歌舞伎町の飲み屋で出会った「奇数の人生」

新宿とともに生きる1人の装丁家から聞いた寺山修司、麿赤兒、唐十郎

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土曜の晩、歳の離れた高校の後輩と新宿に飲みに行った。その日は歌舞伎町の一角、さくら通りの「やきとり番番」へ。

この店、1976年に今の社長が脱サラして始めてから今年で40年。1本100円からの串焼きで安く気持ち良く酔うことが出来る、飲んべえには居心地のいい大衆居酒屋だ。

串焼きの煙で燻された店内にはコの字型のカウンターが据えられ、自分の体の幅程度しかないスペースで客同士が密着している。そのためか見知らぬ客同士でも自然に会話が始まる。

その後輩とはちょくちょく飲みに行く。気立ての良い奴で大抵はゴールデン街近くのテルマー湯でひとっ風呂浴びながら彼の大学での研究や最近の関心を聞き、それから何処かに飲みに繰り出すということが多い。その日も「さてどこに行こうか?」という話になり、ふと閃いたのが「番番」だった。

たまたまその日は17時過ぎくらいに店に着いたので並ばずに入ることが出来た。これがあと1時間もすれば外の椅子にずらっと人が並ぶ。

ビールやレモンサワーをちびちびやりながら、その日話すことをほぼ語りおえ、気持ちの良い沈黙にまかせていると、1人の初老の男性が話しかけてきた。

「お兄ちゃんたちいつも新宿で飲んでるの?」

「ええ、まあ。」

構え方が明らかに常連さんの風情。鬼平の名脇役、江戸家猫八にどことなく似ている。ちょっと粋な感じも漂う変わった人だった。

「おじさんは普段どの辺で飲まれてるんですか?」

「思い出横丁やゴールデン街、歌舞伎町が多いかなぁ。」

何でもない滑り出しだったが、ここからその晩の猫八さん、いや鉄平さんの「授業」が始まった。

聞くと鉄平さんは装丁を生業にしているとのこと。

「俺はさ、カッター1本でやってきたのさ。でも最近はマッキントッシュ?嫌になっちゃうよな。」と鉄平さん。

元は山口の出身で(あくまで「長州」と繰り返していたが)、先に東京に出ていた兄を追うようにして40年ほど前に新宿に住みついたらしい。

「森山大道の(写真集の)表紙をやったこともあったな。」とレモンサワーを啜りながら懐かしそうに呟く鉄平さん。

「新宿はいい街なんだよ。昔はよくマロさん(麿赤兒)達と飲んだっけ。マロさん、ほんとイイ人なんだよな。他には唐十郎や寺山修司とも。」

「ああ、そうか」とその時気づいた。

どうやらこの人は新宿の酒飲み文化人サークルの古株らしい。こういう人と出会える機会は滅多にあるもんじゃない。もっと話を聞こうと身を乗り出した。

「寺山修司さんって飲むときはどんな方だったんですか?」

「ああ、あの人はね、殆ど喋らない。何でか?あの人は青森の出身なのさ。それで訛りがひどくって、それにコンプレックスを感じてたらしくてね。だから滅多に口を開かなかったな。」

「そうだったんですか。。。あれだけ著名な劇作家さんだからてっきり。」

「ああ、だからじゃないかな。普段話さないぶん、書く方で吐き出してたんだろ。」

何となく眼に浮かぶようだった。知りもしなければ会ったこともないのに。作品でしか知らない寺山修司が、地下に続く細く急な階段の先のカウンターでただむっつりと酒を舐めている。

「鉄平さんは3丁目のどのあたりで飲んでるんですか?」と後輩が聞く。

「うーん、3丁目ねぇ。あの辺りはいい店がまだあるんだ。『どん底』に『山小屋』。ライターやってるアンタなら知ってるかもな。」と私の方に問いかける。

確かに「どん底」はいい店だ。謎配合の「どん底カクテル」にピザ。あの急な階段から転げ落ちるサラリーマンを今まで何人見てきたことか。でも「山小屋」は行ったことがなかった。話には聞いていたんだけれど、まだあったのか。

「マロさんはさ、ほんといい人なんだよ。」ほろ酔いの鉄平さんは続ける。麿赤兒という1人の舞踏家の人となり、テレビや雑誌のインタビューでは見せない一面、その欠片を幾つか集めて話してくれた。

それから暫くの間に、私と後輩は鉄平さんの話に引き込まれていった。コマ劇とその周囲のキャバレー、唐十郎と花園神社の紅テント、私には割と近いが、後輩にとっては今まで誰も教えてくれなかったであろう「新宿」という都市の歴史と広がりについて。

ハイピッチで飲みつつ、しかもその日知り合ったばかりの我々に「番番レモンサワー」(まだ未体験なら1度試してみて欲しい。なみなみと焼酎を注ぐ驚きの濃さだ)を気前良くおごって飲ませながら、鉄平さんはしみじみと話してくれた。

そういう話を聞くともなく聞いていた。いい気分だった。こういう偶然の出会い、一期一会を心から楽しんでいた。

そうこうするうち、さて、これ以上飲んだら足に来るな、引き上げどきかなと腰を浮かせつつタイミングを見計らう時がやって来た。しかし、面白いことにそういう時にこそ、その日1番の話が聞けるらしい。

今でも忘れられないひと言を鉄平さんが呟いたのはそんな時だった。

「俺の生き方はさ、言ってみれば『奇数』なんだよ。」

「なんだそれ」と思いつつ鉄平さんの顔を見て、「ああ、奇数か。それはいいな」と改めた。

「割り切れない人生」というわけだ。

私たちは仕事や家族、友人関係で、例え意識していなくても、どこかで「こんなもんだろ。」と割り切って生きているところがあるのかも知れない。

そうやって生きるのは楽だ。ぶつかって跳ね返されて我が身を削られる思いが少なくて済むのだから。

一方で、割り切れない人生は辛い。「割り切らない」のではなく「割り切れない」のだからなおさら。

様々な想いを引きずり、自分のこだわりが時に傍からは何の意味もないことのように見えるかも知れない。人生の合理的な選択をあえて取らない生き方は勇気もいる。

でも同時に、その「割り切れなさ」があるからこそ、カッター1本で40年もの間、鉄平さんは装丁家としてやってこれたんだろうとも思う。


お礼を述べて、私たちは「番番」を出た。

鉄平さんとはfacebookやLINEはもちろんメアドの交換もしなかった。いつでも繋がる便利さがある反面、「繋がらない」ことの価値だってある。

もう鉄平さんに会うこともないだろう。でも、だからこそ、この日の話が私と後輩の記憶に長く残る、そういう予感があった。

あれから暫く経つが、私は今も時折「番番」に行く。

そして混み合った店内に足を踏み入れるたび、つい周りを見回してしまう。

鉄平さんの姿がないかと。

「奇数の人生」を送る1人の装丁家がカウンターで酒を啜(すす)る姿を再び見ることが出来るのではないかと思って。