繊細ってなんですか

日本人は繊細、とよく言われますね。

お菓子ひとつとってもそう。

繊細と言えばフランス菓子ですか? それも一理あるでしょう。でも香りや味によりダイレクトな主張がありませんか?日本のお菓子は、味や風味を感じるのに繊細な感覚が必要な気がします。


幼い時から、自分を評される時に繊細と言われることを嫌い、そう言われぬために意図的に避けようとしていました。

でもある時に、自分は繊細であるという事実にぶち当たりました。

もしかしたらそれは薄々わかっていたけれど、はっきりと頭が言葉で知覚したタイミングがその時、ほんの数年前のことです。


始めこそセンシティブを自覚し、がっかりしましたが、よくよく自分を整理してみたら、わたしが望んだのは「わたし」の存在を思い浮かべて最初に浮かぶ言葉が「繊細」ではないことでした。

かっこいい、とか、がんばり屋だね、とか、そういうことを言われたくて、

頼りになるね、繊細だね、おもしろいね、はあまり嬉しくなかったのです。


でも中学時代のある年の担任の先生が

「真帆は本当は傷つきやすいのに、それを隠してがんばっている」

というような事を三者面談で言いました。

その時は、先生はわたしの本質を見てくれている、優等生とか学級委員長キャラとか、そういうのにごまかされずに見てくれていると思って、嬉しかったのを覚えています。

本当は、という言葉の魔法かもしれません。

本当はこうだけど、こうやって見えるように努力してるんだよな、と努力を認めてもらえたような気がしました、脆いわたしもわかった上で、強く見せたいわたしを頼ってくれてるんだな、と。


もともと絵も文章も今と変わらない量くらいはかいていました。最近は人前に出る量が増えただけ。でも表現を見せれば見せるほど、わたしのタッチが繊細なのがバレていきます。

なぜ繊細を嫌ったのか。

それは自分の「女性性」を否定したかったからです。

繊細=女の子、だと思っていました。

しかし実際のところ、女性の方が強さによって繊細を否定することができるように思います。

男性のが繊細さを内包しているように思うのです。でもなぜそれが一見繊細と映らないのか、それは体格差ではないかと。

例えば瓶の蓋。例えば重たい荷物。男性は軽く為せることが、女性にとってはちょっとがんばらないとできないことだったりするわけです。

その点男性はがんばりすぎなくても、一定の強さを常に持っている、という仮定です。

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