サンフランシスコ、ホームレスの若者の48%がLGBTQだという現実が示すもの
市内最大のユース・ホームレス・シェルターには多くの若者が集まって来ている。
Photographs by Preston Gannaway
Text by Lauren Smiley
Audio by Amy Standen
この記事は”サンフランシスコ・ホームレス・プロジェクト”での若者のホームレスについてのフォト・シリーズの一部です。彼らがどんなモノを持ち歩き、シェルターで子育てをし、路上でどんな生活をしているかについてはこちらをご覧下さい。
イザベラ・ブラックはサンフランシスコに来るまで「トランスジェンダー」という言葉を聞いたことがなかった。何となく周りと自分が違うと感じていただけだ。
週末ごとに飲んでバカ騒ぎする家族と一緒の時も、15歳の頃、1人でグレイハウンドを降り、ベイカーズフィールドで「カリフォルニアのビーチに辿り着いた」と感慨に耽ってそれから6年も友だちとそこで過ごした時も違和感は燻り続けていた。特に生物学的に男性の身体だったことが原因ではなかったのだが。
Googleサーチでサンフランシスコのラーキン・ストリート・シェルターのことをイザベラは知った。そこでは寝場所だけでなく、性転換のサポートも受けられそうだった。まだ「トランスジェンダー」という言葉を知らなくても、その頃には本当の自分に気付いていた。
コンピューター・サイエンスやMBAの卒業生がアメリカのテック業界の中心地に集まって来たのと同じように、数十年経ってゲイやトランスジェンダーの若者たちがその後に続いてそこにやってきた。
彼らはサンフランシスコという街の理想に惹き寄せられたのだ。6月には大通りがレインボー・フラッグで埋め尽くされ、10年以上前から同性婚についての議論がなされ、ハーヴェイ・ミルクがホール・フーズのフットローラーの展示並みにありきたりで不自然ではない街に。
しかし、かつてはこのゲイのメッカでも、貧乏なゲイは貧乏なストレートと同程度の存在でしかなかった。つまりほとんど無価値で何のサポートも受けられなかったのだ。
ハーヴェイ・ミルクのカストロ地区はマイタイが12$し、狭い部屋に3,500$も払う地区だ。SoMaのドラァグ・クラブやゲイバー近くには市内最大のホームレス・シェルターがあり、その壁には「疲れ果て、貧しさにあえぎ、(自由の息吹を求める)群衆を、私に与えたまえ。」[訳者注:自由の女神像の台座にも刻まれているEmma Lazarusの詩。()部分が抜けている。]と書かれている。PinterestやAirbnbがオフィスを構える地域のホームレス・シェルターに書かれた気の利いた文句と言える。
割合として言えば、サンフランシスコのホームレスのうちLGBTQは29%、25歳以下のホームレスでは48%になる。
統計的に見ると、ゲイのホームレスの傾向は幾つかの点でホームレス全体の傾向とは異なることが分かる。彼らは若く初めてホームレスになる者が多い。ドラッグ中毒やアルコール依存症、メンタルヘルス等に問題を抱える者も少ない。
「彼らのほとんどはサポートを必要としています。彼らを受け入れ、家から追い出した両親や逃げてきたグループホームのもとに送り返したりしない人々からのサポートです。」と市内最大の若者向けシェルターであるLarkin Street Youth Servicesでプログラム・マネージャーとして働くマット・バーテックは説明する。
彼らの多くが社会から拒絶された傷を負っていて、ホームレスになった原因が自分の性同一性にあると言っている。ラーキンではこういった若者たちに場所を提供している。しかし、サンフランシスコの他の施設と同様、全然スペースが足りない。ラーキンではちょうど72床のベッドがあり、18〜25歳であれば120日間泊まることができる。
2年前にイザベラが来たときに空いていたのは男部屋だけだった(ラーキンは通常、それぞれの性同一性にあった部屋を用意するのだが)。イザベラはラッキーだった。カストロ地区にある、いつもウェイティング・リストに長く名前が並ぶLGBTQ専用施設に偶然部屋が取れた。そこは23部屋全てがシングルルームだった。そこはアメリカ国内でLGBTQの若者だけに特化したサポート施設の1つで、他の施設と違うのはケース・マネージャーのサポートを受けながらホルモン剤投与の政府プログラムを利用して性転換を図れるところだった。
スペンサー・“スプル”・プル(24)、ダーネイシャ・ラブ(23)、ジェイソン・ドーカー(22)を含むラーキンの庇護を受ける人々は「賃料」として収入の30%を払っている。しかし、ラーキンはそれを預かっておいて、2年後にプログラムから巣立った時、もしくは25歳の誕生日の時に、彼らに返すようにしている。
10月にイザベラとガールフレンドのエンジェルは市役所で結婚した。本物の両親は来なかったけれど、ラーキンの友達と両親がわりの人々に囲まれていた。新婚のカップルは一緒に住めない。ラーキンの1人部屋にカップルで入居することはできないのだ。でもそれはほんの一時的なものに過ぎない。2年でイザベラは現在のプログラムの対象年齢から外れ、妻とともに街から高飛びしなければならない。−今回は自分が誰か迷ったからではなく、しっかりと稼がなければならないからだ。
イザベラ
ダーネイシャ
ジェイソン
スプル
プレストン・ガナウェイは、ピューリッツァー賞を受賞したドキュメンタリー写真家であり、ファインアート写真家でもあります。ノースカロライナ州で生まれ育った彼女は今オークランドに住んでいます。
ローレン・スマイリーは、ハイテクブームが都市をどのように変化したかを取材しているサンフランシスコのジャーナリストです。
エイミー・スタンデンはサンフランシスコに拠点を置くポッドキャストプロデューサー、ラジオレポーターです。
このプロジェクトの追加サポートは、National Press Photographers Associationとthe Economic Hardship Reporting Projectによって提供されました。