体験とは、モノゴトに自分の定規を当ててみること

何事も、やってみる・行ってみることが好きなんだけど、なぜなんだろう?と思っていたら、きっと体験は「How(どのくらい)」を提供してくれるからなんだということに気づいた。

本を読んだり人に話を聞けば、「〜は楽しい」「〜やるのは大変」というのは知ることができる。これは「What(何)」を知ること。だけど、どのくらい楽しいのか、どのくらい大変なのかは、「とても」「すごく」といった言葉を使っても、情報の解像度が大幅に落ちる。

だけど、「楽しい」と書いてあった場所に行ってみたり、「大変」と聞いた仕事に取り組んでみると、それらが自分の定規のどのあたりに位置するか把握することができる。「楽しい」と言われたことが、思ったよりそうでもなかったり、あるいは本当に楽しいのかもしれない。

モノゴトに自分の定規を当ててみるというのは、新しいモノを生み出す上でとても大切なこと。なぜなら、その定規は自分の器であり、モノゴトを視る上で客観的視点を与えたり、その定規に当てはまらないモノゴトが自分の定規を伸ばしてくれるからだ。

昔、クオリアという言葉が流行ったけど、「赤」の「赤らしさ」というのは、「バラの赤」や「#c0392b」という言葉では言い表せない、体験を通してしか知ることが出来ない「赤」のことなのだろう。

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