない。あの失敗も人生の軌道修正に大きな役目となっている。
「好きこそものの上手なれ」という言葉の通り、「好き」かつ「得意」な分野ほど自分を発揮できる場所はない。イチロー選手も「マイブームは野球です」と言うほど、情熱を傾けられるものが見つかる人はとても強い。
組織における多様性、それは強みの発掘
マネジメントしている中で、チームに基礎力が出来上がってくると見えてくるのが、個の強みをどのように育て、活かしていけば良いかということ。強みの能力を活かすことで、その人は何十倍、何百倍もの力を発揮できる。マネージャーもそれに気付きたいし、プレイヤー本人も気付き、強みを高め、能力を発揮してもらいたいと願っている。その方が100%人生は楽しい。組織に多様性が求められる今、性別や国籍といった外側のステータスの多様性ではなく、本来持っているはずの個の中の強みをしっかりと発掘することで、多様性の強さを持つ組織が作られていくのではないだろうか。個の能力をしっかりと開放できる社会、組織がきっと未来を生き残れる集団となるであろう。
最後にこちらのTEDを紹介しておきたい。Ken RobinsonのBring on the learning revolution!。教育で才能を発揮させる重要性を伝えている。
私も、自分の才能に気付くことで、少しでも多くの人がより幸せな人生を歩んでもらいたい、そう強く願っている。
