莫大な資産があったら

もし、莫大な資産があったら人はどうするのだろうか。これは昔から興味深い話のタネであることには変わりないのだが、科学者が被験者に対して「今からここにあるカネを自由に使って構わない。何をしようと自由だ」などとのたまって私にポンとン億円、いやこの際いくらと指定しないことにする。本当にゲームの世界のように、携帯電話にある番号にダイヤルするだけで、一瞬で何度でも好きなだけ所持金が増やせる世界だったとしよう。あなたも私もそんな携帯電話ならきっと死んでも離したくないだろう(そうでなくても我々はスマートフォンを手放せないだろうけど)。

もちろん、この話が荒唐無稽として扱われるのは、まずこの手の実験を施しようがないからだ。仮にこの実験をできるかもしれないビル・ゲイツやジョン・ロックフェラーだってこんな実験をしたいとは思わないだろう。また、実際に誰かが運良く幸運の切符を手に入れたとしよう。しかし、実験である以上は最低数十回のサンプルは必要である。その切手が一枚限りであってはならないのだ。私は統計学に詳しくはないので、人間の消費するパターンがどれだけあって、それらに対してどれくらいの試行回数が必要だとかを言い切ることができない。

つまり、今後一生この答えに対する最適解は現れるはずもない。まして、現に「莫大な資産」を持っている人間もそれまで長い間無駄な浪費をせずに、資産を築く手がかりを大事に育てることに成功したのだから「莫大な資産」を築くことができたのであって、今この瞬間にたがが外れたかのように「莫大な資産」を自分の思うがままに使おうということもないかもしれない(実際私がそういった人物ではないので、これはただの憶測にしか過ぎない)。

十分な前置きのあとにようやく書きだそうと思うのだが、大抵この問に対する前提は「莫大な資産」が「仕事」に置き換わるかどうかだ。このあたりから下世話な話になっていくと思われるので、正直なところこの文章はこれ以上あなたの知的好奇心を満たすことはできないと思われる。


まずは、大金を得ることはそれなりのリスクを伴うことを忘れてはならない。晴れて宝くじに当選しても、誰かが自分の資産に対して群がってくるかもしれない。それは国まで含めた団体なのか、個人なのかはわからない。裕福なあなたは常に誰かに狙われているという思い込みでノイローゼになってしまうかもしれない。大体この話の前提には「莫大な資産」という条件でありながら、「海にある砂の数万円」とか「あなたを構成している全ての原子の数だけ万円」のように、天文学的に表現できないものでもなかったりする。そう、どんなに幸せな前提にも終わりは存在するのだ。小学生が請求する額ですらせいぜい多くて100億兆円とかいう数なのだから手ぬるい感じすら覚えてしまう。

次に、限られた一日という時間に対して、最も高額なお金を使用できるのはだいたいいくらなのだろうか。高級スパでマッサージを受けて、高級なシャンパンを水のようにあおる。いや、むしろ風呂もシャンパンにしてしまえばいいかもしれない。移動もすべてヘリコプターをチャーターしてしまおう‥‥。などと、考えて仮に一日に消費する金額を1,000万円と仮定する。物心ついた頃(10歳)から資産持ちで、80歳近くまで生きたとする。ということは

70 × 365 × 10,000,000JPY = 255,500,000,000JPY

およそ「2,555億円」である。仮にどんなに豪遊三昧を続けたからといっても、普段の生活を一人で1兆円ですら使い切るのは難しいのではないだろうか。それに、毎日多かれ少なかれ差は発生するだろう。毎日マッサージを受けるのは苦痛かもしれないし、シャンパンの飲み過ぎで肝硬変になったり、ヘリコプターだって墜落事故を起こすかもしれない。小学生にもし理不尽な金額を請求されても、いったいそれだけの金額を何に使うつもりなのか?と返すことができたらきっとすぐには答えられないだろう。

では、古代から現代まで大金持ちが持ち合わせた金をどうするか、決まってやるべきことといえば、「建造」である。もちろんどんな宗教であっても、寄付だとか、自分以外の関心に還元することは珍しい。ちょうど時事ネタとしては、ある国がオリンピックの誘致に算出した新しいスタジアムの総工費は「2,520億円」である。なるほど、これは先ほど算出した資産家の一生分に匹敵する。しかも、歴史に残る建造物はその資産家が亡くなった後も生き続ける。もちろん、この「2520億円」がまだ見積もりに過ぎないし、実際は「表面はすべて金泊だけで飾られた宮殿」だとか、「ピラミッドやタージマハルすら超越するような歴史的な建築物」とかいう要求であったらもっと予算が必要だろう。いくら金に糸目は出さない人物であっても、実際に要求通りに建てられるかどうかはまた別の問題ではあるが。

しかし、どんなにモノに満たされた生活を送っていても逆に今の生活を向上させるモノが存在しないことは苦痛なのかもしれない。我々は多かれ少なかれ、表向きには現実に満足していても、常に今よりも優れた生活を欲しているものだ。毎日のように深海に潜ったり、高所からバンジージャンプしてみたり、宇宙で無重力を経験してみるのに必要な資金が困らないために「莫大な資産」が必要なのであればそれは幸せなのかもしれない。しかし、そんな冒険家でもない限り、王宮にふんぞり返って余生をただ過ごすだけではそれ以上の生活は望めない。

それでも我々は無意識に自分の資産を増やしたいと思っているし、例えそれが天文学的な金額ではなくても、それよりもずっと少ない金額でも自分の資産をどれだけ増やしたいかという目標がある(はず)。逆に借金をしてでもギャンブルでその目標額に増やしたい人たちがいることも鑑みると、実は「どれだけのお金を手に入れるか」ではなく「どれだけ行為を行えばどれだけお金を手に入れられるか」という手段の方が重要なのではないかと思う。

だからこそ、なんの手段もなしにいきなり「莫大な資産」を手に入れたところでなんの実感もないばかりか、ただの絵空事に過ぎない話題になってしまうのだろう。もちろん、借金が手に負えないくらいあるのならば話は別だが、やはり誰しも自分の興味がある方法で成功を掴んで、そこに「莫大な資産」が付随するほうがずっと価値のあるものだと思う。だからこそ、今目の前の仕事が辛くて絵に描いた「莫大な資産」を夢見るくらいなら、それはもう頑張れといってその人の愚痴に付き合ってあげたほうがいい。少なからず、私にはもう一生働かなくていいだけの金を稼ぎ、その利子だけで生活している「仕事仲間」がいるくらいだ。

この話題には借金の他に、もうひとつ大きな例外がある。それは、美男美女を好きなだけ侍らせて、自分の子種を残したいとか、ただ単に性欲を満たしたいなんていう欲望を叶えるためにはやっぱり「莫大な資産」は必要だ。何故なら自分の物欲をすべて満たすだけではなく、その相手に対する物欲も満たさなければならない。しかも、その相手が多ければ多いほど「莫大な資産」が必要になる。それはもう、一国の城主のように。

関係があるかどうかはわからないが、歴史上の偉大な人物は多かれ少なかれ女好き、あるいは男好きだったのかもしれない。もちろん、この話そのものが大きな空想に過ぎないのはやはり上述のとおりなのだが、下世話なオチになってしまったのもやはり私が宣言した通りだ。

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