彼らがやるのは、脳に直接刺激を与えることで、恐怖を覚える脳を一時的に麻痺させてしまい、その間にたとえば「汚いもの」を経験させると、恐怖症は一回で、試行を経ることなく、消えてしまうというのです。
恐怖症克服法
佐々木正悟
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不思議なくらい、この部分に恐怖を感じる。もっと率直に言えば、おぞましさである(しかし、不快感というのでもない)。

さて、そのおぞましさはどこから来るのだろうか。なんとなく、自由意志の尊厳に関わる気はするのだが、何度か読み返してみると、「一時的に麻痺させて」と、「一回で、試行を経ることなく」という部分がポイントであるような気がしてくる。

おそらく、「恐怖を覚える」という体験をどのように評価するのかで、こうした実験者への評価も変わってくるだろう。それは断固として根絶されるべきである、と考えるなら、むしろこのアプローチは好意的に評価されるはずだ。

が、私は、「恐怖を覚える」という体験も__それがいかに馬鹿げたものであっても__、その人固有の体験であると考える。私は愚かしさや不合理性を人間性から剥離できないと考えているので__むしろ、それこそが生きることだと考えている__、恐怖を覚える脳を麻痺させることには、あまり良い印象を覚えない。言い方は悪いが、モルヒネを打って戦場に突撃する(させられる)兵士を彷彿としてしまう。

とは言え、これは単純なことではなく、抱える恐怖症のせいで、「まともな」生活が「ろくに」送れないような人に対して、こうした療法がまったく無価値と言えるかというと、さすがに難しいように思う。

だからといって、恐怖を麻痺させ、恐怖症を簡単に消せることが、本当に真なる善であると言えるかというと、それも難しい気がする。そういうことが当たり前になった世界を想像すると、ちょっと恐怖してしまう。

その恐怖すら、おそらくは消せてしまうのだ。

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