身の回りの「不確実な災厄の可能性」を放置しておくことは、原始的な世界においては、おそらくリスクが大きい。
スルーするのは難しい
佐々木正悟
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壺売りとその味方

問題があるとすれば、現代は「原始的な世界」ではない、ということだろう。

経済や政治は不確実だし、確実性を志してきた科学ですら、その技術的応用となれば不確実性が伴う。医療の進歩で人の寿命が延び、さらに不確実性と付き合う期間も延びた。

本来的に不確実なものに、確実性を求めようとすると、往々にして酷い目にある。リスクの算出を誤るか、誰かに壺を押し売りされるか、だ。

とは言え、これは単純に「理性」の有無の問題ではない。

「原始的な世界」を生き抜いてきた私たちの先祖は、その世界に適した進化を遂げてきた。淘汰圧をくぐり抜けるとは、つまりはそういうことである。簡単に言えば、そのような反応は体に染みついている。万人に等しく宿った「病」(という表現をするのは誤っているのだが、あえて)なのだ。

だから、理性をちょっとでも働きにくくすれば、いとも簡単にこのような反応は引き出せる。人は他人の失敗を笑うかもしれないが、誰しもが壺を押し売られる可能性はあるのだ。理性の有無のみで対抗できるものではない。

だったらどうすればいいのかと言えば、「壺を押しうる奴はよくない」という規範を掲げ、皆でそれを共有することだろう。それでいくらかでも抑止するしかない。

そういうときに、「法律に触れてないから問題ない」みたいなことを言って、あたかも自分は公平な人間ですよという顔をする輩は、最終的には壺売りに味方していることを覚えておいた方がいい。