雑記@秋葉原
どこかに向かう途中

最近自分が自分じゃないような感覚にとらわれることが多い。

最近っていうか、ブログを書いている時はいつもそんな感じだけど…

全くお腹が空いていないのにずっと食べ続けてしまうし、全然眠くないのに身体が重くて眠り続けてしまうし、好きなのかどうか分からない人とたくさん時間を過ごして、それからダサい日本語のヒップホップ聞いて、ほんとは全然興味なんてない他人の日常を覗いてみたりして、いる。消耗されている、何か大きなものに消費されている気がする。

私は勉強が好き。それだけは確信を持って言える。それからお笑いが好き。音楽が好き。

私の中には私を誰よりも厳しい口調で批判する物凄く正しい親みたいな存在がいる。(私の実際の親はそういうことは言わない)それは私の安穏とした態度を常に批判し、非難する。たとえば自分がいつも他人の目線を気にしていることだったり、自分が創造の痛みを半ば無意識的に避けていることだったり、共感と快楽に堕ちて手を動かしていないことを指摘して、「生きている価値がない」と言う。「人生が全部無駄だ」と言う。私は返す言葉がない。いつも、それの言うことは絶対に正しくて、私には何も言い返せない。それは私の最大の味方であり、恩人であり、同時に最大の敵である。

そう、それは恩人でもある。私はそれの声に急き立てられて走って、自分の実力以上の結果が出ることもある。でもその直後からそれはいつになく激しく、私の首を絞め始める。「生きている価値がない」、その声は一歩一歩すすむ度に確実に大きくなる。無視できないくらい、立っていられないくらい大きな声になって、私はそれから逃れようとして、音楽を聞いてお笑いをみて本を読んで文章を書く。だけれどふとした瞬間、本当に瞬間的な雑念のような感じで、目を窓の外に向けた一瞬の隙にそれは頭の中でまた、大きな声を出し始める。「全部無駄だ」みたいなことを言っている。声が響いてエコーがかかる感じ。

なんだけど、それにはひとつだけ弱味みたいなものがある。っていうのは、それは英語を話せないってこと。

つまり私が英語を話しているときにはそれは絶対に何も言わないし、英語で思考している時には絶対に批判をしてこない。

だから私は時々、日本語で考えない時間が必要になる。日本語でコミュニケーションしない相手が必要になる。日本語を話さない場所へ行く期間が必要になる。

私はいつからこんなふうに周りの人とうまくやっていけなくなってしまったんだろう、いつからうまく生きれなくなってしまったんだろう、いつからご飯を食べ過ぎるようになってしまったんだろう。

どこか遠くに行かないといけない、そろそろどこかに行かないとなんだか誰かに飲み込まれてしまうような気がする。

私を飲み込むのは一番近くにいる存在。たぶん。

ううん、なんだか自分が自分じゃないみたいな感じがしている、足も手も。私には自分の身体がどこまで自分のものなのか、分からない。