『やっぱり平魚泳に出逢いたい。』

時代が変わり、年齢も変わり、

街の在り方、社会の価値観も変わり、

今、今のやり方で音楽を続けていく意味が問い正されている。

僕自身のことね。

ずっと頑張って続けてきた音楽の意義が無くなってゆくような。

「言葉が届かない」

2016年はこれを考える年だったな。

シンプルでとてもわかりやすくて当然で自然な言霊を、そこ(その次元)に行って掴まえてきたのに

とてもはっきりと大きな声で聞きとれるように練習して頑張ってきたのに…

聴きとるのはそれぞれの人の心である。

そもそも僕は自己をアピールすることとか

目立つことって

苦手だしキライ。

そういう人もキライ。

思春期の頃に

この「感じ」は何なんだろう?

を掴まえたくて

歌を始めた。詩を始めた。

そこから始まり、そこから一歩一歩を歩み始めた。歌うこと。奏でること。言葉の役割。音の役割…。

過剰な自意識から始まった歌は今、

あなたの幸せを祈ることに使っている。

だからもう

歌う必要はないんじゃないかな?

だって届いてないし、

そもそも何も届ける必要ないもん。

あなたは、キミは

それで大丈夫なんだから。

だから

「辞める」ってのも別に決めなくてもいいけど、もっと…

やれるときにやれる範囲でいいんじゃないかな?

なんてね。

そして考えた。

では何を

僕は何者であるかと主張して

やるべきなのか。

胸に手をあて。

時代が変わった。

世代も変わった。

社会も変わった。

かつて頼りにしていた

優劣感も劣等感も

役割を果たさなくなっている。

少年の、青年の僕が

今、この時代を生きていたら

どんな人に出逢いたいだろう?

ブルーハーツの代わりにどんなスターに憧れるのか?

時代が違うからスターなんていないかもしれないね。

世界を放浪した旅人だろうか?

パソコン、インターネットで表現するクリエイターだろうか?

実業家?

百姓?

大工さん?

やっぱり…

平魚泳に出逢いたい。

今の時代に少年のナオユキくんが

生き方を模索して

出逢うべき誰かになろうと

僕はずっと頑なに気を張ってきたんだ。

そこに時代は関係ないし、

やり方も関係ない。

平魚泳みたいな人に出逢ってほしい。

そんな平魚泳で在りたいと想う。

ナオユキ君は

有名無名は関係なく、むしろ感覚が濁るから

他人の評価は知らない方が良い。

ナオユキ君は

トントン拍子の声の大きな奴らより

アウトローで静かに感覚を味わう価値観の方が好き。

ナオユキ君は

「こんな風にやってもいいんだ!」

という人に出逢ってゆくべき。

だからそんな平魚泳をこれからもやっぱり創っていきます。

そんな平魚泳で響かせていこうと思います。

というわけで

金曜日の夜には天神の路上あたりに行って

タイコ叩こうと思います。

来週末の耶馬溪、玉名、長崎。

こちらもナオユキ君が

良い出逢いになるように

気を張りなおして臨もうと思います。

http://www.hirasakana.com/index.php?live%E6%83%85%E5%A0%B1

最後にここ最近口ずさむ

ずいぶん昔につくった歌。

パッとしない曲なので

LIVEではほとんど歌ったこともないし

音源もない。

よかった。

歌詞憶えてた。

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食べ残し

生き残り

大事もんは全部壊れちゃった

忘れてたけど

こんな場所に

こんな季節にまだいたんだね

僕のこと

憶えているかな

懐かしい気分で話しかけようかな…

調子がいい時ゃ

気がつかなかったくせに

今更どんな顔すりゃいいんだろ?

嫌われもん

役立たず

誰にも触られずまだ残ってた

ずいぶん変わった

そりゃずいぶん変わった

それほどたくさん季節流れたね

僕のこと

憶えているかな

燃えかすになってここに在るんだな

あの頃ぁ良かったか

辛かったか

踏んで踏まれて今に至るんだ。

僕のこと

憶えているかな

憶えてるはずがないよな

夕陽は沈み

顔もわからなくなって

みんな遠い思い出

お星さま

生き残った

思い出に乾杯

カンパーイ!