文章がうまい、というが、文章がうまい人はきっと「聞かせるのがうまい」のである。
人はなぜ文章を読むことができるのか?
佐々木正悟
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文章のリズムの呪術性

文章はリズムである、というのは何を隠そう僕の言葉だ。

それはさておき、伊藤計劃の『虐殺器官』の中でジョン・ポールは次のように述べる。

「ゲーテはこう書いた。軍隊の音楽は、まるで拳を開くようにわたしの背筋を伸ばす、とね。われわれが空港やカフェで聴くように、アウシュビッツにもまた、音楽は在った。目覚めを告げる鐘の音、歩調を合わせる太鼓の響き。どれほど疲れきっていても、どれほど絶望に打ちひしがれていても、タン、タン、と太鼓がリズムを刻めば、ユダヤ人たちの体はなんとなくそう動いてしまう。音は視覚と異なり、魂に直に触れてくる。音楽は心を強姦する。意味なんてのは、その上で取り澄ましている役に立たない貴族のようなものだ。音は意味をバイパスすることができる」

僕の持論を述べさせていただければ、リズムの良い文章はそれだけで説得力を持つ。その力は、論理的というよりも呪術的なものだ。正しそうに感じる、いやそう思い込まされてしまうのだ。

心地よく読める文章は、論理の飛躍から目を逸らせる。そして、ある種の「リアリティ」もここから生じると想定できる。

逆に、最初に引いた記事のように、「読むのに苦労している」(文章が聴こえていない)人には、この呪術性は薄れるか、あるいは用を為さなくなるだろう。

とは言え、文章を聴かないようにしましょう、というのは難しいわけで、結論としては、読んだときにどれだけ正しそうに感じられても、いったん落ち着いて本当にそうかを確かめる努力をした方が良い、ということになる。

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