AirbnbのCEOとチームが乗り越えた「パリ同時テロ事件」

光と愛の都で見つけた絆

Ray Yamazaki
6 min readNov 22, 2015

By Brian Chesky

私たちは Airbnb のホスト達の安否を確認すべく、朝まで電話やメールなどでコンタクトを取り続けた。

昨日(11/15)、私はサンフランシスコに戻ってきた。200人の従業員とともに。Airbnbが始まって以来、最も長く、そして精神的に疲弊した旅だった。

日曜にAirbnbのパリ支部のオープンのため、サン=ジェルマンのチャーミングな6階建のアパートメントに到着したところから、悪夢のような1週間が始まりを告げた。その週の木曜の朝から3日間にわたる「Airbnb Open」というイヴェントが始まり、5,000人のホストと645人の従業員を収容できるアリーナ・テントでは、110近くの国々から集まったホストたちの笑顔と情熱が溢れんばかりだった。

そして、金曜日の夜、私は洒落たAirbnbの家で初期メンバーの40人と夕飯を一緒にしていた。胸打つ夜の始まりだった。Joeが乾杯の音頭を取り、私たちはこの4年半の様々な思い出を振り返っていた。

パリがテロリストに攻撃されているというニュースは21:45に入ってきた。初めの頃、私たちはそれが1回きりのものだと勘違いしていたのでTwitterをチェックするだけだった。だが22:30までには今回の攻撃が一連の組織だったものだということが明らかになってきた。

100人が劇場で人質となったことが分かると、楽しかったはずの夕飯の席を言い得ぬ恐怖が襲った。そして、あちこちで電話が鳴り始めた。友人や家族、恋人からの安否の確認だ。すぐに私たちは、このテロの最中に街に散らばったままになっている従業員やホストたちのことに思いを馳せた。多くの連絡すべき人々がいたにも関わらず、意外なことに私たちが最初に連絡を取ったのはAirbnbのホストたちだった。

セキュリティー・チームのリーダーのマイケルは本部を設けて事態を掌握しにかかった。たくさんの従業員が徹夜してくれたお陰で、従業員645人全員の安否をなんとか確認できた。襲撃から数軒しか離れていない家に住み、恐ろしい事件のほとんどを目撃してしまった人もいた。グループのひとつは襲撃が起きた時スタジアムにいたと分かったので、出口に殺到する群衆に巻き込まれていないか心配だった。他の人々は、照明を暗くして金属製の扉に厳重に鍵をかけたレストランのテーブルの下に隠れていたそうだ。

間もなくパリの街はロックダウンに入った。この時点で私たちは家にバリケードを作って篭ることにしていた。ユニットバス(ここでは他にプライヴェイト・スペースがないのだ)に小さなコミュニケーション・ハブを設け、本部と連絡を取り合うことにした。素早く決断を下すべき事柄が山ほどあった。全員と連絡を取るにはどうすれば良いか?翌日のイヴェントをキャンセルするか?身体に危害を受けることなくホストたちが自宅をオープンするにはどうすれば良いか?

3:00までに、私たちはロックダウンがしばらく解かれないことを知らされ、どうやらそこで一晩過ごさざるを得なさそうだった。50人以上が2ベッドルームのロフトで一晩過ごすことを想像してみて欲しい。幾らかでも寝られるように家具をどかして床に枕と毛布を用意した。私たちは仕事を続け、安否の確認できなかった最後の1人をようやく見つけ出したという報告を受けた時には、部屋に安堵のため息と静かな喝采が起こった。

次の日、私はまるでゾンビになったような気分だった。多くの人々と同様、イライラしたしいつもの調子ではなかった。それでも今回の悲劇で最も悲しんでいるスタッフもいるはずのパリのオフィスは、逞しく皆をサポートし続けていた。

そして昨日の朝、私たち100名近くはサンフランシスコ行きのユナイテッド・エアラインズの飛行機に搭乗してようやく帰国の途に着いた。機内では誰もが家に帰れることを明らかに喜んでいた。飛行機がサンフランシスコに着くと、1ダース以上のAirbnbの従業員たちがサプライズで私たちの到着を待ち受けてくれていた。彼らは休みの日曜に大変な目に遭った私たちを温かく迎えるべくファンファーレや水、焼きたてのクッキーを用意してくれていた。人がどれほど優しさや気遣いを見せられるのか、ここで再びしみじみと実感出来たし、これ以上ないくらい周りに支えられている気がした。私たちはとても大切にされているという気分を味わうことができた。

空港に到着すると多くの方々が我々を温かく出迎えてくれた。

今週を思い返してみると、2つのことが頭に浮かんでくる― それは、光と愛だ。

まず、パリは早くから街灯をガスに変えたため「光の都」として知られるのだが、今週私は空を照らす別の光を見た。言語を絶する非道さに直面しながら、パリの街と私たちのコミュニティーは素早く悲観的になることなく立ち直ることができた。ひとりひとりが立ち上がると、温かい光のスイッチが入り、街は少しだけ小さくなる。そして、この光はしばらく消えない。

また、パリは「愛の都」としても紹介される。こちらの方がもっとピッタリだ。昨日私たちが目撃した言語を絶するテロ行為は、人間性の最悪の部分の表れだった。この悲劇に直面しながら、私は同時に人間の最善な部分も見た。私たちのコミュニティーはお互いに気遣いを示しながら、人として生きる上での最も高い理想を疑うことなく一丸となった。

危機的状況は不幸の中で人を結びつけるが、その絆は単に恐ろしい経験を共にすることによってではなく、お互いに相手に対して深い心遣いと愛を示すことによって強くなる。この時ほど、私たちのコミュニティーやチームを身近に感じたことはなかった。あなたはもうひとりではない。あなた方ひとりひとりをサポートし、ケアするために誰かがそばにいる。キング博士はかつて次のように言った。

暗闇は暗闇を追い払えない。光だけが暗闇を追い払える。憎しみは憎しみを追い払えない。愛だけが憎しみを追い払える。

世界にもっと光と愛が溢れますように。

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